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第1 はじめに
 安全は、注意という対価に対して、その分け前が正しく、かつ、間違いなく支払われるものである、といわれている。
 しかしながら、個々人の注意は、事物の変化、事象の流れの中にあっては埋没しかねないほど極些細で限られたものである一方、各種組織や団体は、安全に対してその反応がすこぶる鈍く、注意という対価を強制的最低基準に抑制しているのが一般的である。
 他方、IMOコードは、海難調査の目的を学習による将来の事故の再発防止であるとし、この原則を体現するために、海難調査を個人の責任や懲戒の追及に留まることなく、組織や団体等の係わりにまで拡大、深度化し、人間工学的、管理・技術的安全に関する教訓を取得することができるように、各国とも法制度を改革したり、調査機関を整備したりして、実務をより積極化、明確化して調査を活動化させることを要請している。
 そのため、ドイツでは、2002年6月20日に海洋安全調査法という新法を施行し、調査主体の独立性と客観性を原則とした調査体制を構築するとともに、IMOコードに則った調査手法を導入している。
 本年は、昨年の米国沿岸警備隊及び国家運輸安全委員会に対する調査に引き続いて、欧州における、「ヒューマンファクターに基いた海難事故の調査・分析手法」と、「海上インシデント情報の取扱い状況」を調査することにし、平成15年9月25日(木)より10月3日(金)までの間、ノルウェーの海事局(Norwegian Maritime Directorate、NMD)並びにイギリスの海難事故調査局(Marine Accident Investigation Branch、MAIB)、航海学会(The Nautical Institute、NI)及びサザンプトン大學(Southampton Institute、SI)を訪問したので、調査結果を下記のとおりご報告申し上げる。
 
ヒューマンファクター調査研究委員会
委員 峰 隆男
 〃  石橋 明
財団法人 海難審判協会
理事長   小西 二夫
専務理事 佐藤 雅博
 
 以下のとおり
 
 ノルウェー海運は、8世紀から10世紀に渡って活躍したヴァイキングの時代から、船舶と乗組員の管理を目的とする法律や規則によって、船舶の安全を図るとともに船員の規律を正し、海運の秩序を維持しようとする政策のもとに保護され、かつ、束縛されてきた。
 その伝統が、ノルウェー海運界に今なお色濃く残っているのが実情であり、現在、海運の安全面と環境面に係わる全ての法令は、丁度100年の歴史を有するノルウェー海事局(Norwegian Maritime Directorate、以下「NMD」という。)が、その創案(Development)と運用(Administration)を担っているところであるが、海難事故の調査に関しては、後述のとおり、通常、同海事局に所属する6人の海難調査官(Maritime Investigator)が、船舶の堪航性(Seaworthiness of Ship)に係わる事項については警察権(Police Authority)を保有しながら、6区画に分割されたそれぞれの担当海域において初動調査に従事しているのが特異なところである。
 一方、ノルウェーは、海運国として、質の高い船舶と有能な船員の重要性、必要性を弁別するとともに、海上安全の確保や海洋環境の保全、或いは、船員労働や生活環境の向上を重視しており、そのため国際海事機関(IMO)や国際労働機関(ILO)に働きかけたり、欧州連合(EU)を動かしたりして国際協力に努める傍ら、国内法は、国際海事法を適宜取り込んで制定・改定を図りつつある。
 このように、海運界は、流動的な状況下にあり、海難事故の調査制度についても、各トピックの専門家による海事法委員会(Maritime Act Committee)が開催され、審理が行われてきた。
 同委員会は、法務省の管轄下にあって、海上分野において、ある種の問題に関する審査が必要と見なされれば、いつでもその目的のためだけに特別に開催される会議である。
 審理の結果、同委員会は、1999年11月、陸海空が一体となった調査機関の設立に関する報告書を提出し、爾来、同報告書は、各省庁、諸団体で討議されたのち、本年(2003年)秋には成案がノルウェー議会に提出され、2004年ないし2005年中には何らかの結論が出され、施行される見込みであるという。
 仮に、原案が認められた場合、運輸・交通事故の調査機関は、陸(Railroad)海(Shipping)空(Aviation)の各輸送分野(Transportation Field)が纏まった、総合的、常設的、統一的、独立的委員会(General, Permanent, Integrated and Independent Commission)となることが予想され、海事部門からは2名のExpertの参加が見込まれているが、Expertには現行の警察権(Police Authority)は付与されず、本委員会は、全く事実認定の調査機関(Fact-finding Body)となる模様である。
 ただし、国家が海技資格制度を設け、一定水準以上の海技知識や技能を有する者に対して免許を与え、危険とされる船舶の運航を許可する以上、国家は、同海技免許が正当、正常に行使されていることを常にフォローアップしなければならず、かつ、フォローアップに当たっては、免許の取消、停止等の懲戒が執行されることがあり、これらは生活権に係わるものであるため慎重な審理が求められることから、後述の海難審判等の制度は存続される模様である。
 このことは、英国の例を見ても首肯されよう。
 なお、総合調査機関に採用される2名のExpertは、現海難調査官の横滑りではなく、応募のうえ選抜されることになっていて、多くの海難調査官は、警察庁に移籍することになると見込まれている。
 また、海事局は、近いうちに現在のOsloから田舎に移転することになっていて、多数の退職者が見込まれていることから、いずれにしろ海事関係部局の業務の停滞が懸念されるという。
 
 NMDは、通商産業省(The Ministry of Trade and Industry)に所属し、海運・航行長官(Director General of Shipping and Navigation)をHeadとして、その下部に管理課(Administrative Department)、船員課(Seamen's Department)、貨物船課(Cargo Vessel Department)、旅客船課(Passenger Vessel Department)、沖合課(Offshore Department)、漁船課(Fishing Vessel Department)、及び、検査課(Inspection Department)の7課を有する組織である。
 また、貨物船、旅客船、沖合及び漁船の4課は、海上保安官(Maritime Safety Director)が、海運・航行長官のもとで管轄することになっている。
 一方、海難調査官(Maritime Investigator)は、海運・航行長官及び検察長官(Director General of Public Prosecutions)と同位にランクされており、その上、同検査官の下には下部組織が配置されておらず、独立性が極めて色濃く滲む地位にあることが伺われる。
 なお、現在の海運・航行長官は、商船会社出身で、長らく船長を務めたのち保険会社勤務を経てNMDに入局し、現在2年目という。
 各課の主な業務内容について見ると、船員課は、免許・教育室(Certification and Education Section)等を有しており、船員の教育、研修、資格、並びに、労働環境、生活環境に関する規定の作成と維持を担当するとともに、ノルウェー船舶の船員に対する福祉サービスを提供している。
 また、貨物船、旅客船、沖合及び漁船の4課は、全般的に各船舶分野に関連した認定、承認、監査及び一般統制業務を担当しているが、具体的には、貨物船課は、航行、無線通信、危険貨物、海洋環境の保護を専門とするほか、船級協会の監査も任務としている。
 一方、旅客船課は、安定性、救命用具、耐火性の分野を専門とし、沖合課は、ノルウェー石油管理局を援助するという特別な機能を負っている。
 その他、漁船課は、小型漁船のほかプレジャーボートの安全運航の奨励を任務としている。
 なお、NMDは、船舶からの汚染(大気、海洋)の防止及び海洋環境の保全に係わる問題については環境省(The Ministry of the Environment)に、また、プレジャーボートの監督(Supervision)に係わる問題については子供・家族問題省(The Ministry of Children and Family Affairs)に、それぞれ所属する(Subordinate)することになっている。
 他方、ノルウェー海事局(NMD)の管理、監督下にある船舶は、貨物船のほか、長さ15メートル以上のタグボート、旅客船、長さ13メートル以上の漁船、及び可動沖合装置であって、2002年1月1日現在、4,646隻が対象となっており、そのうち3,871隻はノルウェー船籍の船舶(Norwegian Ordinary Ship Resister、NOR)で、775隻は非ノルウェー船籍の船舶(Norwegian International Ship Register、NIS)となっている。
 また、乗組員は、35,722人が対象となっており、そのうち18,336人はノルウェー人で、17,386人は外国人(インド人、フィリッピン人、ポーランド人等)となっていて、NMDは、これらの船舶及び乗組員を管理、監督している。
 なお、規定以下の小型のタグボートや漁船については、その隻数の多さから、時折NMDが抜き打ち的に検査を行なうこともあるが、原則として所有者、或いは、所有会社が責任を持って管理・監督するように奨励されている。
 
 NMDの主な目的は、人命、健康、船舶及び環境の高度な安全性を確保することにあるとしている。
 具体的な例として、
(1)海事産業の発展のために、船員となる有能な人材を確保するとともに、船員に対して余暇の活用を積極的に推進するなど、社会福祉制度の確立を図ること。
(2)人命の安全を確保するとともに、人体への傷害及び船舶への損傷を防止又は抑止するための技術的並びに操作的各種条件の確立を図ること。
 また、船員を健康被害から守る労働環境と船内環境の提供を図るとともに、船舶が十分な積載能力を発揮できる手順(Procedures)の提供を図ること。
(3)船舶による環境破壊を防止するため、検査やPSC(Port State Control)による監督でもって技術的、操作的な解決策を用意し、汚染に対する安全性の向上を図ること。
(4)安全文化向上のために、海上保安の戦略的な取組みとして、監督任務及び統制業務を強化し、海運業者のシステムとその設備の増強を図ること。
 などが、詠われている。
 なお、検査課は、全国19箇所のNMD地方局に在籍していて、自国籍船の検査業務に加えてPSC業務も担当しており、2001年は、全寄港船の約25%に当たる453隻の外国船をPSCによって検査したという。
 
 海難事故の初動調査を行う海難調査官は、英国のMAIBと同様に、「海上安全の増進」と「海洋汚染の防止」を目的にして事故の調査を行うが、MAIBの検査官と大きく異なるところは、船舶の堪航性(Seaworthiness of Ship)に関連した事項については警察権を持っていて、海難事故や海上インシデントに関する報告書を作成する際、必要に応じて公訴権限を持つ州検事又は地方警察部長に対して法的措置に関する勧告(Recommendation)を行うことである。
 ノルウェーは、自国の海岸線を6区に分割し、Oslo、Kristiansand、Bergen、Trondhelm、Bode及びTromseに、それぞれ1人の海難調査官(Maritime Investigator)を配置する海難調査体制を取っている。
 各海難調査官は、商船の船長又は一等航海士という責任ある立場を長期間勤め、海事及び海運問題についての経験が豊富で、実務的な技術にも長けている30歳以上の人達で、Osloの海難調査官は、25年の航海士・船長歴があり、日本にもたびたび寄港したことがあるという。
 また、海難調査官は、ノルウェー海事局(NMD)に所属しているが、同局は、通商産業省(the Ministry of Trade and Industry)に置かれているものの、前述のとおり、船舶からの海洋汚染を防止するという問題に関しては環境省(the Ministry of Environment)と、また、プレジャーボートの管理に関しては子供家族問題省(the Ministry of Children and Family Affairs)とそれぞれ行政的な繋がりを持っていることから、海難調査官も必然的に同様の処遇を受けることになる。
 一方、NMDは、海難調査官が業務を円滑に遂行できるように、同官に対して事務所や施設を提供し、また、同官の給与や各種手当、必要経費等をカバーする年間予算を掌握しているが、海難調査官は、NMDから全く独立した地位(Very Independent Position)を有し、NMDとの繋がり(the Link)は、厳密な意味で行政的(Strictly Administrative)なもので、NMDが、海難調査官の業務や決定に干渉することはない。
 このような経緯もあって、海難調査官は、事務所をNMDの地方局と同じところに置き、調査を支援する調査官補佐といった制度は認められていないが、NMDから書記を付けてもらうなど、必要な事務的援助(これはNMDの義務となっている。)を受けるとともに、休日や不在時には海難調査官の間で相互に補完する体制を採っている。
 一方、海難調査官は、機関損傷事故など特別な知識を要する事案の場合は、各種事案に応じて臨機応変に外部から必要な専門家(Expert)をアシスタントとして雇用することも、一時的に活用することもできることになっており、同調査官は、これらの専門家とチームを造って調査することになる。
 その際、海難調査官は、荷物の過載に係わる事故の場合は港湾局、アルコールに係わる事故の場合は警察署といったように、事故に応じてヘルプを要請する機関を自ら指定する。
 事故の原因解明が困難な場合などに、1名の裁判官(Judge)と2名の陪席審判員(Expert Assessor)のもとで開かれる審判である。
 詳細については後述する。
 人命又は財産に重大な損害が発生した場合、或いは、調査範囲が広く調査の長期化又は複雑化が予想される場合などに、1名の最高裁判事(Supreme Court Judge)と2名(事案によっては1名ないし2名が追加されることもある。)の陪席委員(Expert Assessor)のもとで開かれる審理である。
 詳細については後述する。
 調査の対象となる海難事故(Marine Accident)は、船舶の国籍又は航行海域と事故の態様という二つの条件によって決められている。
 すなわち、調査の対象となる船舶は、法律上船舶と解されるものであれば、その種類や用途、大きさ等に拘わらず、世界の海域(河川や湖沼、内海、運河を含む。)にいる全てのノルウェー船籍の船舶、及び、ノルウェーの領海や内海、河川、湖沼にいる世界の全ての船舶である。
 また、対象となる海難は、堪航性法(the Seaworthiness Act)、Section 5によって、船舶の堪航性に係わる海難事故(Marine Casualties)や乗組員や水先人、上乗り人の死亡や重大な人身事故(Serious Personal Injuries、海中転落による溺死や重大な中毒事故を含む。)、或いは、運航、航海又は堪航性に関連した違法行為(Unlawful Matters associated with the Operation、Navigation or Seaworthiness of Ships、衝突や座礁、滅失、放棄、火災、爆発、荷崩れ、岸壁損傷等)とされ、これには海上インシデント(Marine Incidents)も含まれていて、海難調査官は、海上インシデントについても調査を行うことが義務付けられている。
 このことは、衝突や座礁は、損害発生の有無に拘わらず海難審判の対象になるとされていることからも首肯される。
 ただし、船上における事故ではあっても、停泊中の荷役業者や沖修理工の人身事故は調査の対象とならない。
 なお、ノルウェーは、海難事故の調査を旗国主義のもとで行っているため、パナマ船籍のNISがノルウェー国外で事故を起こしたときは、たとえノルウェー人船長が乗船していても、パナマに調査を行わせることになる。
 しかしながら、パナマから調査について協力要請があれば何時でもこれに応じるようにしている。
 海難審判が必要とされる(Compulsory Maritime Inquiry)事故が発生した場合、船長或いは船主は、電話等によってできる限り速やかに海難調査官に連絡(Notify)しなければならない。
 また、海難審理委員会の開催が必要と思われる重大な海難事故が発生した場合には、海事局に連絡しなければならない。
 一方、ノルウェーの国外における海難事故の場合は、ノルウェー領事館等の海難審判を管轄する事務所に連絡する。
 なお、海難審判の対象とならない荷役業者や沖修理工等の人身事故は連絡することを求められていない。
 また、重大な中毒事故には食中毒も含まれているが、軽度な食中毒は報告の義務を課されていない。







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