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もっと気軽に国際協力
七條 光市(東京慈恵会医科大学6年)
 今回のフェローシップでは、なるべく現地の言葉でこちらから話しかけるように心がけた。
 「マイオハプン?」(こんにちは)
 「サラマッ!!」(ありがとう)
 「グアパ〜」(かわいい)
 現地人に会うと笑顔になり、これらの言葉を発したくなる自分がいた。楽しい。つながり合えている感じがなによりも心地よい。何度も同じようなやりとりを繰り返しているうちに、コミュニケーションのコツは自分をさらけ出し、相手の警戒を解くことだと思うようになった。
 自分は何が好きで、何が楽しいかと考えたときに、「国際協力」ではなく「国際交流」というキーワードが一番しっくりくることに気付いた。交流することで相互理解が深まり、すれ違いによるトラブルや争いも減るように感じる。自分の経験からしても、「いやな奴」と思っていた人もひとたび話しをすれば、「思っていたよりいい奴」と不思議とそれまでの嫌悪感は消えてしまうことがある。そういうことから、将来は自分の心に素直に、医療というフィールドを介して、楽しみながら「国際交流」を行おうと考えている。
 聖者のように自分の身を削ってまで良いことをしよう、しなければ、と思う必要はないと考えるようになった。無理をすると疲れてしまう。それよりは自分が得意でストレスを感じない分野で、わずかでも自分なりの優しさや思いやりを発揮できればと思う。そうした思いやりの気持ちは、大きさに差はあるだろうが、誰もが少なからず持っているものだと考える。一人でできることは限られているし、微力なもので、だからこそ、そうした個々人の思いやりが集まる必要性を感じ、それが大きな力となりうる可能性も感じる。そのためには乗り越えなくてはならない課題が2つあると考える。
(1)周囲の理解を得る
 日本では、国際協力に対する理解、価値観が低いため、国際協力にあこがれを持つ心やさしい人々の大多数が、社会の現状に飲み込まれ、その志の第一歩を踏み出せない状況にあると思う。これは非常にもったいないことであると考える。
(2)個々人の思いやりが現地の人たちに届くようにする
 個人が出したパワーが現地の人たちにとって、役立つものとして還元されているとはまだいえない。地域ごとに必要とされるものは異なるので、そのニーズを的確に把握し、そこにパワーを送り込めるようなシステムを個別に作ることが必要だと考える。
 これらの課題の打開策として、自分は以下のように考えている。
(1)今回のような海外での経験や自分が感じたことを国内にいる人たちに伝えていく
(2)現地にいる人々の中に入って、共に考え、その視点を大切にする
 
 自分は世界中の様々な人々との交流を介して、多様な独自の文化や価値観に驚き、感動しながら自分の人生をより豊かなものにしていきたいと考えている。最後に、今回のプログラム実現にご尽力された皆様方に感謝申し上げます。
 
フェローシップに参加して
丹藤 昌治(広島大学医学部6年)
 今回のフィールドワークフェローシップの活動内容自体は、別の項で述べられていますので、ここでは、このフェローシップに参加して、個人的に感じたことや、得たものを記したいと思います。
 自分は、4年生のとき、衛生学や公衆衛生学の講義を受けて、社会医学に興味を持ちました。もともと、政治経済や歴史といった社会的なものに興味があったことも影響していたのかもしれません。それ以来、公衆衛生学講座での研究の手伝いや、社会医学セミナーや勉強会への参加など、自分なりに社会医学を勉強してきました。そのうち、自分は将来、衛生行政に関わりながら、人々の幸せを全体的に考える仕事をしたいと思うようになりました。今回この研修に参加した動機は、医療行政に関わっていく上で、それに関連した国際保健にも、触れてみようということでした。
 このフェローシップが、自分にとって初めての海外でした。学生生活最後の夏、日本と異なる風土と文化の中、国際保健の舞台で活躍する人々の話を直接聞き、貧民街で子供たちと遊び、トロッコ列車で風を感じました。その場所で、自分で見て、聞いて、体験して、初めて分かるものがあるということを、実感しました。そして、自分の価値観を大きく揺さぶられました。
 共に参加した学生たちはみな、迷いながらも努力し続けていました。海外経験も豊富で、高い英語力と幅広い知識を持ち、さらにその力を磨いていました。同行された指導専門家の先生方も、真摯に努力し続けておられました。目指すものは、国際保健協力や地域医療など様々で、自分とは価値観も考え方も大きく違っていましたが、その中で、11日間みんなと一緒に旅をし、苦労を共にし、議論できたことは、本当に刺激的でした。生まれて初めて英語でスピーチする緊張感や、見知らぬ町の巨大なショッピングセンターで迷子になる恐怖。美味しいレストランを探して、ビール片手に友達と駆け抜けた夜のセブや、内緒の話で爆笑して、恐さも忘れた苦手な飛行機の中など、一生の思い出です。この仲間たちと学生最後の夏休みを過ごすことができ、本当に幸せでした。
 このプログラムを通じ、多くの刺激を受け、感じ、考えることによって、将来自分がやりたいことに対しての大枠ができたと思います。この先、自分がどうしていきたいのかを、よりはっきりさせることができました。英語に対する何となくの苦手感も、どのようなものかが分かることで、何をどのように目指せば良いのかも分かりました。自分の選択肢が増えました。自分の視野も、ぐっと広がった気がします。あとは、人生の節目節目で軌道修正をしながら、一生懸命やるだけです。
 今回、このような機会を与え、支えてくださったすべての方々に、感謝いたします。
 
最後の夏休み
鶴岡 美幸(愛媛大学医学部6年)
 「セブ島にいけるんだ・・・。」これがこのfellowに参加する第一のきっかけだった。高校生くらいまでは漠然と外国で働くことに憧れていた。緒方貞子さんは素敵な人だとテレビを眺めていた。でも医学部に来てそういう進路とは違う道に足を進めたと思っていた。バスケット三昧で過ごしていたら最終学年を迎えていた。このまま卒業して二年間の研修をして専門を決めれば、自分の将来はなんとなく目の前に続くレールの上をとことこと進んでいくだけだと思っていた。学生最後の夏は西医体とマッチングの試験で終わると思っていた。それがこのfellowに参加して、第二の思春期到来かと思うほど強烈な刺激を受け、悩み、考えた。この貴重な経験により様々なことに対する私の認識が大きく変わり何より世界の広さを知った。
 国際保健に関する知識がほとんどない状態で参加した私にとって、国内研修での講義は非常に新鮮で、新しいことを知る興奮の連続だった。日本の国際協力における組織の構造や仕組み、目的、援助の姿勢などのお話を聴き、これが後々フィリピンで色々なことを考える際に、大切な基礎となった。フィリピンでは、NGO、JICA、WHOとそれぞれが色々な角度で国際保健という大きなものに関わっていることを実際に目にすることができた。
 また、このfellowを通じて考えたことのひとつが、「援助とは一体何なのか。人の幸せって何なのか。」ということだった。色々な場所に赴き、中でも殊更に私の心に響いたのは家庭訪問をさせていただいたときのことだ。ブロックと板で囲まれた狭い空間に10人家族で暮らす彼らはとても幸せそうに笑っていた。私には、とても幸せそうに見えて日本人より幸せそうで羨ましかった。一緒に折り紙をしながら、この子たちの夢は何なのだろうかと思い聞いてみた。恥ずかしがりながら、わからないと言っていた。マニラの街は混沌としていて、バスから見る風景は線路沿いに仕切りを作って住む人々の生活と高層ビルが同時に映る。彼らはこの状況に何を感じて暮らし、何を望んでいるのだろうか。一緒に折り紙を折った子たちがいつかあの高いビルから街を見ることもあるのだろうか。あのビルに上りたいと思うのだろうか。それともそんなことは余計なお世話なのか。
 この11日間で一体何人の人と出逢ったのだろう。様々な場で活躍されている先生方のご経験を生で聴くことは強烈な刺激だった。そして、私の将来にもまだ選択肢があったのだと、自分が認識できる世界が広く広く開けた。また、参加した皆の見識と視野の広さにも驚き刺激された。このfellow中、色々なものに触れ自分が何かを感じたり悩んだりしたときに、それを聞いてくれる人がいて、共感したこともあったし、時には厳しい意見が返ってきたこともあった。その繰り返しで私は計り知れないものを自分の中につめ込んで反芻して、はちきれそうになって、海老の恐怖も感じつつ帰国した。
 人と出逢い時間を共有することの素晴らしさはpriceless!
 最後にこの機会を与えてくださった多くの方に感謝いたします。
 
参加した意味
喜多 洋輔(三重大学医学部5年)
 自分がフィリピンまで行き、さまざまな経験をするということはどういう意味があるのか?異文化でのサバイバル?貧困の体験?医療協力の実際を学ぶため?WHOの現場を見るため?自分を見つめ直す旅?など、それこそ、いろいろな要素が考えられるだろう。
 国際協力の現場を見るという点では、かつて私が大学のサークルでカンボジアに行ったときと大差はなかった。むしろその時の方が自分たちですべての訪問先と交渉などを行ったという点では主体的であったかもしれない。しかし、私のように将来的には海外でも活動をしたいと思っている者にとって、やはり学生時代でもできるだけ海外での経験をしておくことは非常に貴重だと思う。
 医師になってからで充分ではないか。学生時代はしっかりと日本で医学を勉強するべきではないか。そういう疑問もあった。しかし、今回フィリピンで会った、ある日本人の方がおっしゃっていた言葉がヒントになった。「医学生時代、数カ国の医療制度を現地で見る機会を与えられたが、社会人になっても与えられるものは結局同じだ。要は、それをいかに解釈し、分析し、conceptualization、modellingするか、という個人の能力が問われてくる。」とおっしゃっていた。結局、経験というインプットは自分の立場が変わってもさほど変化はない。医師になっても医学生であっても、確かに医療に対しての関与の程度の違いはあれ、基本的に経験できることは大差ないであろう。そこで、重要なのは学生という、自由で、まだ進路決定をする前の段階から、自分の感性を最大限生かしてより多く見て、より多く聴き、そして感じてくることであると思う。
 カンボジアで農夫の働く姿をみて、まったく何も感じない人と、そこに深く感動をおぼえる人がいる。フィリピンのスラムで人々と交流して深く感動する人と、ただ通り過ぎる人がいる。人の話を熱心に聴き、心を豊かにして感じるということ。そのような天賦の才に恵まれている人もいるが、私のような人間には練習と経験が必要であろう。物事を冷静に見つめ、人の話を虚心になって聴き、自分のもてる感受性をもって感じ、考察し、アウトプットする。結局のところ、そういう目を養うために行ったのではないだろうかと思う。
 
◆生きる公理
 内村鑑三の「後世への最大遺物」という本に感銘を受けたことがある。彼は生き方として、事業を行うこと、お金を貯めること、教育に携わること、思想を残すことなどを挙げ、それらを特別な人のみができる意味のある生き方であるとする。しかし、事業家にもなれず、金を貯めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできないような人でもできる普遍的に素晴らしい生き方があると説く。誰でも後世へ残せるすばらしいものとは何だろうか。
 それならば最大遺物とは何であるか。私が考えるには、人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思う。
 メディアなどで流される情報を見ていると、戦争、犯罪、自殺、不景気など暗い話題が多い。人々は自己防衛に走り、若い人々の進路も自ずと保守的なものになりがちである。勇ましい高尚なる生涯とはどういうものであるか。
 
 失望の世の中にあらずして、希望の世の中であること
 悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるということ
 
 それを生き方で示していくことであると、内村鑑三はいう。それを実行するためのフィールドとして、医療や国際協力、またはその結節点としての医療協力というのは魅力的な進路なのではないだろうか。
 最近のマクロの流れでは、Human Securityというコンセプトがある。「人間の安全保障」と訳されるが、経済学でノーベル賞を受賞したアマルティア・セン教授と緒方貞子氏が中心になりまとめた概念である。「紛争」と「開発」はこれまでのように別個に考えるのでなく、包括的に扱うべきだと云う。紛争が貧困を引き起こし、貧困が争いを招くのだから問題は盾の両面なのだから。
 この新しい安全保障というのは対症療法的に対処することではなく、テロを含む紛争が生じないように予防措置を講ずるということである。そのために問題の根源を貧困に見る。今日の世界に見られる貧困という病理を対象にしていくことが平和を担保することにつながっていく。また、人間の安全保障とは、国境という概念を越えた犯罪組織、感染症や破綻国家の存在により、従来の国家単位の安全保障では守りきれなくなってきた個人を、個々の人間を単位にその安全を保証していこうという視点が包含されている。実際に行われていることは、教育、保健、国際交流などさまざまな範囲にまたがっている。こういう意味でも、国際保健活動は、人間の安全保障という概念を通し、世界の平和を構築できる可能性を持っていると思う。
 今後、臨床医としてこのようなフィールドで生きていくか、行政などの場で生きていくか自分ではまだ方向を定めていないが、「勇ましい高尚なる生涯」を送れるように、その時その時、ベストを尽くして頑張っていきたいと思う。







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