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5. 策5分科会 避難所における協働
課題提起者 牧野 明広 氏(西尾災害ボランティア会議)
ファシリテーター 谷口 仁士 氏(名古屋工業大学教授)
パネリスト 茅野 俊幸 氏(シャンティ国際ボランティア会)
パネリスト 広瀬 満和 氏(日本災害救援ボランティアネットワーク)
パネリスト 鈴木 隆太 氏(被災地NGO協働センター)
 
谷口氏
 牧野さんからの問題提起をいただいて、パネリストの方から神戸の震災の時はどうだったか、「避難所」をキーワードにしてお話をしてもらいます。
牧野氏
 災害ボランティア会議の牧野です。
 私たちは東海地震、東南海地震の被害想定地域で生活をしています。その中で住んでいることによって、被災する可能性もあります。そうなれば、私たちも被災者として避難所での避難生活をおくる事になります。そして、そんな状況の中でボランティア活動を行う人達も生まれてくると思います。
 今日のパネラーの皆さんは、神戸の震災の時に被災されたり、避難所に関わられた方たちですので、神戸では、どんな状況の中でどんな事がおきていたのかを聞くと同時に、あの神戸の被災地の中で、避難所生活がどの様に営まれていたのかをお聞きしたいと思います。その中でボランティアがどういう事をしたか。特に、ボランティアがどんな失敗をしたのかを聞きたい。
 ボランティアも、そのとき被災地の中で生まれたボランティアと外部から駆けつけたボランティアがいたと思いますが、それぞれどんな活動を行っていたのかも聞きたいと思います。また、外部からやって来たボランティアと被災地の人達との間で摩擦は無かったのか、東海地震が起これば、私たちと外部から来るボランティアといろいろと温度差があると思う。そういったところで、神戸の時にどんな問題があったのか、そんなことも聞きたい。
谷口氏
 キーワードとしては東海地震。これは、我々は避けて通れない。避難所、及び避難された被災者の方々の生活を含めた心理的な状況も、どのように考えるか。
 被災地内で被災者と非被災者に別れる。そうすると非被災者の方は、被災地域の中でどの様にボランティアとして活動するのがいいのか。どういう事に気をつけながら、力を出していくか。また、被害を受けていない地域から被災地に来たボランティアの方々とのそういった中での対応に絞って、お話をしていこう。
広瀬氏
 神戸に住んでいます。そして日本災害救援ボランティアネットワークという、西宮市にある団体に所属しています。
 避難所との協働ということですので、私と避難所ということでまずお話をします。
 1月17日、私は神戸市の兵庫区というところに住んでいました。自宅に寝ていましたけども、あの瞬間に家屋が倒壊しまして、午後過ぎてから地区内で火災が起こりました。避難ということでは私もその一人になるのですけども、避難イコール避難所という図式ができていると思うんですが、でも私は避難所には避難しませんでした。どうしたかというと、両親とそのとき住んでいたのですが、父親が避難所には絶対行かないと言い出しました。そこで、歩いて2時間くらいのところに知り合いがいて、声をかけてくれていたので、夜になってからそこをたよって避難をさせていただいたというのが、私個人の最初の避難生活でした。
 そこには3日間お世話になり、4日目に職場に入ることを決心して、20キロほど東にある西宮のほうに移動しました。当時、私は西宮のYMCAに勤めていました。8割がたの建物が全壊、半壊をした地域でしたが、なんとかYMCAの会館は無事だったので、近所の方が避難をしてこられました。
 まず館長が悩んだのは、ここは避難所ではないのだが入ってもらっていいのだろうか。近くに指定された避難所があるのでそちらに行って下さいと言った方がいいのではないか。いや、頼って避難されてきているのに断っていいのか。ちょっと躊躇したらしいのですが、頼ってきてこられた方にあっちに行けとは言えないということで、入って頂いたそうです。
 15家族くらい50人の避難生活がYMCAの会館で始まりましたが、指定された避難所ではないので、いろんな支援物資や情報がまったく入ってこないという問題がありました。
 私自身は戻る家もありませんから、職員として、宿直みたいな感じで1ヶ月ほど会館に寝泊りをするという生活をしました。避難者でありながらその会館の管理側であり、またYMCAは救援センターにもなりましたから、ボランティア活動にも関わるという、そういった形で私の震災は始まりました。
谷口氏
 広瀬さんの話では、阪神・淡路大震災では被災者になられた。お父さんから、避難所へは行きたくないとわがままを言われて、YMCAに避難されている被災者家族と過ごされた。指定避難場所でないので、物資や情報が入らなかった。鈴木さんにお願いします。
鈴木氏
 名古屋生まれ名古屋育ちの鈴木です。今は神戸にいます。
 最初のボランティアのきっかけは神戸ですが、避難所というのがボランティアの入り口でした。私が行ったのは指定避難所でした。そこにはちょうど3000人くらいの方がいて、体育館はぎっしりの状態。ほかにも教室や廊下に避難されている方が、ダンボールを引いて寝ていたり、ひとつの教室に複数の家族が分担して住んでいたり、小学校の中でひとつの小さな地域ができているというような状況が、最初の避難所の印象です。
谷口氏
 続きまして、茅野さんお願いします。
茅野氏
 シャンティ国際ボランティア会国内事業1課課長を務めております、茅野です。阪神・淡路大震災では、神戸のお寺を拠点にして活動を始めました。避難所の方との連絡、御用聞き役として事務所のほうに詰めて、補助給食を温かい保温器に入れて避難所に運んだりとか、補助給食の連絡をしたり、物資の足りないものを避難所に配給したり、そんな活動をしました。避難所の外から支援をしたボランティアですので、どこまでお話できるかわかりませんけど、よろしくお願いします。
谷口氏
 今日、3人のパネラーの方にお話をいただきまして、広瀬さん、鈴木さんは前線支援、いわゆる被災された方と直面されながらいろんなことをした、という共通点があります。茅野さんは、食料、必要物資を後方支援という形で活動された。これがうまくリンクしていけば、まさに協働という、ひとつのタイトルにつながっていきます。
 いくつかの経験をお話いただいて、まず、さらに詳しく、被災者の方々にどういう摩擦が起こるか、いきなりプライバシーを阻害されるような中に押し込められる時、何が起こるのか、そういうことを一つのキーワードにして、避難所のなかという切り口でお願いします。
広瀬氏
 先ほどのYMCAの避難所になってしまった所の話をします。本当に近所の被災者家族15世帯という所ですから、お互いを知っているので、いわゆる摩擦はなかったです。ただ、指定の避難所でないので何の支援も入ってこない、情報も入ってこない、それが当面の課題でした。
 具体的には、指定避難所にお弁当が配られた時期に、やっぱりうちも必要だという話になって、スタッフが避難所に行って、うちの会館に避難者がこれだけいますのでぜひお弁当こちらにも回してくださいというと、だめですといわれる。そこは避難所じゃないからだというわけです。そこで、こちらにも避難者がいるので、同じ学区内ですからぜひここの避難所のことも避難所だということを認めていただいて、次からはここの分も数に入れてくださいとお願いをしたところ、欲しいなら指定避難所へ移動してくださいといわれるわけです。すでに生活を始めているのにわざわざ移動しろとはあまりではないか、というような、いろんな話をしながら、最終的には回ってくるようになりました。
 そうすると今度は、避難をしている人たち以上のお弁当が回ってくるようになった。避難者といっても、会館に避難している人だけではなくて、自宅に避難している人、自宅には住めるから住んでいるけれども、ライフラインが寸断されているから支援が必要だと願う人たちもいます。自宅にいるからこの人たちは避難者ではないとは、言い切れない。そこで、そういう人たちにもお弁当を取りに来ていただいて、食べてもらおう、と配り始めました。
 ですから、いわゆる避難イコール避難所という図式からではなく、自宅にいる人も避難者だという見方の中で、それに対してどう支援していくのかが、ひとつ問われるところです。
 もうひとつ情報も同じことです。たとえば、ライフラインが今どこまでは復旧していますとか、仮設住宅の抽選が始まりますというような情報も、いわゆる公的な避難所には入りますが、こちらにはなかなか回ってこなかった。これも交渉をして、最終的には、YMCAの会館は準避難所という変な名前がついたものの、一応避難所として認知をしていただきました。指定ではないけど認知をしていただく、というような形で、いろんなものがいちいち言わなくてもいいようになってきた。次への教訓ということであれば、いわゆる避難所は公的な避難所だけではないということを、最初からみんなが意識しておく必要があるなと感じています。
谷口氏
 指定されていないところで避難生活をされた。非指定避難場所と呼ばしてもらいますと、そこで15家族。ただ避難家族は近所付き合いをされていたと言う事でしたが、家族間同士での問題は出なかったですか。
広瀬氏
 まあ仲はよかったです。たとえば、食事をするとゴミが出ますね。そのゴミの始末をどうしようとかいうことも、ステーションがあって車が回ってくるわけでないので、知り合いの15家族でもルールを作っとかないと、荒れてきます。ただ、そのことにYMCAとしては介入しなかったのですが、割と早い時期に、避難された皆さんが自分たちでルールをいろいろ作られました。
谷口氏
 やっぱり近所付き合いで知っているからということで、それでもルールは必要だと。大きな避難所ですと、役所の方がこられて運営される、ボランティアの方がこられていろんなことをされる。でも、非指定避難場所ではどうでしたか。
広瀬氏
 このケースでは、まったくの自主管理、自主運営でした。結果的に、皆さんルールを作っていただいたので、いろんな会館の使い勝手とかこんなふうにして欲しいとかこんな事はどうですかとか、パイプ役としての期待はかけられましたし、そのお世話はさせていただいたのですが、こと生活そのものに関しては、ほとんど関与しなかった。ひとつの特殊ケースと思いますが、参考になる事例かなとは思います。
谷口氏
 もう一つ、広瀬さんから重要なキーワードが出ましたね。在宅避難者、すなわちライフラインが止まっていますので生活ができない。このことは、今後の私たちにとっても、重要なことです。
 鈴木さん、避難者が3000人もいる指定避難所でのいろんな出来事について、お話いただけますか。







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