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2003/05/20 毎日新聞朝刊
[記者の目]熊本・川辺川訴訟控訴審判決=米岡紘子(熊本支局)
◇国は「背信行為」反省せよ−−信頼はダム見直しから
 国がダム建設のため農家から集めた署名には、約1100人分の「ウソ」が交じっていた。16日、福岡高裁が「同意は必要数に達していない」と判断した「川辺川利水訴訟」の控訴審判決は、一度決めた事業を進めるためには、なりふり構わない国の姿勢を改めて浮き彫りにした。国の委託を受けた市町村職員は死者の名を書いたり、無断で代筆していた。判決はそれを「違法」とまではしなかったが、かかわったお役人たちにこれだけは伝えたい。「あなた方は国を信じていた人たちを裏切ったのだ」と。
 「知らしむべからず、由(よ)らしむべし」という言葉がある。「お上がやっていることは正しいのだから、黙って従わせればよい」ほどの意だ。農林水産省が94年に「川辺川総合土地改良事業」の計画を変えた際、地元農家からの同意集めで取った手法は、まさにそう映る。
 「負担金が必要なのにタダと言われて判を押した」「事業が取りやめになると言われて印鑑を渡したら、計画変更への同意書だった」。後で事実を知った農家の人たちは驚き、異議を申し立てたが農相に却下され、提訴に踏み切った。
 しかも農水省は、裁判所にすら署名簿の提出を渋った。1審はコピー、控訴審でようやく原本を出し、裁判官が5601人分を一人ずつチェックした。
 判決は国の説明不足については「違法とは言えない」と判断し、「だまされてよく分からずに署名した」と言っても、本人の署名・押印であれば数に入れた。それでもなお「署名と印影が本人のものと違う」偽物が273人、署名簿の作成時に死亡していたり、農家を継いでいない人が217人など、延べ1108人分のごまかしが分かり、計画変更に必要な「対象農家の3分の2」を割り込んだのだ。
 農水省はなぜ、そこまで無理をしなければならなかったのか――。
 そもそもこの計画は、国土交通省の川辺川ダム建設事業とセットで進められてきた。ダムの水で3590ヘクタールの農地をかんがいするもので、84年に策定された。「利水」は川辺川ダムにとって「治水」と並ぶ大きな建設目的の一つになった。
 しかしその後、後継者不足などで対象農家が減ったうえ、水をあまり使わない茶や酪農への転換も進み、計画は見直しを余儀なくされた。その時点で大がかりなダム導水をあきらめ、水の必要な地区・農家に絞った小規模事業に転換する道もあった。
 そうしなかったのは、既に動き出しているダム事業に大きな影響が及ぶからだった。農水省は同じ九州で諫早湾干拓事業(諫干)という「先例」を進めており、撤退は自己矛盾にもなりかねなかった。諫干の事業目的は、52年の構想発表時は「食糧増産のための農地造成」。それが70年に始まった減反で失われると、82年に「防災」という新たな目的を持ってよみがえっていた。
 似た例は枚挙にいとまがないが、問題は公共事業だけではない。薬害エイズを防げなかった厚生省や外交機密費を身内で使っていた外務省、情報公開請求者をリスト化していた防衛庁など、省庁では「何のため、誰のために働いているの」と言いたくなる事件・不祥事が続いている。
 それでもなお官僚を信じ、尊敬している人も少なくない。そうした傾向は地方に行くほど強く、今回提訴した農家の多くも、かつてはそうだった。原告副団長の古川十市さん(52)は土地改良事業の元推進委員。「国は農家のためになることをやってくれる」と信じて引き受けた。「自分を守るには、二度と国にだまされんよう利口にならないかん」。古川さんがそう話す時の口ぶりは、責めるというより寂しげですらある。勝訴しても1円の金も入らない裁判を7年間も闘い、車で2時間以上かかる熊本地裁、さらに特急列車で2時間かかる福岡高裁まで彼らを通わせた原動力は、信じていたものに裏切られた怒りなのだ。
 省庁にも地方に生まれ、「郷土の誇り」と言われて上京した人もいるだろう。民間に行けばもっと高い給料がもらえるのに役人になったのは、権勢欲だけでない志があったからだと信じたい。
 そうした役人の皆さんに呼びかけたい。どうかこの裁判で明らかになった過ちを「過去の一省庁の出先の問題」と、わい小化しないでほしい。国への信頼感が根底から揺らいでいる今、回復には「国民のために仕事をする」以外ない。手始めが川辺川ダム計画の見直しであってほしいと、清流の里から祈っている。
 
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