日本財団 図書館


1987/03/28 読売新聞朝刊
湖底の村 悲しますな 動き出した岐阜県・徳山ダム(解説)
 
 わが国最大のロックフィルダム建設でダム湖に沈む岐阜県徳山村が、今月末で廃村となり、二十七日、閉村式が行われた。
(岐阜支局 安部 順一)
 徳山村は岐阜・福井県境にある。総面積の九八・六%までが山林の村に、総事業費二千五百億円余の徳山ダム建設構想が持ち上がったのは、昭和三十二年。当時約五百世帯が住んでいた。
 計画によると、同ダムは治水、利水、発電の多目的ダム。毎秒十・五トンの水道用水と同四・五トンの工業用水を岐阜、愛知両県と名古屋市に送り、四十万キロ・ワットの発電能力も備える。
 当初は、村議会が「ダム建設反対」を決議。「なぜダムが必要なのか」「地形、地質から見てダムの建設は可能か」の論議もあったが、小さな山村では反対運動も長続きしなかった。
 やがて、長引く補償交渉は、村民の生活に微妙な影を落とし始める。「いずれ水没するのだから」と、公共事業はほとんど行われず、交渉に疲れた村民からは、早期合意を求める声も上がりだした。その結果、五十八年に村の徳山ダム対策同盟会と水資源開発公団との間で、総額四百億円の一般補償基準について合意、以後、村民の離村が増えた。
 しかし、経済は低成長時代。離村はしたものの町の生活になじめなかった村民の中には、村の治山工事などに働く人もあり、「ワシらはほんとうに故郷を捨てなければならなかったのか」との声が広がり始めている。
 総貯水量六億六千万トンという巨大ダムの建設は、ダム建設では「全国初の全村離村」という一言では片付けられないほど犠牲が大きい。
 加えて、将来の水需要は企業の節水努力などで、予想を下回りつつあるし、何よりも、巨額な事業費によって生まれる“高価な水”の買い手に不安も残る。公団は七十年代前半の完成を目指すが、行革時代に事業費をひねり出すのも難しく、着工への道のりはまだ遠い。
 さらに、公団との移転補償で未契約の十一世帯の不満は強く、水没する千百九十二ヘクタールのうち、四百四十八ヘクタールを占める共有地の交渉もやっと緒についたばかりである。
 四月から隣村に移る斎藤一松村長(60)は「悲しいという気持ちは、もうとうに過ぎ、いまは静かに“最後の日”を迎えるだけ」と淡々としているが、県内の集団移転地へ移る六十二歳の女性は「自分の家が壊されるところは、とても見られない。思い出がいっぱい詰まっているんだから」と、無念さをかみしめていた。
 故郷を失う悲しみは計り知れない。この巨大開発の功罪を問うには時間がかかろうが、犠牲となる村民の気持ちを忘れてはなるまい。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。

「読売新聞社の著作物について」








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION