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  日本が非常に穏やかな国だったので何でもなかったのですが、たぶんイラクと同じようなことに、あのときなったかもしれないと思わないでもないです。答えになりましたか。 
司会 それではもう一方だけお願いします。 
質問 われわれいまに生きていますから、ついいまの国際情勢、世界のいろいろな状況に引き寄せてものを考えてしまいがちなんですが、ペリーが来たときはまだ150年も前の話で、当時のアメリカの国際的な地位がどんなものだったかということに興味があります。?ヒレミアスという人の?『ア・ミラクル・アメリカン・オン・ジャパン』という本がありますが、その中で知ったのです。ペリーが日本に来たときに、アメリカはハワイ、アラスカが州になったのは戦後ですから48州の時代が長かったわけですが、その新州には大西洋岸にはメキシコからとったばかりで州にはなっていなかったと思いますが、アメリカ本国のメインランドはほとんど手に入れた状態になっていた。 
 ところがその広いうちに、アメリカは2200万人しか人口が住んでいなかった。当時、日本列島は目安は独立13州の3分の1しかない面積の上に3000万人以上の人が住んでいた。ここから日本人は一歩も出ようとはしなかった。いったいどちらが侵略的なのだろうかという説もしています。すると私は当時の世界の文化はどうなっていたか知りませんが、ドイツは統一前で、どうなるかわかりませんが、ビクトリア女王の治世から10年ぐらい経って、まだ世界の情勢がパックスブリタニカの状態になり始めた時期でしょうか。 
 するとアメリカというのは、本当にそうだったのか。そのときの記憶を引き寄せて、いまの情勢を議論するのはいささか早計ではないかという印象をちょっと持ったので一言申し上げたのですがどうでしょう。 
半藤 いまのはおっしゃるとおりで、アメリカという国はまだ新興国なのです。やっと西部劇の時代が終わったというか、まだ終わっていない時代です。映画で観る西部劇などはまだこの時代です。そういう意味で世界的にみれば、ペリーが自分で言うとおり、まだできあがったばかりの国で、弱小国だと思います。ただ先ほどちょっと申しましたとおり、造船に関してはかなり世界をリードしていたみたいです。捕鯨国としてもアメリカは世界をかなりリードしていた。 
 だから国家としては、アメリカという国はまだ弱小国で人口も少ないし、いろいろな意味で大した国ではないのですが、そういう外へ出ていく海の上の国家、海洋国家としては世界の指折り数える国の中に入っていたようです。その意味では小さな国と考えないほうがいいのではないかと思います。 
 おっしゃるとおり、インドが植民地になり、シンガポールが植民地になり、香港が植民地になり、インドネシアが間もなく植民地になるわけですが、そういう世界の覇権争いからは、アメリカはかなり遅れていることは事実です。だからといってアメリカが弱小国であるとは、私もあまり思わないようにしています。どちらかといったら、日本はもともとはあまり侵略国ではないのです。ただうぬぼれ、のぼせた時代が日露戦争の後にあり、この時代が日本が間違った時代である。あとは侵略的な国民ではまったくないというのはペリーが言うとおりで、日本ほど優雅な、そして礼儀正しい国はない。それは誇っていいのではないかと思います。 
 ちなみに日本がなぜ悪い国になったかというと、日露戦争に勝ったことが悪いのです。勝った後というのは非常に難しいのです。日露戦争に勝った後、海軍も陸軍も何と全部の人が爵位をもらって貴族になるのです。東郷さんだろうが、乃木さんだろうが、東郷さんなどは2階級特進で伯爵になってしまうのです。これは明治40年で、38年に戦争が終わって2年後には皆、貴族になっています。 
 そのために皆、貴族にするために何をしたか。日本人がいかに日露戦争というものを苦心して苦心して、やっとのことで勝ったということを全部消してしまったのです。ですから皆を偉くするために、悪い話は全部消したのです。旅順の二百三高地でたくさんの人を殺した。何とばかな戦い方をしたのか。実際問題として、いま考えれば愚劣極まる作戦を組んだわけです。その作戦を組んだ参謀長が、何と明治40年のときに男爵になっているのです。男爵にするために、この人の名前はあえて伏せますが、皆さんご存じだと思いますが、この人のやった大間違いの作戦を全部消したのです。海軍もそうです。 
 そういうかたちで、つまり日本人はそこから本当の意味のリアリズムを失ってしまったのです。戦争というものがいかに厳しいもので、いかに一生懸命にやったか。そして借金だけ残った。そういう辛い思いをしてやっと勝った。そのためにこんな苦労をしたということを、そっくりそのまま残せばよかったのに全部消して、いい話だけ残したんです。そこから日本という国はものすごく出世主義というか、そういう国家になった。それからの陸・海軍人というのは、教わることは全部、調子のいい話ばかりです。そして勝てば必ず貴族になるという悪い風習だけが残った。そのために日本という国は日露戦争後、非常に悪い国になった。それが40年経って国を滅ぼしたといってもいいのではないかと思うのです。これは余計なことですが、付け加えておきます。 
司会 それではお時間がまいりました。半藤一利先生でした。どうもありがとうございました。(拍手) 
  
平成15年6月1日(日) 於:フローティングパビリオン“羊蹄丸” 
  
講師プロフィール 
半藤一利(はんどう かずとし) 
昭和5年(1930) 東京生まれ 
昭和27年(1953) 
東京大学文学部卒、文芸春秋入社 
「週刊文春」、「文藝春秋」各編集長、出版局長、専務取締役を歴任 
平成5年(1993) 
「漱石先生ぞな、もし」にて第12回新田次郎文学賞を受賞 
平成10年(1998) 
「ノモンハンの夏」にて第7回山本七平賞を受賞 
  
著書 
『日本のいちばん長い日』(文藝春秋) 
『指揮官と参謀』( 〃 ) 
『永井荷風の昭和』( 〃 ) 
『ソ連が満州に侵攻した夏』( 〃 ) 
『21世紀への伝言』( 〃 ) 
『真珠湾の日』( 〃 ) 
『日本海軍の攻防』(PHP研究所) 
『ドキュメント太平洋戦争への道』( 〃 ) 
『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)など多数 
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