日本財団 図書館


8月15日(金)
本日のスケジュール・内容
1)Cebu Skin Clinic見学
2)Leonard Wood Memorial Laboratory訪問
3)Eversley Childs Sanitarium見学
 
1)Cebu Skin Clinic見学
 午前中は、70年前に設立され、leprologyではフィリピン南部で最も大きくて古い民間の診療所として有名なCebu Skin Clinicを訪問した。年間200人のハンセン病新規患者を含めて治療(治療費は無料)に当たるそうである。2000年の報告では、フィリピン全土でのハンセン病有病率は0.6人/1万人。年間新規患者数は3,390人で、年間登録患者数は4,251人である。
 また、クリニックでは225人の医学生のトレーニングを受け入れており、当日は実際に学生たちが患者さんの予診をとっていた。また、ここは臨床のほか、疫学調査や研究でも有名な施設だそうである。
 
Dr. Cellonaとトレーニング中の現地医学生
 
患者さんの診察
 
 ここでは、眼科医のDr. Ravenesがハンセン病の眼疾患の経過や診察、治療について詳しく教えて下さった。Dr. Roland V. CellonaとDr. Maria V. Felicio-Balagonからはハンセン病について詳しいレクチャーをしていただいた。その後は受診患者を呼んで、ハンセン病の様々な症例を実際に目の当たりにすることが出来た。初期の症状から(色素脱失、知覚麻痺)から全身に広範囲にかけての症状を見ると同時に、パンチングによるバイオプシーやメスによる組織採取も見学させていただき、これは今の日本では見る機会がないだけにとても興味深かった。メスによる組織採取などは、麻酔なしで全身6箇所から皮下組織をこそげ取るので本当に痛そうで、このような処置は日本だったら皆、嫌がるかもしれない。清潔、不潔の操作に関してはかなりあいまいであり、また道具や設備自体も足りないようで、まだまだ改善されるべき点は多いようだった。最も印象に残ったのは、ここに来る患者たちは、とくにハンセン病に罹患したといっても、彼らにとって悲壮感はそれほどないような感じがしたことである。かつての昔の日本では、ハンセン病患者は隔離されて差別を受けてきたという事実があるが、フィリピンでは現在は早期発見、早期治療という治療方針を取られており、またMDT療法も確立しているためにハンセン病は治る病気であると改めて確認した次第である。しかしフィリピンでも、もちろんハンセン病への差別、偏見は現在もあるようだ。
 
2)Leonard Wood Memorial Laboratory訪問
 Leonard Wood Memorial Laboratory(LWM)はセブ市の郊外のマンダウエ市にあり、午前中に見学したセブ市内のCebu Skin Clinicからそれほど遠くないところにある。西洋風の古い建物の玄関は二人並んだらまず通れないほど狭く、一歩中に入ると、細い通りに続く向こうに大部屋が見えるが、照明が薄暗い。ここが世界に名を馳せるハンセン病の研究所だと聞くと、一瞬呆然としたが、感動が込み上げてきた。
 基礎研究部門チーフのDr. Esterlina G. Virtudes-Tanが私たちを待っていた。左側にある図書室に案内され、研究所の概要などについて説明してくださった。この研究所は米国にあるAmerican Leprosy Foundationのもとで、ハンセン病の病因究明と治療法開発のために、1928年に建てられたものである。治療法が確立された今日でも、MDT完了後の再燃調査などといった様々な研究を続けるとともに、若い医師、技師と研究者のトレーニングを行っており、WHO Collaborating Centerに指定されている。また、近年ではハンセン病のみならず、結核の研究と臨床試験にも研究の範囲を広げている。
 LWMは臨床研究所、皮膚クリニック(Cebu Skin Clinic)、基礎研究所と獣医学関連施設の4つの主な部門から成り立っている。私たちは基礎研究所の図書館で説明を聞いた。臨床研究所は臨床試験の評価などを行い、基礎研究所はハンセン病を免疫学的、細菌学的、生化学的と組織病理学的に研究をしている。基礎研究所には実験動物の飼育場があり、専属の飼育係もいる。
 概要説明の後、Dr. Tanが基礎研究所の研究棟を案内してくださった。研究棟には分子生物室、組織病理室、臨床生化学室、血液検査室、免疫と微生物室など様々な部屋がある。分子生物室ではPCRを行う機械も揃っている。私たちの大学の生化学教室で見るものに比べて、若干古いタイプのものも多かったので、実験が大変ではないかと想像した。組織病理室では病理切片を見させてもらい、赤く染まったらい菌をたくさん見つけることができた。免疫と微生物室では二人の研究者に会った。彼らはマウスの後肢の足掌を火で焼き、病菌浮遊液をこれに接種し、脱髄反応を見ていた。しかし、らい菌の増殖は長時間を要し(大体6か月程度)、さらに、免疫系統欠損マウスを準備しなければならないので、実験がなかなか進まず大変であると話してくれた。
 研究所でみた実験に使う機材には新しい設備も若干あったが、恐らく日本中を捜しても見つからない旧型の遠心分離機も置いてあるなど、全体的に古い設備が多いように見受けられた。このような研究環境の中でも、多くの世界レベル的な成果を生み出せているのは、そこに居る研究者の並々ならぬ努力の賜物だと考えた。
 基礎研究所の建物を出て、芝生の中を2、3分歩いたところに、臨床研究所がある。シニアコンサルタントのDr. Tranquilino T. Fajardoが私たちを中に案内してくださった。臨床研究所は医学的コンサルティングを行い、実際に治療も実施し、また、新薬とワクチンの臨床試験評価などもしている。日本の場合と違って、セブ島やフィリピンの他の地域でもまだハンセン病の新患者発見率が高いので、ハンセン病を制圧するのにまだ多くの仕事をこなさなければならないと話された。
 時間が経つのは本当に早い。訪問を終え、再び玄関を出て、しばらく芝生のなかを歩いて思った。ここでお会いした方々は誰もがフランクで、色々なことを親切に教えてくれた。なんだか仲間の一員として受け入れてもらえたような、うれしい気持ちになった。
 
3)Eversley Childs Sanitarium見学
 Eversley Childs Sanitarium(ECS)は研究所と隣接している。この療養所の責任者であるDr. Geraldo Aquinoは、他の用事をキャンセルしてまで私たちを快く迎えてくださり、療養所の紹介、ハンセン病の現状と対策について講義をしてくださった。フィリピンではハンセン病療養所は現在3つある。ECSはその1つで、残りの2つはルソン島のJose Rodriguez Memorial Hansen's Disease Hospitalとミンダナオ島のMindanao Central Sanitariumである。ECSは500病床を有し、ハンセン病の治療、理学療法やリハビリを行っており、今まで約10,000名のハンセン病患者の治療に当たってきた。以前はハンセン病専門院だったが、Multi-Drug Therapy(MDT)が導入されてからは、新患者数が減少傾向にあり、1986年には年間40,000人が入所していたのに対して、1996年には6,000人程度に減少した。このような状況を鑑み、限られた資源を有効活用しようとの考えのもと、療養所を感染症専門の病院にする計画がある。今では療養所は産科、外科、内科などの一般外来も行うようになった。療養所の全体紹介に続き、Dr. Aquinoはハンセン病の診断、分類、治療などについても話された。
 専門医のDr. Joanri T. Riveralは療養所の敷地内を案内してくださった。入居棟は男女別で、少し離れたところにある。私たちが訪れた女性の部屋は約10床あるが、満床ではなかった。入居者の1人である少女は、少し恥ずかしがり屋だが、私たちの1人が手品を見せると素直に喜んでくれた。また、男性の部屋は約10床あるところ、30床以上ある大部屋と2ヶ所訪問したが、入居者には日本語で話し掛けてくる人懐こい年配の方がいたり、私たちに見られるのを拒否する態度を示す方など様々であった。
 Dr. Riveralはいろいろ親切に説明してくださった。現在、新患者数よりも再入院患者のほうが多い。治療を受けていて、らい反応の激しい患者さんや四肢に潰瘍などを起こした患者さんが短期入院してくる。また、LWMの要望に応じて、研究の対象となっている患者さんも受け入れている。フィリピンでもハンセン病への差別問題が存在している。特に上層階級ではハンセン病を貧困の病気で、不潔だと思っている人が多く、回復者の社会復帰への大きな障害となっている。
 リハビリテーション室も見学させてもらった。大きな部屋に運動機能回復の機械が置いてあり、作業をするときに使う大きなテーブルもあった。日本と同様、治療方法が確立された今は、リハビリに重点を置いているそうだ。皆が興味を持ったのは足の型を取る機械だった。ハンセン病によって神経が侵され、感覚が麻痺している人が多く、けがをしやすい。そこで療養所は彼らに外出するときには必ず靴を履くように指導をしている。彼らの変形した足の型を取り、履きやすい靴を作ることによって、大きな効果をあげているそうである。また、リハビリ室は義肢の工作室も兼ねている。膝蓋部以下の片足を作る費用は大体15,000ペソ程度で、それほど高くないそうである。
 今療養所にとって一番大きな問題は何かと聞くと、医師が不足していることだと教えてくれた。政府の規定では最低3名の常勤医師が必要だが、Dr. Riveralは今一人でがんばっている。患者さんのためにもっといろいろなことをやりたいが、「今はちょっとできないのだよ」と、先生は少し悔しそうに言っていた。
 ここセブ島のECSを見学してから、フィリピンに来る前に訪ねた東京の多磨全生園を思い出すと、両者の間に違いこそあれ、多くの共通点があるように思った。共にハンセン病に罹り、共に病気は治ったが後遺症に悩んでいる。共に施設に暮らし、そして、何よりも共に差別を受けて社会復帰ができないでいる。医療従事者として彼らを全人的に治療・ケアするとはどういうことなのか、深く考えさせられた。
(文責:石岡 薫)
 
明日の総括ミーティングの打ち合わせ
 
8月15日 今日のひとこと
 
藤川:フィリピンでのハンセン病施設は日本のハンセン病療養所と共通している部分は多いね。
板谷:フィリピン版全生園?!英語わかんないけど目と肌で感じた。
倉田:明日の総括ミーティングのことで頭が一杯。一人ビールを飲み、腹も一杯。体力的にも一杯一杯。
七條:終了ッスね。
丹藤:国は違っても病気は変わらず。その病気に対する取り組み方や周囲の考え方も根本的な違いといえるものはなく、ただ病気をなおしたい、健康になりたいという気持ちが変わらずあるだけだと考えました。
鶴岡:明日の総括ミーティングに向けて・・・丹藤班は煮詰まり。そして煮詰まり(ノ-_-)ノノ朝へ持ち越し。
喜多:日本でのハンセン病政策の妥当性の適否がわからなくなってきた。
小橋:フィールドワークのファイナルデイ。今日まで見てきたことを今晩じっくり話し合いたいと思う。
是永:医療報酬と患者・医者関係、ハンセン病について考えさせられました。
 :日本語を流暢に話すお年寄りの患者さんを見て、改めて戦争の歴史について考えました。
水本:歓待を受けながら熱心に説明してくださった、その期待に応えたいと、ただそう思った。
串間:ビックリ体験 最終日!
武山:ハンセン病患者さんたちのご協力とご厚意に本当にありがたいなと思いました。感謝です。
石岡:日本では殆どハンセン病の新患者さんを見かけないですが、海外、とりわけ発展途上国では依然として重要な感染症の一つである事を実感した1日でした。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION