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鈴木氏
 広瀬さんの話と160度くらい違うのかなと思うのですが、私が行った避難所は三宮の東の灘区にある避難所です。3000人というたくさんの人がいた、マンモス避難所といわれていた所ですが、そこでそれだけの人数がいると何が起こったかというと、本当にたくさんの事がおこります。
 例えば、弁当の話しもありましたけど、物資とか食料の数です。3000人ということになると、100とか200毛布が届いたとしても、全員に配れない。
 それで何が一番問題だったかというと、私が行っていた避難所というのは、ボランティアが中心に運営をしてしまった避難所だったので、どういうふうにどう決めるのかって事を全部ボランティアがしていく、外部から来たボランティアがやっていく形をとってしまっていた。ボランティアが決めることに対して、避難者がどういう形で決めたのかわからない。当事者がいない所でボランティアだけで決めて、これは100しかないから下手に出してもめたらといって、出さない。ある避難している人たちが、あそこに毛布あるのに何で配らないのかという話になって、数が足りないからですって事になってしまう。
 本当は、もっと丁寧にコンセンサスをとって、みんなで情報を共有しながら話し合って行く事が出来ていれば、100しかないけどどうしましょう、じゃあ、おじいちゃんおばあちゃんに先配ろうとか、赤ちゃんに配ろうとかっていう方向は取れたと思うんですけども、そういう所で対応がうまく仕切れなかったボランティアの失敗といいますか、そういう事がありました。
 避難所で避難をしている人たちと外部から、自宅避難という形で自宅のある方たちですが、その方々も避難所にお弁当を取りに来られる。そういった時に、あの人たちは家にいるのに弁当を取りに来る、と、相手の状況を理解していないだけなんですけども、コミュニケーションがないために、どれも同じことが言えると思うんですが、コミュニケーションという、非常に大きなキーワードになると思うんですが、それがないために、いろんな所でいろんなもめごとが多々あったというような事を思い出します。
谷口氏
 物は届いても、被災者にわたらなかったら何の意味もない。足らないからといって配らないというのは、まさに「行政の公平」じゃないから配るのはやめましょうという判断をされた。それで結局、最後はうまくいったのですか。
鈴木氏
 最後とは、どの部分で最後かわからないですけど、神戸市は3月末でボランティアは撤退してくださいといった。そうなると、我々がいた避難所はボランティアが運営していたので、後の事をどうするのか、引継ぎはどうするのかってことで、私が残りました。残って7月くらいまでいたのですが、最終的にはうまくいったというのか、非常にスムーズになりました。少しは。
 当事者の方が主体的に担っていく。それをボランティアがサポートするというスタイルをとることによって、だいぶスムーズになったのではないかなと思います。
谷口氏
 被災者の方々が、いろんなルールを決めたりしながら運営していけるようになってから、うまくいきだしたというような理解でいいですか。
鈴木氏
 そうですね。まさにそういうことだと思います。
谷口氏
 では、茅野さん、神戸に対して、国際ボランティアのほうから支援活動を。
茅野氏
 神戸事務所を2年半かまえて、ボランティアの受け入れや避難所支援を行いました。また、定住外国人などに対する支援活動も、ほかの団体がやっても行き届かないところに対して、支援活動を2年半やりました。
谷口氏
 外国人の方の不法就労で期限が切れていたという方が怪我をされても、医者にいけない。医者に掛かれば、身元が分かり強制送還になる。そういう方が何人かいました。そういうことでは外国人の方は、一種の障害があるんです。情報障害、言葉の問題、そういうこととかいろんな問題があるんですけど、茅野さん、もう少し外国人の問題に関して。
茅野氏
 避難所に行ける方と行けない方といて、やはり定住外国人の方は行政のインフォメーション、情報として電話やFAXや、いろんな機関を通じて行政が情報を流すのですが、それが理解できない。文字が読めない。そういう方は避難所がどこにあるのか事体わからない、また避難所に行った事によって、差別を受けてしまう。
 過去の歴史の中でも、避難所に行くよりも、半倒壊になった自分の住まいで潰れかかった所に寝泊りしているというケースもありました。
 私たちの活動の場は、同じように活動していても仕方ないので、ほかの行政やほかの団体が行き届かない所に移りました。まず情報収集をして、ミーティングを開いて、その中で明日何が必要か、明日何を行わなければいけないか、ある意味で隙間産業的にいろんな所に情報を聞きに回りました。そういうボランティアも必要なんです。
 やはりお弁当が足りない避難所があったりしました。そんな所に対して、私たちは連絡をとって、補助給食を用意する事にしました。1日5000人くらい炊き出ししました。避難所の運営については、私たちの入った避難所については、結構、避難所の中で新たな自治会の様な組織組みができていて、私たちとうまく連携をとれるような仕組みができていきました。
 そうした中で、今日は温かい食事どうしますかという御用聞きをして、どこどこの避難所に何千食届けてくださいとか、向うに調理するスタンバイができていますので一緒に調理しましょうとか、だんだんと私たちが初期のころ避難所にいって炊き出しをしていましたが、それをどんどんそこの避難所の方にすべて炊き出しの運営を任せる、という形に移行していくようにしました。私たちNGOの中では、現地化といって現地の方に任せていくという活動もありました。
谷口氏
 自治会というのは、避難者の中での自治会ですか。
茅野氏
 避難所の中で。私が出会ったケース、全てではないですけど、私の見たのは避難所の中で。
谷口氏
 避難所の大きさという問題がひとつ、そこを運営するのはボランティアがしゃしゃり出てはいけないと聞こえて、これからの皆さんの活動をそぐようなことになるかも知れないという気がするんですが、被災者から衣食住の何がないかというと「住」がないわけです。そこからの復興は自分たちがたくさんの人たちの共同生活は仕方ないという中で自治会を作ったり、ルールを作ったりしていったほうが、避難所の運営は、スムーズに行きました。いろんなことがあっても、最終的にはそうだった、と理解してよろしいですね。
 その中で、最初のときにボランティアがどういう形で入っていくのか、それから、その避難所の中のシステムが立ち上がってきて、ある程度成熟してきたときにボランティアは何をすればいいのかという、この2つの時間とともに変わってくる活動の質の問題があると思います。もう少し最初の地震から3日とか1週間でなくて、ずっと後まで考えた場合に最初と最後で変わっていった事とかがあると思います。
 そんな中でボランティアとして、被災者の方たちとの協働というのが、どうだったのかという話をお願いします。
鈴木氏
 時間とともに変わるニーズというのは、そうです。
 避難所というのは大きな復興という中での第一段階というふうに、その中での避難所という事であって、あるところでデータを見たのですが、被災してから1ヶ月以内に今後の自分の設計を考えている人たちというのは、避難をしているところの半分くらいの人たち、実は1ヶ月以内に次のステップというか次どうして行くかということを、すでに1ヶ月以内に決めているって言うんです。と考えると、避難所の役割って何かってことは分析していくと変わるかもしれないのですが、ただ、その時間とともに変わっていくニーズっていうのは非常にたくさんあって、最初のころは、食料の配布であったり、毛布とかっていういわゆる衣食住の部分です。
 そのうちどんどん落ち着いていくと、少しずつニーズって言うのは変わってきて今度は、畳が欲しいとか少したっていくと仕切りが欲しいっていう、プライバシーって部分にどんどん移っていく。もちろん1月ごろから仮設の抽選というのが始まって、本格的に仮設への移動が始まるのが大体3月4月ころからピークになるんですけど、次は、その仮設住宅への移動というようなところで、引越しボランティアであったり、どんどん人が出て行くと、その中の減った教室をその教室を開けるために移動してもらって、少しずつ教室を開けていくというようなことが行われていきました。
 
事前打ち合わせ風景
 
広瀬氏
 時間とともにニーズが変わっていくという事と、最初のボタンの賭け違いがその後の避難所の運営もそうだし、復興に影響してくるという事があります。
 具体的な話をすると、被災者の甘えっていう言葉が出ました。被災者が甘えてきているので、自立してもらわないといけない。自立のための支援ってことですね。確かに自立のための支援なんだけど、そのとき言われたのは「甘えてきたから自立してもらわなあかんな」ですね。そしたら、甘えさしたん誰やって話しになるんですけど。
 たとえば、炊き出しをします。炊き出しって何でするんだろうって考えるんですね。まず、食材が入らない。そこでその食材を提供しましょう。燃料がない、ライフラインが切れてますから。だったらプロパンとかの燃料を持っていきましょう。水もこない。なら水を提供しましょう。お鍋とか食器もない。それも持って行きましょう。被災のショックで、非常に精神的に疲れて気力も失っている。じゃあ、あったかい物を作ってさしあげましょう。
 つまり、無い無いづくしですので、それを補充していく形で、最終的に炊き出し作ってさしあげるというのが、炊き出しです。
 今、ないものをいろいろあげましたけども、最初に取り戻せるものは何だと思いますか。
 実は作る力なんです。作る力は失ってないんですよ、そもそも。ただ、気力はないから作ってさしあげるんだけど、本当はつくる力は、手は、あるんですね。ところがそれに気づかずに、炊き出しは作ってさしあげるものだと思ってしまっていますから、延々作り続けるんです。
 初日はうれしいんですよ、気力失ってますから。それだけでうれしい。あったかい味噌汁をどうぞって言われるだけで、うれしいのです。ところが、3日続き、1週間続き、2週間続き、半月続くとなると、やっぱり人間、楽したいですから、作ってくれるならそうしてもらいたい。そうすると炊き出し待つのに列を作る。手伝わずに。今度は不満が出てくる。早くしろとか。このトン汁、具が少ないとか。そうすると今度は、ボランティア側から甘えるんじゃないよという言葉が出てくるわけです。
 どこでボタンを掛け違ったんだろう、ということです。せっかく作る力残っているのに、それを奪っちゃったということです。つまり自立を最初の時点で阻害させてしまった。ボランティアだから、してあげたいということはいいんだけども、結果的には自立を阻害してしまった。
 それを考えて気づいたのか、直感的に知っておられたのか、ご婦人たちが行った炊き出しで、2日か3日目からは一緒につくり始めたケースがあります。私は作る人、あなたは食べる人ではなくて、自分たちが食べるものだから一緒に作ろうと。
 自分が食べるもの自分で作るって、生活の基本でしょ。復興の第一歩です。それを一緒にやることで元気が出てくる。食欲が出てくる。今度あれ食べたいなって言うものが出てくる。あるいは高齢者はこれ食べられない、こんなメニューを考えたいけど、こんな食材を持ってきて、私たち作るからと。こんな形で「被災者とボランティア」でなくて一緒に働く、ともに協働する中で生活力を取り戻していく。
 そのことが、ボランティアとして避難している人と関わる中で、常に置いておかなければならないポイントかなと私は思います。
谷口氏
 人間は被災しても怪我さえしてなければ物を作り出す力はあるんだと。これは、炊き出しっていう昔からあるボランティアの精神をぶつければ、まさにそのとおりですね。そんな中で、お互いが力を出して一緒にやるということが、非常にいい。弁当を待っていれば来るという事もあるかもしれませんが、せっかくそういう風に立ち上がろうという力が、弁当を待っていたのではいつまでも立ち上がれない。
 非常に重要なことですね。
 東海地震という話題に変えさせていただいて、資料の中のトイレ関係の資料、牧野さんのほうからお願いします。
牧野氏
 私たちもボランティアをする中で、先ほどから出ている避難所とか炊き出しのボランティアとか、一緒にがんばろうという気持ちでいるのですが、人間の生活の中で衣食住、特にその中で一番問題になると思われるのがトイレだと思います。
 今日は会場にご主人が車椅子の生活をされてみえる方もお越しいただいております。災害が起きた時にトイレの問題はとりわけ健常者の方以上にデリケートな部分もかなり抱えているという事ですのでそういった問題を話の中に入れていただきたい。
 この資料を提出していただいたAさんを、ご紹介いたします。
会場A氏
 今日お配りした、災害時のトイレというタイトルの2枚の資料なんですけど、ぜひ皆さんにも一読してもらいたいと、お手元に配りました。
 私は個人的に、今ご紹介いただいたように、日常生活の中でも外出時にトイレっていうのは大げさに言うと死活問題というか、必ず車椅子用トイレがあるかとか、街中に行っても図書館、市役所、スーパーとか、どこにトイレがあったかという頭に地図があって、後1キロぐらいでトイレあったからそこに行こうと、主人と出かけることが習慣になっています。
 これが災害になった時にどうなるのかなというのが、阪神・淡路大震災のときの障害者の方のお話を聞く機会がなかったので、気になっていたし、皆さんもトイレが使えない、水が流せないという状況になったら、同じようにトイレが思うようにできない現実にぶつかるっていうことで、トイレのことは、水、食料、トイレ、これは絶対切り離せない三角関係だと思うので、ぜひ同じレベルで考えられるようにマニュアルで取り上げて欲しいなということで、今回お願いしました。
谷口氏
 非常に重要なご指摘だと思います。
 私の知っている中で、阪神・淡路大震災でどうだったかという事ではなくて、これから東海地震を迎え撃つ今日、みたいな、トイレの問題をどう考えていくかっていう事です。
 そこで会場の皆さんに質問します。指定された避難所に行くでしょうか。それとも近くの畑のビニールハウスで生活されるでしょうか。でもそういうビニールハウスに入っていれば、水も弁当も情報もきません。問題が生じます。
 最初にどちらを選ぶかってことは、被災者の自由かもしれませんけども、避難所に行かれたときに大量の人がいるという事があっても、食料と水がある。私自身も、震災のときにそんなたくさんの人がいるところ、いやです。隣にビニールハウスでもあればそこで生活したいと思います。そうなるといろんな事を考慮しないとサポートできなくなる。トイレの問題も含めて。そこを考えたいと思う。
 皆さんはどちらに行きますか。避難所かそうでないところか。







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