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首都圏での「おやじの会」の立ち上げ支援事例
 
 校長先生が「おやじの会」について「ぜひこれを立ち上げようじゃないか」というパンフレットを配り、全保護者に強力に声をかけられたところ、昨年の10月の25日の夕方に5人ぐらいのお父さんが集まりました。
 お父さん達からは「これだけ子どもがお世話になっているので、そういう場があれば、ぜひ何かお手伝いしたい」という意見が出ました。それではということで、11月30日、雨上がりの日でしたが、「竜のヒゲ」という植物を校庭に植える作業のお手伝いをお父さん達に依頼されたところ、校長先生から声をかけられたということで、当日の参加者は、お父さん達、それからお母さん達、あるいは地域の人、あるいは高学年の子ども達が、50人ぐらい集まりました。最初の申し込みは多かったのですが、天候の具合で少し減りました。
 その後、関心のあるお父さん達の集まりを地域の公民館で持ったところ、10人ぐらいのお父さん達が来られました。
 先ほどお話したように、「自分らはこの地域に子ども達がいてお世話になっているし、これからもそういう地域の人との付き合いができる場面になるのならいい」ということで皆さんが集まって来られました。「次の行事は、具体的にどういう形でやるか」については、これからの課題になっていると思います。
 
土屋校長先生
 現状としては「おやじの会」はまだ立ち上げはできていない、それをまず結論として申し上げます。
 最初に、なぜ「おやじの会」をと思ったかというと、子ども達の関わりを見ていると、本校では、母親と子どもという姿しか、なかなか見えてこないという実態がありました。学校のなかに、やはり父親の姿や、その考えがもっと反映されると、子ども達も学校も変わってくるのではないかと思い、「おやじの会」の立ち上げを私のほうから強く働きかけているところです。
 大変忙しいお父さん達、土・日になると、肉体的にも精神的にも相当疲れているお父さん達をどのようにして引っ張り出すかというのは大きな課題で、とりあえず、本校に8名いらっしゃる「学校経営協力者」という方達に「こういうことでおやじの会を立ち上げたいんだけれども」という相談をしました。「まずじゃ、一度ぶつけてみたらどうか」というアドバイスを頂き、いちばん最初に全校に「お父さん達の学校デビュー」というプリントを配ったのが昨年10月です。
 そのときに集まった5名のお父さん達から、「先生、これは一体何のプリントなんだ」という質問を受けました。そのときに配ったのは「学校の東側道路に学校の土砂が流れ出るので、それを防ぎたい。そのためにお父さん達の力が必要だが、お父さん達のご意見もいろいろ聞かせていただきたい」という内容のプリントですが、「おやじの会」をつくりたいというのがメインなのか、労働力が欲しいというのがメインなのかよくわからないプリントになっていたところがありました。本当は両方とも趣旨としてあったわけですが。
 11月になって実施の案内通知を出したところ、結構反応があり、お母さん達や子ども達も含め、約50名ぐらいの参加がありました。みんなでやるのであっという間に作業が終わり、やはり父親の力はすごいなあという話になり、その後の懇親会の場でいろいろな意見を伺いました。
 いまはそこまでで、「おやじの会」の具体的な呼びかけはストップしていますが、水面下で少し動いております。
 もう1つ考えているのは、お父さん達の力を借りて今年度中に行いたい活動として、砂場の整備があります。これもまた労働力なんですが。お父さん達の力を借りないとできないということで、これを学校の教育に生かすところとつなげていきたい。こんどは父親限定でプリントを配って、ぜひ来てもらおうかなと思っています。
 
 校区に大企業の社宅もあり、転勤族が多くて、学校教育にあまり期待されていないという、又言いたいことがあっても「まあ、どうせ3年か4年で転勤だろうから」という意識を持った保護者が結構多いとのことですが、「とにかくいる間だけでも何かやりましょうよ。やって下さい」といった声かけはどんなふうにやっておられますか。
 
土屋校長先生
 学区域のなかに社宅が非常に多く、3年から4年のサイクルぐらいで異動してしまう、いわゆる転勤族の保護者がたくさんおられるという地域性があります。よって、学校のいろいろな取り組みに対して深く関わりを持ちにくい。持ったとしてもまたすぐに転勤をしていくので、学校としてもなかなか引き止めておくことがむずかしい。とりあえずPTAの活動が1つあるわけですが、そこにもお母さん達の姿しか見えてこないということで、別組織としての「おやじの会」を大切に考えていきたいなと思っています。
 あと、地域には「青少年対策協議会」という組織がありますが、その活動が非常に活発なために、それ以外にいろいろなものを求めなくても、その青少対の活動で地域の人達、保護者、子ども達は結構満足をしているということもあります。地域の活動としては充実していますが、学校内で父親達が子ども達と関わるのとは、やはり趣旨が違うと思うので、そういうことからも「おやじの会」を立ち上げていきたいと思います。
 
 
 小平六小は平成14年の夏頃から何か活動をやりたいという数人のお父さん達が動き出し、平成15年9月になってからいよいよ校長先生に、「こういうのをやりたいんだけど」といって申し入れたのがスタートです。
 この六小も八小と同じように地域でのお母さんたちのPTAの活動、あるいは青少対の活動が、非常に盛んです。にもかかわらず、お父さん達が数人で動いたというのには、たまたま子ども達が保育園か幼稚園かで一緒だったお父さん達が、何かのときに出会って「おーい、おれ達、何かやろうよ」と声を掛け合ったという背景があります。
 9月20日に「こういうのを立ち上げる」ということで、みんなに声をかけた。その中で財団の「おやじの会」のデモビデオを見てもらったり、「おやじの会」はこんなことをやっているといった話をしました。
 そのときも7、8人で集まっていろいろ話をしたのですが、経験がないので判らない。そこでプロジェクト推進委員の藤井さんがやっている「食の探検隊」というメニューを紹介し、11月9日に実施することになりました。
 その時は、35家族87名、大人が30人強に子どもが50人強だったと思いますが、集まりまして、藤井さん達の指導のもとに子ども達も入り、タイ国のラーメンづくりをやったり、いろいろなカレーのメニューを作ったり、試食ももちろんやりました。
 その後「やはり他の人にメニューを助けてもらうんじゃなくて、自分達でつくりたいね」ということになり、あれこれメニューを考えた結果、第2弾として芋煮会をやることになりました。
 「芋煮はどうやるのか」をインターネットで予め調べた後、12月20日の定例会でお父さん達が集まり、「これでいこう」ということになりました。その後、青少対の方から「うどんづくりもやろう。おれが指導するから」という話もあり、本年2月8日の本番には、未就学児童も入れて子ども達が60人ぐらい、保護者が38人、「おやじの会」が9人、その他学校の先生等あわせて115人が集まり、芋煮をつくるグループとうどんをつくるグループ、それぞれ3班ずつに分かれ料理に取り組みました。
 最終的にはその各班の料理はどれがおいしかったか、校長先生、教頭先生と栄養士の先生が採点したようです。お父さん達9人が、総合進行をやる人、受付やる人、芋煮を指導する人、うどんの指導にあたる人、遊びを指導する人というふうに役割を分担し、順調に動き出しました。
 これからどう拡大していくか、当日、お手伝いに来たお父さん達に「又、来て下さい」という声かけはしておりますが、これからの課題です。取り敢えずは順調に進み出していると言えましょう。
 財団ボランティアの吉田昭子さんもこれに参加されていましたね。第1回目のときはどちらかというと、親子の関係が中心である種のぎこちなさがありました。2回目は芋煮の会で、役割分担するなかで文字どおり1人のお父さんが全部の子ども達の面倒をみようという感じではないかなと思いますが、そういう観点も含め、気づいたことがあれば、コメントを。
 
吉田(昭)
 2回目のほうが、お父さん達の自主性というか、主体性がそこここに見られたということと、インターネットを使ったりして、とっても幅広く楽しくやっている。例えば受付の係の人は桜の模様の付いたお面をかぶっているとか、遊びのほうの指導をする人はタコの絵の付いたお面をかぶっているとか、そのようなアイデアもありました。
 それから、料理に際し、足りない材料を子ども達に実際に買いに行かせることで、それぞれの班で違う作品が出来上がった。「ああ、材料が違えばこういうふうになってくるのか」ということも子供達は学んだみたいだし、「材料がこのぐらい高い」とかそういったこともわかったようです。
 私はうどんをつくるほうのグループに入って見ていましたが、器用な子どもは、コックさんが使うような大きな庖丁でうどんを切っていました。子どもが切りましたので、何かスパゲッティのような感じになってしまったところもありましたが、それはそれで子ども達も自主的に料理に取り組んでとても楽しそうにやっていた、というのがやはりいちばん良かったかなと思います。
 
 
 
六小通信
 
ちょっといっぷく
H15.11.4







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