IV ワークショップ
この項は質疑応答形式で進める。
1 なぜワークショップ形式なのか?
ワークショップは、その名のとおり「自分がワークをする場」、つまり「自分の気持ちを働かせる」という意味がある。「気持ちが働く」とは、気持ちが動くことである。講義を聴いて気持ちが動けばよいのだが、実際には頭は動くものの気持ちが動くことは少ないようである。そして気持ちが動いても、自分が体験しないと忘れてしまう。人はよく「体で覚えたことは忘れない」と言うが、まさにそのとおりである。
さらに「考えたこと」と、実際に「自分が現場で体験すること」には大きなギャップがある。我々は誰しも初めてのことに遭遇すると慌てたり、不安になったりしがちである。ワークショップ形式をとることには、アドバイザーになったときに少しでも慌てずに済むよう、ワークをすることによって実際のアドバイザーの気持ちを体験していただきたいという思いが込められている。たとえば自転車に乗る場合に、マニュアルを読んだだけでは自転車に乗れないのと同じである。まず自分が体験してみて、わからなかったことを聞いたり教えてもらったりするほうが効率がよいのである。
2 子育てアドバイザーは何をすればよいのか?
子育てアドバイザーの仕事は、(1)相談者の話を深く聴く、(2)それによって相談者の問題を整理する、(3)情報および知識が必要な場合には、それを提供もしくは関連機関につなげる、(4)相談者が問題の決断もしくは問題を整理することが必要な場合には問題の整理をするために的確に介入する、(5)相談者が自分自身で解決策を見出せるようにサポートする、というものである。
「物事」についての相談なら知識や情報による解決策が適切であるし、「気持ち(心理的)」の問題にはカウンセリング手法が必要となるのである。
[例1]「物事」に対する介入
→「どうなさりたいのでしょうね」(どうしたいのか)
[例2]「気持ち」に対する介入
→「どのように、なりたいのでしょうね」(どうなりたいのか)
3 良い子育てアドバイザーになりたいのだが、できることは何か?
良い子育てアドバイザーになるためには、子育てに関する豊かな知識と、人とかかわろうとする気持ちがとても大事になる。まず知識の部分は、講義を受けて知識を学ぶこと、自分の経験と知識を関連づけて考えられること、そして本やメディアなどから新しい情報や知識を取り入れる努力と、それらを上手に利用できる柔軟な考え方で培われる。一方、気持ちの部分は、ワークショップなどの研修を受けて人とかかわることを肌で体験することによって、常に客観的な観点で相談者と接することができるよう、アドバイザー自身が自分を知るための努力をすることが必要である。
注意すべきは、アドバイザーがなすべきことは身の上相談ではないということである。あくまでも相談者が相談者なりに納得できる解決策を見出す手伝いをするのがアドバイザーの役目であって、「こうしなさい」とか「こうしたほうが良い」などと助言すべきではないのである。もちろん、「こうしなさい」と助言したことが相談者の解決策につながるのならば問題は起こらない。しかし多くの場合、相談者は「こうしたほうがよい」「こうすべき」と言われたことが実行できないために悩み、それ自体が悩みの種・問題となってしまっていることが多々ある。それを忘れてはならないのである。
では、「良いアドバイザー」とは具体的にどんなアドバイザーなのだろうか?
100人の相談者がいたとしたら、彼または彼女たちが望む良いアドバイザー像は100タイプあるかもしれない。誰かに話を聞いてほしいと思う相談者であれば、話をじっくり聴いてくれる人が良いアドバイザーであろうし、情報が欲しい相談者であれば適切な情報をくれる人、説明をしてほしい相談者であれば、納得のいく説明をしてくれる人が良いアドバイザーになるであろう。つまり、良いアドバイザー像とは、その相談者の好みや状況に左右されるということである。ただ、1つの目安としては、受講内容の知識を習得してワークショッブで提供された技術を身につけた人、さらに自分のことが好きな人であったなら、きっと「良いアドバイザー」と言えるのではないだろうか。
多くのアドバイザーは、相談者をもっと具体的な形で助けてあげたいという気持ちから、知識面でのアドバイスのみならず、気持ちの問題についてもつい「こうしたらよいのでは?」とアドバイスをしたくなってしまうようである。その気持ちはわかる。だが、それでは身の上相談になってしまうのである。
人生の中で50分程度、もしくは定められた時間、自分が困っている問題に集中してじっくりと話を聴いてもらったことのある人は少ないであろう。聴く側にとっても同様である。じっくり話を聴くことはとても稀な体験であり、さらにその行為自体が相手を肯定し、認めていることになるのではないだろうか。ときには、相談者がとても辛い悩みを抱えていて、何を言っても慰められないような気がしたり、自分が何かを言うことによってかえって傷つけてしまうような気がしたりすることがあるかもしれない。この場合でも、相談者の話を聴き、その時間一緒にいることによってサポートを提供していることになるのである。
どんなに優秀なアドバイザーでも、第三者の気持ちの悩みを解決することはできない。アドバイザーは、相談者とは違う観点を提供したり、共感したりすることによって相談者をサポートすることが大切なのである。
[事例]
相談者は2児の母親(長男5歳、長女8ヶ月)。1年前に長女が事故で亡くなって以来、何をするのも億劫に感じ、長男への影響が心配である。しかし、長男に対してあまり愛情を感じることができず、どうしてよいのかわからない。心療内科にも通院していたが、あまり効果がないのでやめようと思っている。
[解説]
人間のみならず、ペットの場合であっても、「死」にかかわる問題は強い喪失感が伴う。まして我が子となればその悲しみは筆舌に尽くしがたい。この事例では、心理的に喪失感やショック、怒り、罪悪感などを相談者が感じていることが考えられる。
[ガイドライン]
問題が深いぶん時間がかかるため、カウンセリングを提案する(「カウンセリングをお受けになると少し楽になられるかもしれませんね」)。
[有効な介入]
(1)ひたすら話を聴き、相談者の気持ちを介入として使う
例)相談者が「辛い」と言った場合
→「お辛いでしょうね」
相談者が「どうしたらよいのか、わからない」と言った場合
→「どうにかなるものなら、と感じていらっしゃるのかもしれませんね」
(2)「どうしたらよいのかがわからない」と言っているのにもかかわらず相談に来ている場合は、その勇気を認めてあげる
例)「“どうしたらよいのかわからない”とおっしゃっていても、こうして相談にお見えになっていますよね。勇気がおありですよね」などと言う
4 提案とアドバイスの違いは?
(物事ではなく)気持ちの問題に関しては、「提案」と「アドバイス」の境界線はとても細い線によって区切られているだけであり、言い方に左右されるようである。たとえば「こうしたほうがよいと思います」と言うと、明らかに身の上相談(アドバイス)になってしまうが、「○○をお考えになったことはおありなのかもしれませんが、××なのかもしれませんね」と言えば、選択を広げるための1つのオプションを提示したことになり、アドバイスにはならない。
そして、提案をした後、相談者がその提案に乗り気でない場合には、同じことを再度提案するのは避けるべきであろう。アドバイザー自身が相談者の立場であったなら選択するであろう解決策が、必ずしも相談者のとりたい解決方法ではないことを忘れてはならない。
情報を提供するのとは異なり、人に提案をするのは難しいことである。なぜなら、人は他人(家族を含む)から「したほうがよいと言われたこと」をするよりも、「自分で選んだこと」をするほうが抵抗がないからである。
もし、「したほうがよいと言われたこと」をして当事者にとって良い結果が出なかった場合は、その経験から得られるものはあまりないかもしれない。当事者が自ら選んでしたことではないからである。さらには、「人のせい」にして責任回避をしてしまうかもしれず、最悪の場合はアドバイザーの責任になってしまうこともある。日本はまだ、欧米のように簡単に裁判沙汰にはならない環境ではあるが、気をつけるにこしたことはないだろう。
5 「相談者の話を聴ける」とはどういうことか?
「聴く」ことはとても大事なことである。話すのは得意だが、聴くのが苦手という人もいるだろう。また、聴くこと自体は、何も新たに練習しなくても毎日自然にしていることだと思う人がいるかもしれない。しかし、実際には聴いていないことが多いのである。
[例]
「ねえねえママ、ママ、聴いてる?」。小さい手が私の頬をはさみ、娘は自分のほうに私の顔を向けます。私が聴いているのを確かめると、一生懸命に話し始めます。「ママは、ちゃんと聴いてるよ」と言っても、娘は「ううん、こっち見ていないと聴いてないよ」と言います。
この例はあくまでも1つのシチュエーションでしかないが、日常生活の中で普通に話をしているとはいえ、本当に向かい合って話すことは稀かもしれない。また、話を聴いているとしても、すぐに自分の意見を言ってしまったり一般論にすりかえてしまったりで、ちゃんとは聴いていないような気がする。あるいは沈黙があると居心地が悪くなってしまい、ついつい言葉を発してしまったり、話に結論が出ない場合は無理やりオチをつけたりすることもあるだろう。このように、「ただ聴く」というのは難しいことなのかもしれない。
我々が話をするのには、2つの要素がある。1つは知的な部分での情報の交換や物事の話であり、もう1つは気持ちの話である。この「気持ちの話」が通じて初めて相手との共感が得られるのではないだろうか。人間には1人ひとりその人が生きてきた歴史があり、自分の人生をどうしたいのか、どうなりたいのかということを決める力は各々が持っている。そのため、問題を抱えているときも第三者に自分の人生を決めてもらいたいのではなく、考えの整理や情報の提供、あるいは踏み出せるように背中を押してほしいだけではないだろうか。
相談者の話を「聴ける」ようになるためには、まず自分と話ができるようになることがとても大事だと思う。つまり、自分の声に耳を傾けて聴くことがとても大切であり「聴くことの初めの一歩はまず自分から」なのである。
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