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I am the luckiest.
小橋 孝介(自治医科大学5年)
 "I am the luckiest"。「僕は、世界で一番ラッキーな男だ」とでも訳せばいいのだろうか。私の好きなBen Foldsというアーティストが歌うThe Luckiestという曲の一節だ。
 
 「出会い」というのは、本当に不思議なものである。まるで植物のように育ち、種を蒔く。大切に育てなければ、枯れてしまう。今回、フェローシップに参加して、沢山の出会いの「種」を手に入れた。国内研修で、フィリピンで、そして嵐のような11日間を共にして。今、一つ一つの種はもう既に、力強い、小さな芽を出し始めている。この小さな芽が育ち、大きな森となり実を結ぶ日はそう遠くないだろう。そしてその実は、新たな森を育んでいく。I am the luckiest。
 
 水も、電気も無い。草や虫を食べて生活している。日本という国の中で、透明人間のように、社会から忘れられて。私は、そこに光を感じることは出来なかった。貧しさとは何なのか。でも、そこには光があった。ベニヤを張った床に、隙間だらけのトタン屋根、ビニールを張った窓。6畳に生きる11の命。フィリピンのスラムにそれはあった。豊かさとは何なのか。I am the luckiest。
 
 小さな村で医療を続ける医師。WHOに働く医師。NGOの一員として難民キャンプに働く医師。厚生労働省に働く医師。大学病院で患者を診る医師。行き先は、沢山ある。そしてどれも、かけがえの無いものだ。自分に何が出来るのか、出来ないのか、そして何がしたいのか。自分だからできること。私の乗った船は、大波にもまれながら進んでいく。先を行く船の、沢山の光に導かれながら。I am the luckiest。
 
 I am the luckiest。13人の仲間、同行してくださった指導専門家の先生方、泉さん。笹川記念保健協力財団、厚生労働省やWHO。そして、目に見えないところで私たちを支えてくださった方々。皆さんに心から感謝したい。
 
 " I don't get many things right the first time. In fact, I am told that a lot.
 Now I know all the wrong turns, the stumbles and falls brought me here and where was I before the day that I first saw your face.
 Now I know that I am the luckiest. "
 
僕は、世界で一番ラッキーな男だ。
 
フィリピンで学んだこと
是永 葉子(慶應義塾大学医学部5年)
 線路の傍にひしめく家々、裸で寝そべっている子ども、石蹴りをして遊ぶ子ども、子どもの髪の虱(シラミ)を探す母親、賭事をして遊ぶ大人たち、御飯の仕度をする人たち、そしてトロッコを押すお兄さんの汗。今回の旅で一番の思い出となった「トロッコ乗り」の際に目にしたものである。線路とその傍にひしめく家々は永遠に続いているように見えた。自分の無力さを感じた。
 途上国の現状について学ぶ旅に参加したのは、今回が二回目である。前回の訪問先はタイで、当時は高校1年生だった。果てしなく広がる貧困地域を目にして感じた無力さは高校生のときと変わらなかった。山火事を前に呆然としている気分だった。「何かしたい。何かできないか。」という焦燥感と「こんな大きな問題は私の力ではどうしようもない。」という諦めの気持ちが交錯した。少なくとも、今のままでは何もすることはできない。
 では、どうすれば国際的に活躍できるだろうか。その答えは何かしらの専門性を身につけることだと思う。現在、医師が現地で直接医療行為をするような支援・協力の機会は減っており、医師は専門家としてmanagementに関わることが主である。そのためには、専門家の知識と技術が必要とされる。世界で専門家として活躍するためには、日本で一流でなければならない。生半可な知識や技術では、他国から求められる機会などない。WPROやJICAで活躍する先生方にお会いして、身にしみて感じたことである。
 このような想いを抱いて日本に帰ってきた。帰国後も「結局は教育が大事で、医者の出る幕はほとんどないのではないか。」「まずは日本の問題に対処すべきではないか。」「国による支援は日本の国益が絡んでいて、本当には相手国のためになっていないのではないだろうか。」「外国人が手を出すべきことではないのではないか。」「自己満足のためにやりたいのではないか。」などと、いろいろと考え込んでしまった。考え込み過ぎて立ち止まってしまった私を再び動かしてくれたのは、友人のアドバイスだった。「できることから始めればよい。」という言葉に救われた。考えることも大事だが、考えているだけでは何も物事は進まない。大きなことはできなくとも、簡単にできることは身近にたくさんある。まずは、水・食べ物を大切にすること、今回の体験を周りの人に伝えていくことから始めたい。そして、将来、好機を捕まえるために勉強に励みたい。小さな一歩でも踏み出さなければ始まらないのだ。止まっていればゴールにたどり着くことは決してないが、小さな一歩でも前進していればゴールに近付いて行くことはできる。自分なりの道を着実に歩んで行きたい。そして、この決意を忘れないようにしたい。日本は世界第二の経済大国で、この国の生活水準は特別なものであり、世界には多くの貧しい国々が存在することを、常に心に留めておきたい。
 最後に、笹川記念保健協力財団の方々を始め、このフェローシップを支えてくださった皆様に感謝の辞を述べたい。貴重な体験の機会を与えられ、また、素晴らしい先輩・仲間に出会うことができたことに心から感謝しております。素晴らしい11日間をありがとうございました。
 
フィールドワークフェローシップを終えて
馳 亮太(金沢大学医学部5年)
 フェローシップが終わり実家のある金沢に戻ってから、自分を日常生活に適応させるのに時間を要した。きっとフェローシップの11日間があまりにも濃密な毎日だったからだろう。今回のフェローシップでの経験が自分に与えた意味をここで全て語り尽くすのは難しいと思うが、少し思い起こしてみたいと思う。
 僕にとってフィリピンの訪問は今回が2回目で、前回は自分の大学の国際医療交流会というサークルの活動で訪れた。前回の訪問の際、フィリピンと日本の医療レベルの違いや社会の貧しさにも驚かされたが、何よりも驚いたのは、貧富の差についてだった。お金のある人が最先端の医療を受けることができるのに対して、貧しい人たちは安い薬を手に入れることができずに死んでいくという現実は、生きるために医療を平等に受けることができるのは人間の当然の権利だと考えていた僕に大きな衝撃を与えた。同時に日本の状況は世界的に見て、かなり恵まれた特殊な例であることを初めて認識した。それ以来、僕は医療におけるお金の重要性や平等性について考え始めた。今思えばその時の体験が、僕が国際医療という分野におぼろげながらも興味を持ち始めたきっかけであったように思う。
 意外にも今回のフィリピン訪問で僕が最初に気付いたことは、人々が貧しいながらも幸せそうな笑顔を見せていることだった。決して豊かとは言えない生活の中で、彼らは彼らなりの幸せのある生活を送っているように見えた。幸せにはいろいろな形があるはずで、彼らを不幸せと決め付けるのは、経済的に恵まれたもの達の傲慢さなのではないかとも感じ始めた。そのようなことを考えていると、医療に限らず、今行われている援助が本当に必要なものであるのか正直よくわからなくなってきた。
 しかしながら、僕が持ち始めたその感覚は、その後のメンバーの一人の発言によって消えることになる。その発言は「社会の貧富の差が激しければ、あの貧しい人々の無邪気な笑顔が暴力に変わることもあり得るのではないか」というものであった。高層ビルが乱立するマカティから車を5分走らせれば、そこには僕らが訪れたマラボンと変わらないスラムがあった。彼らはあの高層ビルとそのエリアから走ってくる高級車を見て何を思うのだろうと僕はふと考えた。世界で起こるテロの温床も根源的には同じものに違いない。完全に平等な社会は達成不可能であるし、それが良いものであるとは思えないが、ある程度の機会をみんなに平等に与えることは達成可能な目標ではないだろうか。特に健康はあらゆる活動を行うための最も根源的な土台となるものなので、全ての人が最低限の健康状態を維持できるように制度を整えることは重要であるだろうし、そのために必要な援助を行うことはやはり大切であると再び思い始めた。
 また国内研修では、今まで表面的にしか知らなかったハンセン病の問題について学び、目を海外に向けるだけではなく自国の問題にも注目していかなければならないと感じた。肥大する医療費、高齢化社会、コントロールしきれていない感染症など医療を取り巻く問題は日本の国内にも山積みになっており、より優れた国際協力を行うためにも自国の問題にしっかりと取り組んで土台を安定させていく必要があると強く感じた。
 今回のフェローシップの期間中に様々な方々に会い、お話を伺う機会を持つことができたことを非常に嬉しく思っている。笹川記念保健協力財団、WHO、厚生労働省、NGO、そしてJICA。それぞれの機関の人たちがそれぞれの形で国際医療に関わっていることを知り、一口に国際医療といっても関わり方は千差万別であることを今更ながらに感じた。尾身先生が「自分が好きだからこの仕事を続けられる」と講義の中でおっしゃっていたが、確かに自分に合った仕事を見つけることが非常に大切なことだと思った。そのために自分の性格、特徴を自分でよく知っておくことが必要であろう。
 また、第一線で活躍している人たちが、例外なく何らかの専門性を身につけているという事実は、これからの10年間をどのように過ごすかが今の僕にとって最も大事なことであると気付かせてくれた。以前から感じていたことではあるが、自国で通用しない人間が国際人として通用するはずはないだろうし、まずは国内の与えられた環境で頑張っていくことが重要であると改めて感じた。今後、国際医療保健に対する興味を心に残しつつ、自分の身を置く環境を探していきたいと考えている。
 今回のフェローシップでかけがえのない仲間に出会えたことにとても感謝している。他大学の医学部生と一緒に生活し、深く話をするといった機会は、僕にとって今回が初めてだったので予想以上に楽しかった。笹川記念保健協力財団がどのようにメンバーを選定したのかは知らないが、それぞれが強烈な個性を持ち、非常にdiversityに富んだ集団だった気がする。真剣に物事を話すことが敬遠されるような社会の風潮がある中で、このような言論空間に身を置けたことは本当に刺激的だったし幸せなことだったと思う。いろいろな人たちとの会話の中で自分にはない視点にたくさん出会えたことが今回のフェローシップにおける最大の収穫だったと感じている。また、今回のプログラムは単純な見学旅行ではなく、自分たちで企画運営する機会がいくつかあり、個の集まりがいろいろな話し合いを通して、お互いの特徴を掴んで、最終的にある程度のまとまりが生まれていく過程を見ることができたのはとても興味深い体験だった。最後の数日間いろいろと慌しかったために、みんなでゆっくりと話す時間がなかったのは残念だったが、同窓会の組織を含めてまたいろいろな形で関係が続いていくことを願っている。
 最後にこのような機会を与えてくれた関係者全ての方々と、多忙な中、我々の引率のために同行して下さった笹川記念保健協力財団の泉さん、菅野先生、吉川先生、そして11日間一緒に生活したメンバーに感謝の意を表したい。本当にどうもありがとうございました。
 
国際保健協力フィールドワークフェローシップに参加して
水本 憲治(京都大学医学部5年)
 腕には鳥肌が確かにたっていた。
 2000年5月に国連で開催されたミレニアム・フォーラムにNGOのオブザーバー枠で参加した折の食堂でのことだ。人種、宗教、文化、政治・経済体制の異なる世界各国から人が集っているその光景を目にして、僕はただただ興奮していた。腕にたった鳥肌は、多様性を持つ「人」に、どうしようもなく惹きつけられたことを意味していた。フェローシップの中で、自分の国際保健分野に関わろうとする動機を思い起こす度に、その光景が心に浮かんできた。そう、人への興味、それが僕の原点なんだ。
 話は変わるが、先のイラク戦争の際、実際に見聞きして知った現地の声は、世界世論と必ずしも一致していなかった。そうした経験から、僕は、" Whose reality counts? "という問いを考えるようになった。そして、その問いに対して、その現地の人たちのリアリティを重視する施策が重要であると考えるようになった。しかし同時に、そのリアリティを前にした私たちが、彼らのリアリティにどれだけ直結した行動をとれるのかも重要であると考えた。自然な流れとして、僕は「結果」と「効率性」を求めるようになっていた。そうして、目的に即した結果を効率的に出すことを偏重するようになっていた僕は、スタディーツアーのあり方の是非を問う、現場に直結しなさそうな質問には、学生は学ぶことが大事であると、現場見学を肯定する教科書的な意見で済まし、より現場に直結する問いを求めた。特に、今回のフェローシップでは、「学び」が目的だとして、フィリピンの人たちが置かれている現状や、その改善につながる効率的なアプローチ方法について情報収集することに重きをおいた。また、リーダーとしては求められる役割をこなそうとしてしまった。フェローシップも終わりに近づこうとしていたある夜、僕はメンバーの一人から、「人に対して優しい?」と、尋ねられた。メンバーのことをちゃんと理解していないよ、というメッセージだったのだと思う。その言葉をきっかけにして、僕はそれまでの自分の姿勢を問い直し始めた。−「目的とは何なのか?」「結果とは何なのか?」「結果を重視する中で、自己犠牲の美化はなかったか?」「大事にすべきものはなんだったのか?」−頭の中で様々な問いが飛び交い、ひとしきり混乱したあと、何が好きなのかという自分の原点を尋ねる問いが残った。
 僕の座右の銘に、' Warm heart, Cool head 'という言葉がある。「憂うならば、変えよ」と訳していたのだが、その言葉が言い表すように、現状の変化の方を重視して、現地の一人一人の気持ちや、自分の身近な人たちの想い、そして自分の気持ちというものを僕は軽視してしまっていた。僕は、人に興味を覚え、その心に触れていきたいという衝動に駆られたあの日を置き去りにしているのに気がついた。
 今回のスタディーツアーを通じ、他に、スタディーツアーが現場を荒らす可能性もあることを知り、「問い」には定まった答えがなく、ゆえに問い続けることの重要性を認識できました。そして、何より、それまでの自分のスタンスを省みることで、人への興味という、自分の幹を確認しなおすことができました。これから先は、その幹にそった枝をゆっくりと伸ばしていこうと思っています。最後に、先ほどの座右の銘は、'Warm heart and Cool head' となったことを併記し感想文を終えたいと思います。







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