昭和20年8月15日を迎えたときに私は中学の3年生でしたが、これから日本は文化国家をつくるのだと言われ、東洋のスイスたれ、東洋のスウェーデンたれという言葉も信じ、一生懸命に、ここにいる皆さん方と一緒に戦後日本の国づくりを始めました。そしてどこでどう曲がってしまったのかよくわかりませんが、いつの間にか経済大国などという素晴らしい国をつくったように思いました。その世界のGNP1位、2位といって世界中に胸を張ったときが、まさに1992年であったわけです。これも本当に語呂が合うんですが、40年間なのです。40年間で経済大国をつくった。
その翌年、バブルか何か知りませんが、それが全部紙っぺらのものでしかなかったということがわかり、そして新しいゴタゴタというかガタガタが始まりつつ現在あるわけです。つまり40年史観で言うと、まさに日本はいま滅びの40年のスタートをすでに10年ちょっと来たという状態にあります。あと30年後には、日本はもう一度ひどい国になるのではないか。2030年になりますと、働く人が日本の人口のほんの少数になります。2030年まで、私たちは生きていませんから、あまり偉そうなことを言わないで「さよなら」と言えばいいのですが、「さよなら」と言えない人たちは、やがておじいさんになったり、おばあさんになったりしているわけですが、そのときに日本人は働く人がいないのです。どうするのかと私は思います。もう一度、日本がどういう国になるのか、どういう負け方をするのか、滅び方をするのかというのが実は心配で心配でなりません。
はて150年という単位で考えますと、日本はどうやって考えても、外圧が来て、そして国づくりを始めて、国を滅ぼして、そして占領される。また新しい外圧です。ちょうどその外圧が終わって、つまりワンクールとしますと、外圧がきて、国づくりを始め、国を滅ぼして、また外圧でフーフーいいながら100年間です。1853年から1953年までの間は100年間、これはまさに日本がいま言った話です。
つまり日本はまた新しく100年間を始めたとすると50年過ぎたわけですが、国づくりを始めて40年経って、国を滅ぼし始めて、また40年かかった。ペリー来航150年をあまり喜んでいられないような気になっている次第です。ちょうど時間がまいりましたので、最後は心細い話になりましたが、滅ぼすような国にしないためにも、この機会にもう一度、日本のあり方を私たちは一緒になって考える必要があるのではないか。
そういうことを申し上げて、一応、私の話を終わらせていただきます。どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)
司会 半藤先生、どうもありがとうございました。せっかくの機会ですので、何かお聞きになりたいことがございましたら、お手を挙げてご質問をお願いします。マイクがまいりますのでよろしくお願いします。
質問 いろいろ貴重なお話を伺わせていただいて、どうもありがとうございました。大変幼稚な質問で申しわけないのですが、最後のほうに大統領が替わったという話としてという話がありました。もしかしたらそれでペリーの来航はだめになった可能性もあるかもしれないという話がありましたのですが、ペリーが日本に来るにあたって、意図とすごい大きな意気込みをもって来たというのはよくわかりました。
それでそのペリーの意図と壮大な意気込みが米国としての、国の国家意思みたいなものとどうだったのかということを知りたいのです。あるいは大統領が替わったら、もしかしたらだめになったかもしれないというお話があるとすれば、ペリーはむしろ国の意思というものに先駆けて、米国という国の意思に先駆けて国際的な外交、すべてを含めて日本への来航という行為を行ったのかどうか。そのへんを伺わせていただきたいと思います。
半藤 要するに大統領が替わる前のアメリカの情勢としては、西海岸への陸路がどんどん築かれていくことですから、太平洋というのがものすごくアメリカ人は夢みたいに大きなものと考えたようです。したがってペリーの日本遠征というものに対しては、調べた限りにおいては、ものすごくアメリカでは歓迎されているようです。だからその意味では、アメリカの世論としては、ペリーが日本に行って少なくとも港を開いて、アメリカの便宜のために港を開くということは、アメリカ人は全部歓迎したと言ってもいいかと思います。その点についてはあまり疑問はないです。
ただ共和党の人たちがやっていた政策なんです。それが私の仮説というか、調べてくればよかったのですが、年表を見ればわけないのです。大統領が替わったか、替わらないかを見ればいいのです。それが民主党の大統領に替わってしまったのです。そのときに政策は前の大統領の政策を全部やめたというのでひっくり返していましたから、アメリカががぜん変なかたちになった。ペリーがはじめは10隻なら10隻の大艦隊を引き連れて行くつもりだったのに行けなかったのは、大統領が替わったために当然、来るべき船がみんな足止めを食って遅れて来たという話も一方にあります。したがって、大統領が替わったらしいということはどうも正しいのではないか。調べてくればよかったです。
申しわけございませんが、そういうことで、そのときは世論がどう変わったかというのはまた微妙なことだと思います。あまり返事にならない返事になりましたが、最初のときは、アメリカ中は共和党政府のもとで大歓迎した。それが民主党に替わったときどうなったかというのは、いまお話ししましたとおり調べようと思って調べて来なかったので、仮説とだけしておきます。
司会 それではもう一方どうぞ。
質問 先生、ありがとうございました。一つわれわれの認識としてアメリカの考え方、ペリーの考え方、その後のハリス、ペリーとハリスを私たちはたぶん一体に考えていて、日米和親条約にしても、日米通商条約にしても、ハリスは砲艦外交とは言えないけれど、いわゆる砲艦外交の一つの流れを踏んでいたと思います。そのときに大統領が替わっているわけですね。替わったから、アメリカは変わったとか。その前はどうであったと言うよりも、その後の日米通商条約ができた後、明治維新になって、『米欧回覧実記』の久米邦武、彼らが日本とアメリカとの外交関係を平等の関係にしようと思って行ったけれど、門前払いを食った。
こういうことを考えてみると、アメリカという国がたとえ共和党から民主党に替わろうが、民主党から共和党に替わろうが、ほとんどアメリカという国の体質というものが狩猟民族的なというか、それは植民地をつくるだけではなく、今回のイラクの戦争を見ても、ほとんど同じような体質を持っているのではないかと思いますが、先生はそういうことについてどういうふうにお考えですか。
半藤 アメリカ論をするわけにはいきませんが、アメリカという国は、今度の話も含めて言うと、非常に自分たち独自でやりたがる国なんです。あまり協調主義はない国なのです。したがいましてペリーが来て、ペリーが先がけして一番乗りをして「さあやった」という国でアメリカ中が喜んだと思います。ただアメリカという国は、そういう意味では正直に言うと、ほかの国と仲よく話し合って、お互いに日本という国と何かやろうではないかなどということはおよそできない国だと思います。
いまの世界情勢を見ますと、私は人がどんなにアメリカの安保条約はどうのこうのという話をしても、アメリカのやっていることは、やはり一国攻撃主義だと思います。あの一国攻撃主義というものを私たちを含めた世界の人類がみんなで止めないと、地球というものは滅亡のほうに向かうと私は思います。つまりテロというものの可能性があるから、先制的に防御をするために攻撃してよろしいという戦争論というのは、およそ過去にずっとなかった戦争論なんです。この戦争論をもし許すならば、世界中が今度はテロ防止のために守備のための先制攻撃主義を許容しなければならない。そうなればあちらでも、こちらでも、俺たちは先に手を出すということになるのではないかと思います。
したがってアメリカという国の一国独走主義というか、ペリーの時代からそうなのですが、これは非常に危険なものと私は思っています。したがって早く国際社会はお互いの主権を大事にし合って、それと協調の上に成り立つ、国際法もそのためにあるということをはっきりと認識して、アメリカが世界の協調主義に戻ることが必要だと思います。
アメリカはモンロー主義といいますが、モンロー主義というのはアメリカが何も引きこもるということではなく、一国主義なんです。そういうことが非常にある国だと思います。したがってペリーの話も、アメリカがものすごく独走しているということは言えるかと思います。日本という国が非常に穏やかな国なものですから戦争にならなかったけれど、もし日本があそこで戦争をしたら、それこそイギリスも割り込んでくるでしょうし、フランスも割り込んでくるでしょうから、日本はいったいどんなふうになったかということは考えただけでも恐ろしくなります。
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