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第5章
祖父母面談
 「日本の総人口過去と未来」によると、平成14年の総人口は約1億2700万人であり、そのうち65歳以上の高齢者が占める割合は17.3%である。このままの増加率で推移すると10年後の2010年には22.5%、2030年には29.6%と全人口の約30%を高齢者が占めると予想される。このような急激な高齢社会の到来は世界に類を見ない。
 今後、高齢者とどうつきあっていくかは日本社会の課題である。
 
I 目的
 核家族が増え、祖父母(高齢者)の特性や寂しさを理解できない人たちが増えている。高齢者の特性を個人の欠点と勘違いして付き合うのは、祖父母にとっても若い人たちにとっても不幸である。子どもと祖父母の関係は、両親の態度や姿勢に負っていることが多い。この章は高齢者である祖父母の特性と接し方について学ぶ場である。
 
II 注意事項
1 高齢者の理解
 高齢者に接するときは、本来のその人の性格と加齢による特徴とをあわせて知る必要がある。
 高齢者を理解するときには、まず生まれたときから死ぬまで変わらない気質を中心にして、その外側に育つときの環境によってできた性格を、次に役割や職業によって創られた部分を見るとよい。その外側には発達段階による特徴(老年期は寂しさ)を、さらにその外側で、病気や障害の特徴(痴呆では不安)を考慮する。
 ここで肝に銘じなければならないのは、高齢者のプライドを傷つけないように対応することである。いかなる年代にあっても、プライドを傷つけられて怒りを覚えないなどということはないが、若ければ若いほど自信を取り戻す機会は多い。子どもなど、昨日できなかったことが今日はできるという経験を毎日繰り返しているため、自尊心の回復は速い。この対極にいるのが高齢者であって、彼らにとっては傷ついたプライドを回復するのは難しいことである。
 
高齢者の理解
 
2 高齢期の多様さ
 ここでは、歴年齢について考えてみよう。
 行政では65歳以上の人を高齢者としているが、心理学では、65歳〜75歳くらいまでをヤングオールド、75歳以上をオールドオールドに分けて考える学者も多い。前者は家庭や社会での重い責任から離れ、お金もエネルギーも、時間も健康もまだ残っていて人生を十分に楽しめる。それに比べて、後半になるとサポートがなくては生活が成り立たないことも増えてくる。高齢期の後半にはすべての人が障害者になるといっても間違いではない。視覚障害や聴覚障害に始まり、歩行障害、さらには痴呆、寝たきりなどに移行するのである。
 こうしてみると、「高齢期」と言われている時期は実に30年にも及ぶ。そのため、一口に高齢者と言っても、多様なイメージが描けるわけである。老いにおいては、子どもの発達標準のようなものがあるわけでもなく、個人差が最も大きい時期である。よって、高齢者の相談を受ける場合は、どの年代よりも個別性を重視することが大切である。
 ところで、ヨーロッパでは高齢化社会を迎えるのに40〜50年という長い時間がかかったのに対して、日本の場合はわずか20年で高齢化社会になってしまった。そのため、社会的支援の準備も間に合わず、高齢者とどう付き合ったらよいかと考える暇もないうちに高齢化の波が押し寄せてきたのである。現在はこの大波の前で高齢者もその援助者も不安にたたずんでいる状況であろう。個人の問題は社会全体の問題の中に起こっていることを、アドバイザーは十分に認識しておかなければならない。
 
III 面談
 面談をするにあたっては、高齢者の特性を知っておくことが重要である。高齢者の特性の1つは、前述したように個人差が激しいということである。高齢者と呼ばれる人の中には、第一線で若い人に負けないような働きをしている人もいれば、脳梗塞などの後遺症ですべての日常生活を他人に依存しなくてはならない人もいるという具合である。
 しかし残念なことに、高齢者には健康や障害に関係なく生理的老化による物忘れがついて回る。また記憶力の低下だけなく、老年期は「喪失の時期」とも言われ、一般的に経済力や人間関係、役割、健康などが失われたり狭くなっていく。特に健康を失うと、不安が高まり元気が失せる。また、労働収入がないという現状が経済的な不安を増大させ、お金や物にこだわり、ケチになるなどの傾向を目立たせることもある。
 しかし、それは突然表れるというより、もともとの性格が一層激しくなっていくだけの場合が多いと言われる(性格の先鋭化)。そのため、いつもそばにいる人にとっては、老化現象のせいというよりは、わざと意地悪をしているとしか考えられず、ついイライラしたり怒ったりしてケンカになってしまう。そうすると高齢者はますます意固地になって周囲を困らせるという悪循環に陥ってしまうのである。
 買ってきたミカンに自分の名前を書いて家の人には食べさせないというAさんがいた。家族は「名前まで書かなくても、私たちは食べはしないのに」と内心Aさんに対して悪い感情を抱いてしまっていた。関係はギクシャクし、ますますAさんはミカンに固執した。相談されたアドバイザーは、高齢者の特徴について次のように説明して家族の協力を仰いだ。
 「Aさんがミカン1つ1つに名前を書くのを見ていると、皆さんは自分たちが疑われているようで気持ちが悪いですよね。でも、これはAさんの老化による物忘れのせいなんです。名前を書いておかないと不安でしかたがないのですよ。ですから物忘れの不安をAさんから取り除くために、みかんに名前を書くのを皆さんが手伝ってあげてください」
 アドバイザーからこのような説明を受けた家族は、Aさんの行動が家族への当てつけではなく、しっかりしていると思っていた自分に自信が持てなくなった無念さと不安の表れであることがわかった。
 そこで、アドバイザーの提案に従って、和気あいあいと名前書きを手伝った。
 すると、家族の暖かさに触れたAさんはとても感激し、名前書きを手伝ってもらったお礼にと、家人にミカンを分け与えたという。
 ちょっとした誤解が人間関係を冷たくすることもあれば、このようにちょっとしたきっかけでお互いが理解し合えて暖かい関係が生まれることもある。高齢者と上手に付き合うにはいつも四つに組むばかりでは疲れてしまう。押してダメなときは引いてみたり、ユーモアを活用したりなど、臨機応変に取り組むのが秘訣である。
 また、高齢者は事柄より気持ちをくみ取る能力に優れている。たとえ痴呆になっても、相手が自分のことを好きか嫌いかを判断する能力は鋭い。嫌だと思う気持ちを笑顔で隠して接しても、それは瞬時に見破られてしまうのである。心から優しく暖かく――それが高齢者と接する上で最も大切なことである。痴呆であろうとなかろうと、長い人生を歩んできた先輩として尊重する気持ちが持てるかどうか、アドバイザーの人間性が問われるところである。
 そして、たとえ話が同じことの繰り返しであっても、それを嫌がらずに聴くことが大切である。「なぜ今、それを語るのか?」「なぜ、何度も繰り返すのか?」という気持ちを考える必要がある。外出することもできず、耳も聞こえにくく、目も見えにくく・・・テレビを観たり聴いたりすることはできても、複雑な内容や言い回しなどが理解できなければ、テレビさえ若い人と同じようには楽しめないのである。そんな状況では勢い、話題は楽しかったむかし話の繰り返しになるのも当然のことである。そんなときに、同じ話を初めて聴くような新鮮さをもって聴くことも、アドバイザーの重要な役割である。
 さて、高齢者の中には、ちょっとした身体の不調があると、「死んでしまうかもしれない」という不安に襲われる人もいる。この死の不安は、医師への頻回な受診に付き合ったり、専門家の説明をわかりやすく翻訳して伝えてあげることなどで、多少なりとも取り除くことができる。
 このように一緒に心配してくれる人がいる、頼れる人がいる、と思うだけで高齢者はストレスに耐えやすくなるのである。また、「死にたい」と言われた場合には、死にたいほど辛い現実をわかってもらいたいのか、それとも本当に死んで楽になりたいと思っているのかを見極めることも重要である。一般的に前者の場合が多いので、ゆっくり話を聴くことが大切になる。
 高齢者は「自分の話を十分聴いてもらえること」=「自分を大切にしてもらえた」と受け取るのである。また、気持ちよいあいさつ、思いやりのこもった声かけ、ときにはスキンシップなど、周囲の暖かい対応が生きる意欲につながる。このような心のこもった対応をするためには、高齢者の寂しさが環境に依存したものだけではなく、歳をとったというどうにもならない寂しさも含んでいることを知っておきたい。アドバイザーはこのような高齢ゆえの不安も理解し、それを若い人に伝えることも大切である。
 
IV ケースでみる祖父母面談
1 不登校の事例
[事例]
13歳、中学校1年生男子(B君)
[主訴]
B君は入学後、2日間だけ通学。その後は学校へ入るのが怖いと不登校状態
[家族構成]
祖父(会社社長)、祖母(役員)、父(会社員)、母(英語塾教師)、B君(中1)
[家族歴]
 祖父母は戦後、夫婦で大変な苦労をしてメリヤス製造会社を起こす。途中から祖父の兄が経営に加わり、その配偶者も事務の仕事を手伝う。祖母は数年前から役員となり、毎日通勤することはせず家にいることが多い。しかし、以前は会社の経理を中心に営業にも手腕を発揮しており、息子の養育はほとんどお手伝いと女性の職員に任せきりであったという。
 B君の父親は内気な性格で高校時代には友人も少なく落ち込むことが多かったとのこと。しかし、大学生になると人が変わったように多くの趣味を持ち、学生生活を楽しむようになった。海外留学も長く、約8年間にわたる大学生活をおくっている。経済的に恵まれた家庭だったからこそといえる。卒業後は父親の会社に入社したが、3年足らずで別の会社に移る。そして、その職場の同僚であったB君の母親と結婚する。
 B君が生まれると、祖父母は立派な二世帯住宅を建てる。費用は祖父母が全額提供し、B君と両親は2階に、祖父母は1階に暮らすことになった。住まいの構造としては、二世帯に区切られてはいたものの内部で自由に行き来できるものであった。
 祖父母にとって初めての孫であるB君は、彼らのおもちゃのようなペットのような存在になっていった。高価なおもちゃを次々と買い与えられたり、祖父母のお楽しみ会にも連れて行かれて、大勢の大人にちやほやされて帰ってくることもあった。
 B君が生まれてから祖母と母親の関係は日増しに親しくなっていった(嫁姑関係の改善)。母親は孫を可愛がってくれる夫の両親に対して感謝の気持ちと、自分の大切なものを貸してやっているという優越感もあったという。しかし、祖父母が旅行に行く際など「B君をよろしく頼むわね」などと言われると、まるで祖父母のものを預かっているようで寂しかったという。それでも母親は、近所の子どもに英語の個人レッスンをしている間などは面倒を見ていてくれるので助かっていた。また、父親のたび重なる転職のため収入は少ないものの、生活費がかからなかったので贅沢に暮らしていた。
 B君は小学校時代、家が学校に近く、その上高価なおもちゃがあふれていたので友人の溜まり場になっており、遊ぶ友達に不自由はなかった。先生にも可愛がられて成績も良く、幸せな小学時代であった。
 そんなB君にとって、中学校に行けないということは初めての挫折体験である。
 これは家族にとっても晴天の霹靂に等しい事件であった。母親は不登校が起きてから、自分が急に我が子の責任者の立場になったことに気づいて右往左往する。父親は盛んに格言を引用してB君に人間のあり方を説くが、聞いてもらえず不機嫌になる。祖父はフリースクールに話を聞きに行ったり、カルトまがいの宗教のパンフレットをもらって来たりする。家の責任者であるこの自分が何とか解決しなくては、と必死で情報を集めているのである。祖母は閉じこもりの孫に高価なおやつやご馳走を用意するなど、家庭サービスに精を出す。
 しかし、押しても引いても家族の力だけでは登校させることができない。
 数ヶ月たつうちに、不登校に関しては母親がリーダーシップをとりキーパーソンとなっていった。学校のカウンセリングを受けるのも、母親から父親へと進む。つまり不登校という問題にぶつかって、B君をめぐる家族の役割が大きく変化したのである。まず母親が祖父母の養育態度に疑問を持ち、祖母を面接の場に連れて来た。
 祖母の話によると、毎年恒例の旅行も孫の不登校が心配でキャンセルしたと言う。「学校へ行きたいのに行けなくてかわいそう」「寝たいのに眠れなくてかわいそう」。「かわいそう」「かわいそう」の繰り返しである。そして、かわいそうだから普段以上に優しく接しているとのこと。夜には、B君が寝つくまで足のマッサージを毎晩欠かさずしてやっているということもわかった。
 そこで、「足のマッサージはとても気持ちの良いものなのでぜひ続けましょう。ただし、孫が祖母の足のマッサージをすること。今までのお返しが済んだら、変わりばんこにすること」というルールを作った。これにより、人にしてもらう喜びばかりではなく、人にしてあげる喜びも教えてやらないと手落ちになってしまうとの合意が、家族とアドバイザーの間にできたのである。
 また、祖母は子ども(B君の父)が小さい頃、子育てより仕事に力を注いでいたことで息子と夫に、さらには嫁にも引け目を感じており、その償いの気持ちも込めてB君をたいへん可愛がっていることや、祖父方の甥が会社に入ったが、ゆくゆくはB君に継いでもらいたいと思っていることなどを話した。様々な思いが重なって若い両親に任せておけなかったという。
 母親も祖母の胸の内を聞いて、働く女性の葛藤に共感したらしく涙ぐんでいた。そして、将来、自分が後悔しないためにも、ここは夫(父親)と2人で問題の解決にあたりたいとはっきり気持ちを伝えてきた。こうして、カウンセリングの中で、B君の養育をめぐる主導権の交替ができたようである。
[解説]
 家族にはいろいろなタイプがある
 問題が起きたらばらばらになってしまう家族もあれば、問題のために協力態勢ができ、ばらばらだったのがまとまる家族もある。その違いは家族自身の健康度によるところもあるが、適切なソーシャルサポートに出会えるかどうかという、まことに運のようなところもある。そして子育てアドバイザーは立派な社会資源(ソーシャルリソース)である。うまく利用してもらいたいものである。
 さて、この「利用」ということについてであるが、家族というか人は、問題を利用してシステムを変えたり成長していくことが多い。そういう意味で、「問題=困ったこと」と単純に決めつけてしまわないことが重要である。逆に、問題を解決することのポジティブな面にも目を向けてみるとよい(肯定的な意味づけ=問題が起きたことで良かったこと)。この事例でも、B君が不登校になったことで、今まで不自然だと思ったり不満に感じたりしながらもやり過ごしてきた家族の問題に全員が協力して取り組むことができたのである。
 B君は幼児期から学童期に学んでこなかった基本的なソーシャルスキルを身につけ、自己中心的な人間関係を変えようと努力した。さらに親離れと真の友人関係を模索し始めた。
 父親は職場が思うようにならないと転職を繰り返していたが、子どもが思うようにならなくなったからといって取り換えることは無理なので、母親と協力して問題に取り組むことになった。成人期の課題である「世話」と真正面から取り組むことで、がまん強く妻を助ける夫に変化した。
 母親は祖父母の手から我が子を取り戻し、子育ての苦労を引き受けていった。
 これまでは経済援助を受けている負い目や、時々趣味と仕事のためにB君を預かってもらっていたので、家庭の運営や子育ては祖父母の意向に従ってきた。しかし、子の不登校をきっかけに生活の決定権と責任を自分たちに取り戻す覚悟ができたようであった。
 祖父母は社会的な成功を修めたものの、成人期の世話という課題に対して達成感を持てなかったせいか、孫の世話、あるいは結婚した息子の生活を援助することで、埋め合わせしようと考えたのかもしれない。
 祖母は、むかし息子に十分かまってやれなかったことを申し訳なく思っていた。また、息子を会社の後継ぎに育てられなかったことを祖父(夫)に対して申し訳なく思っており、また嫁に対しては息子が転職を繰り返していることを自分の育て方のせいだと気の毒に思っていた。祖母はこのような後ろめたい気持ちを払拭するかのように、孫の世話にのめりこんでいったのである。しかし、不登校が不自然な可愛がり方にストップをかけてくれ、祖母は嫁のサポート役にまわることを決心できた。
 
 常識はずれの気前良さや世話の焼きすぎの裏には、不全感やコンプレックスを解消しようとしている場合がある。特に高齢者は、それまでの長い歴史を背負って行動している。事例のように高齢者がでしゃばるにはそれなりの理由があるため、単純に性格だからといって片付けてしまうことはできない。アドバイザーが話を聞くことによって、家族もそれまでは「なぜ?」と疑問に思っていた祖父母の行動の理由が理解できたのである。







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