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2003 国際保健協力
フィールドワークフェローシップ
参加報告
 
フェローで得たもの、そしてこれから
藤川 愛(香川医科大学大学院医学系研究科1年)
 今回、このフェローシップに参加して、日本でただ漫然と生活しているだけでは掴めない多くの現実を見て体感し、自分の持つ価値観を根底から大きく揺り動かされるという得がたい経験をさせていただきました。そして、これからの進路について何をすべきか迷っていた自分の背中を力強く押してもらった気がします。
 フィリピンに行って最も印象に残った事は、NGOの協力を得てスラム街に行き、実際に住んでいる人たちと関わり、彼らの生活圏を体で感じられたことです。そこには自分の想像を超えた劣悪な現実がありましたが、その一方、地域の健康問題を少しでも良くしていこうと活動する元気なお母さんたちとも触れ合うことができました。彼らの住環境の悪さや国内間の顕著な経済格差など、改善していかねばならない問題は山積みであるわけですが、かわいそうであるとか、気の毒であるという思いはそれほど沸き起こりませんでした。スラム街に同行していただいた穴田さんがおっしゃった、「彼らは貧困ではあるが不幸ではない。」という言葉が私の思いをうまく言い表していると思います。このような隣近所の顔が見える地域のなかで共存して生きていけるという状況は、核家族化や独居老人の孤独死など都会化した日本が新たに抱えている問題と比較すると、どちらが幸せなのか判断がつかないのではという気さえしました。もちろん、彼らの住む環境や職業、収入などは結局限られたものの中から選択を余儀なくさせられているという現実は常に忘れてはならないのですが。
 また、フェローでの経験を通して、国際保健も国内保健も言語の問題や経済格差、病気の質などの違いはあっても、極端な違いはないであろうという考えに確信を持つことができました。もちろん社会制度の不備や失業率の高さや絶対貧困層の多さなどの社会問題や、マラリアなどの感染症の問題は現代日本では見られないものですが、日本も途上国が擁するほどの明らかな形ではないにしろ、同様の問題を抱えているはずです。それに、おそらく日本の大多数の方々は、海外向けの国際協力よりも僻地医療問題など国内で未だ山積みの問題を解決する方が先ではないかという意見を持っているでしょう。確かに日本人として自国の問題を優先するほうが自然なのかもしれません。(ちなみに、国外への人材流出の多いフィリピン人自身が自国の問題に対してどのような思いを抱いているのかについてとても気になりました。また次の機会に現地で聞こうと思っています。)
 一方、アジアなどの途上国が抱えている貧困問題やハンセン病などの感染症問題は、かつて日本が経験した問題でもあり、同じアジア人として、その経験や技術をお互いなんらかの形で共有し、生かせるのではないかという思いもあります。(実際にはフィリピンで見てきたJICA結核対策プロジェクトのように日本からの技術移転で成功した例もありますが、一方、まだ成功とはいえないプロジェクトもあるようです。また、帰国後にJICAから派遣された医療スタッフからの経験談を聞く機会があったのですが、限られた期間の派遣ではなかなか一筋縄ではいかないことが多いとのことでした。)
 そういったことを踏まえると、このフェローでの経験を通じて、今後自分が何をすべきか、より明確になった気がしました。具体的には、まずは自分の持つ知識やスキルを磨くこと、また、日本の抱える問題に対して精通しておく必要があると感じています。自国の抱える問題やその対処についてのプロフェッショナルになることで、いつの日か国内外を問わずそのことを生かせるチャンスが来るのではと思えました。
 またこの期間中、参加者各自が、援助するとはどういうことかというテーマに直面し、そのテーマについて考える機会を得ました。結局この議題は最終日まで引っ張られたわけですが、おそらく日本国内でも援助に関しては様々な意見があり、各自それぞれの価値観を反映する内容でもあるため、そう簡単に答えが出ないのは当然と思われました。また医療以外の要素も大いに含む議題なので、答えを求めるためには知識や勉強も相当必要でしょう。私が現地での経験から個人的に重要だと思ったのは、まずは現地でどのような援助(協力)が必要とされているかのリサーチを事前に行うということです。このテーマについては、皆の成長と新たな経験を通して考え続けていきたいと思っています。
 最後になりましたが、今回のフェローのためにご助力していただいた笹川記念保健協力財団の皆様、また国内外でレクチャーしていただいた先生方、コーディネートしていただいたスタッフの皆様方に厚く御礼申し上げます。
 
 
フェローシップに参加して
板谷 雪子(埼玉医科大学6年)
 フィリピンから帰国して、自分の日常に戻った。一体この11日間は何だったのだろう。私の場合、おかしなことに、この「国際保健協力」を学ぶ旅の中で一番考えたことは、自分自身についてだった。それについては帰国後も引き続き考えていて、まとまったことは書けそうにない。そこで、何とかたどり着いた二つの結論をこの旅のまとめとしたい。
 
 長い学生生活のうち、やったことといえば「バスケと合唱」としか答えられない。応募の履歴書にも書くことがなくて困ったくらいだ。だからそこには、「興味はあるが、知識はないので知りたい」という内容を正直に書くしかなかった。その頃の私は「国際協力」も「援助」もほとんど同じ意味にしか捉えてなかったわけだが、このフェローで、「国際協力」の一つとして「援助」という形があるとわかった。同時に自分のやりたいことは、「援助」ではないのかもしれないと気づいた。
 この旅の一つの結論、「どういう形にせよ、国際協力に携わるのは面白そうだ!」
 
 海外は初めてというわけでなかった。しかし、見ず知らずの人間と11日間を共に過ごすということは、私の人生の中では「かなり、ありえない状況」だった。加えて連日の睡眠不足、英語、ありえないことのオンパレードだった。フェローに参加できたことは、本当に幸運なことだ。この旅でしか出会えなかったであろう様々な人々との出会いに感謝したい。
 心に残る言葉や思いやり、たくさんのものを貰った、感じた。その中でも共に旅したメンバーは格別だ。このメンバーだからこそ言えたこと、熱い話、涙、いろいろあった。それぞれの豊富な知識・見識、コミュニケーション能力に感心しつつ、私は皆の優しさにどっぷりと甘えていた。個々の意見に接し、右往左往しながら自分なりの考えも輪郭ができてきたように思う。
 この旅の一つの結論、「フェローでの出会いは宝物だ!」
 
 最後に、このような機会を与えてくださったすべての方々、お世話になったすべての方々に心から感謝いたします。この研修で得た経験と仲間に刺激を受けながら、これから自分を磨いていこうと思っております。本当にありがとうございました。
 
情熱と現実のはざまで・・・
倉田 智志(九州大学医学部6年)
 私は今回のフェローシップに一緒に参加した仲間の多くとは違い、昔から国際保健というものに興味を持っていたわけではなかった。医療の一分野に国際医療というものがあり、そういった場で働いている医療従事者がいるということを知ってはいたが、それ以上のことを学ぼうとはしてこなかったし、将来そういった仕事に就こうなどとも考えてはいなかった。そんな自分が国際保健というものに興味を持つようになったきっかけは、今年の春にインドのマザーテレサの施設に行きボランティアを行ってきたことである。ボランティアの内容は寝たきりの老人や身寄りのない子供たちの世話などであったが、直に彼らと接した中で医療の原点であるヒューマニズムなるものを実感した。しかし同時に、彼らを貧困や病気から救うための根本的な解決策の必要性を強く感じた。その解決策のひとつとして自分が考えたことが国際保健というものだったのである。だから今回のフェローシップに参加するに当たって、国際保健に関しては自分はほとんど初心者であり、一から学びたいという思いと、現地の人々に接して何が必要とされているのかを感じ取ろうという意欲を持って臨んだ次第なのである。
 フィリピンで何を学んだか、どういう活動をしたかということは活動報告書のほうにまとめてあるのでここで述べる必要は無いであろう。自分はこのフェローシップに参加したきっかけがインドに行ったことであったので、フィリピンにいる間、ずっとインドでの活動と比較して考えながら行動していた。だからここではインドと比べながら自分の考えてきたことを中心に述べることにする。
 まず一番心にひっかかっていたことについて。WHOで尾身先生がおっしゃったことの中に「自分を犠牲にしてまで国際保健に携わることはない。自分の好きなことをやるのが一番よい。」という言葉があった。なるほどその通りである。自分が好きなことをやって幸せでなければ他人を幸せになんてできないものである。そういった意味で、私のように国際保健を手放しで大好きだとはいえない人間が、国際保健を将来の仕事として選択することは間違いであるのかもしれない。何がひっかかるのかというと、インドで聞いてきたマザーテレサの“GIVE TILL IT HURTS”という言葉との違いなのである。自分が傷つくまで人を愛せよという。これが俗に言う自己犠牲的な愛というものなのであるが、インドから帰ってきたとき、私はこのマザーテレサの教えを理解したつもりになり、自分なりに病院実習などで実践していた。そのような中での尾身先生のお言葉であったのである。他人の意見に感化されやすい私は、国際保健というものに目覚め出した矢先であったのに、その熱い思いを根底から覆されかねないほどに悩みだしたのである。「なんなんだ?この全く逆の発想であり、しかし、その両者とも納得できてしまう考えは。」と、頭の中がパニックに陥った。このままでは悩みに支配されたままツアーが終了してしまうと思い、ひとまずこの悩みは措いておいて日本に帰ってからじっくり考えることとした。以下は日本に帰ってきてからの考え。結論を述べると、ボランティアをするならマザーテレサの考えで行うべきで、仕事として国際保健をするなら本当にそれが自分のしたいことかを考えてからするべきであるということ。ボランティアをする場合、相手からの見返りを期待していては単なる偽善行為にしかならないし、国際保健においても、好きでもないのに使命感からやっていたのであってはこれもまた偽善になりかねない。みんながみんな同じ考え、動機のもとにボランティアなり国際保健なりをする必要はないが、これが今現在自分の出したシンプルな答えである。国際保健について学び、興味のもてる分野も出てきたが、将来どこで働いているかは私自身謎であり、今後の自分の興味の赴くままに任せていく方針をとることにした。
 もうひとつ常に感じていたことがあった。先にも述べたように、私が参加した理由は貧困者や病人などを現地で救うことの限界を感じ、国家的な力により彼らを救う必要性を感じ、そのために何が行われているかを学ぶことであった。しかし、WHOなどで講義を受けた後、フィールド見学をしていて何か物足りない気がしたのである。本当に彼らが必要としている援助ができているのだろうか、どうすれば相手の求める援助といったものができるのか、などと恐れ多くも思ってしまったのである。このことについては最終日に総括ミーティングなどで話し合ったが結論は出なかった。あまりにも大きな問題であり、現場で実際に働いていない我々にとって論じることでさえ難しい内容であったためである。「事件は会議室じゃない、現場で起きてるんだ!」という某映画のせりふではないが、どこの世界でも「上」と「下」の意思疎通は難しいものなのであろうか。援助をする側ができるだけ援助される側の気持ちを考え、何ができるかを考えつつ今できることをやっていく。自分たちで出した結論は具体性には乏しい内容であったが間違ってはいないと思う。
 以上が現地で真面目に考えていたことの一部である。(一部、と書いておかないと、これだけかと思われそうなので。)それ以外は、純粋に仲間たちやフィリピンの人たちとの交流を楽しんでいた。みなさん、すばらしい体験をありがとう!そして常にバカやってた僕のこと忘れないでね。そして、笹川記念保健協力財団を始め、今回お世話になりました多くの方々に大変感謝いたしております。ありがとうございました。このような素晴らしい活動が今後も続くことを祈っております。
 







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