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世界海図あ・ら・か・る・と
 
胸躍る宝島の地図
 美しい入江を見おろすがけのうえに、ジム少年の宿屋はありました。
 ある日、自分のことを「船長」という老水夫がこの宿の客としてやってきました。
 その「船長」がやってきてから次々と事件がおこり、彼が死んだあとに残されていた一枚の地図には海賊の宝が隠してある島が描かれていました。この宝を探し出すという冒険物語が、英国の作家スティーブンソンの有名な小説「宝島」です。その地図には緯度・経度、付近の水深、島の山や湾や入海の名、それから船を安全な碇泊所に入れるに必要らしい注意などが書いてありました。これはまさしく海の地図−海図です。
 
 
世界の海図の起源
 人類が船で未知の海に乗り出すようになると、海図は船乗りにとってなくてはならない航海の道具の一つとして作り出され、発達してきました。
 世界で最も古い海図は、13世紀頃から地中海一帯の航海に使用されていた「ボルトラノ海図」と呼ばれるもので、海岸線と地名に加え、ところどころにコンパスローズを描きここから放射線状に目的の港への32方位線を描いた海図です。船は目的の港の方角に羅針盤(コンパス)を合わせて進みました。
 
ボルトラノ海図
 
日本の海図のはじまりは?
 豊臣時代は御朱印船貿易が盛んで、当時のヨーロッパで使われていた「ボルトラノ海図」が日本でも多く作られ、船乗りは遠く離れたルソン、カンボジャ、シャムなどの南の海に出かけて行きました。
 徳川時代(寛永10年)、日本は鎖国令のため海外渡航が禁止され、海図が縁のない時代が続きました。日本に鎖国を止めるように求めてきたロシア、フランス、イギリス、アメリカなどの国々は、航海安全の必要上ということで測量を行い、それぞれ自国の海図にその成果を記入していました。幕府はこうした外国人の手によって日本の沿岸が明らかになっていくことに国防上の不安を感じ、自らの手で測量を行い、必要な海図を出す決意をしたのです。その後、日本沿岸から瀬戸内海への西周り、東周り航路が発達し、沿岸航海用の質素で実用的な航路の案内図−「海瀬舟行図」が多く作られ、北前船などに利用されました。
 
「海瀬舟行図」大阪
 
 
ちょっと変わった海図
 ミクロネシアのマーシャル諸島では椰子の葉の枝柄に穴のあいた小石や貝殻をくくりつけた「スティックチャート」と呼ばれる海図が19世紀から20世紀初頭まで島々の住民に伝えられ、実際に使用されていました。
 小石や貝殻は島や環礁を意味し、椰子の枝柄は地図の骨組みであるとともに、海流やうねりの方向を示しているのです。
 
スティックチャート
 
 1700〜1800年代にかけて、この海図を使ってマーシャル諸島の海をかけ廻った。
 船の長さは6〜8m、中央のハウス状の空間には、30〜40人が乗船可能であったという。
 
■アウトリガー式カヌー







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