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3)家庭訪問
 その後、バスで住居街へ移動するも、突然のどしゃ降りで、フィリピンのrainy seasonの洗礼を早速受ける。ヘルスワーカーと共に小グループに別れて家庭訪問に出発。一人では確実に迷うであろう狭い路地裏に入ると、小さな家々が密集しており、そのなかには美容室や幼稚園、小さな商店らしいものも点在し、長年と続くコミュニティを形成していることが伺われる。道の下水道が整備されていないため、足元は雨でぬかるみ、時に汚れた雨水が川のように流れる道をなんとか歩いて、それぞれの訪問先に到着した。
 
ケース1
 はしご並みに急な階段をはい登って2階に着くと、4畳半ほどの広さの部屋で5人家族(夫、妻、妻の妹、子供2人(1才と3才))が待っていてくれた。現在、夫は夜に魚を運ぶ仕事をしているが、近隣に住むほとんどの人たちはビール工場(250ペソ/日で半年契約)での仕事で生計を立てている。しかし、それすらもなければ臨時日雇い(100ペソ/日ほど)するしかないそうである。家賃はトイレ、風呂共同で1000ペソ。病院にかかる時は、バランガイヘルスセンターの近くのクリニックに受診して、診察料はあるが薬は無料でもらうとのこと。今気になることは何かとの問いには「お金」との答えであった。部屋には炊事場はないが、テレビやゲームなどの電化製品はあった。ベニヤ板のように薄い壁を介した隣部屋には別の家族が住んでおり、プライバシーは確保できそうにない。夜の営みはどうしているのという下世話な質問には、「電気を消せばわからないわよ」と、やや恥ずかしそうに若妻が答えてくれた。
 
ケース2
 この家族も2階に暮らしていた。急で恐いくらいのはしごを上ると、6畳くらいだろうか、ここに父親、母親、そして上は16歳、下は2歳までの6人の子供たちが暮らしているという。母親と、奥のほうには子供たちがそろっていた。高校生の長女に将来の夢は何かと尋ねると、早く働いて両親を助けたいと言っていたのが印象的だった。リプロダクティブヘルスについては小学校から授業があると聞いてまた驚いた。しかし最も驚いたことは、今は5歳になる四女の2年前の火傷の話だ。彼女は熱湯をかぶってしまい、右腰部に大きな火傷を負った。本人は少々恥ずかしがっていたが母親が服をめくってその瘢痕を見せてくれた。受傷後一ヶ月間入院していたらしい。そこで、病院に連れて行くまでどんな処置をしたかを尋ねたら、クリームを塗ったという。さらにどんなクリームかと訊くと、どうも歯磨き粉のような話。そんなはずはないだろうと思っているところに、長女が「これ」と差し出したチューブをよくみると、やはり歯磨き粉だった。どんな効能があるかは今もって謎だ。
 
家庭訪問した家族とともに
 
路上で子供たちと
 
 そうこうしているうちに集合時間を過ぎてしまい、一番遅かった私たちはたくさんの子供たちに囲まれながらやっとバスにたどり着いた。
 
 それぞれのグループが家庭訪問を終えバスに集合したが、そこではたくさんの子供たちが興味深そうに集まっており、子供に人気のある七條くんや倉田くんはすでに草の根交流よろしく子供たちに取り囲まれていた。子供たちはカメラが大好きなようで写真を撮るととても喜んだ。このような環境の中でも無邪気に騒ぎ、私たちを慕ってくる子供たちにこちらが癒されるのであった。しかし、ここの子供たちは、この地区の外に出たことがないということを後から知ることとなった。
 
4)貧困地区巡回、トロッコ列車に乗る
 途中からKPACIOボランティアの迷田あきらさんにも同行していただき、バスで移動してスモーキーマウンテンと呼ばれる貧困地域を巡回。この場所はマニラ近郊のゴミ投棄場となっており、周囲は、そこから再生可能なゴミを拾い、リサイクル品などから生計を立てる人たちからなるスラムと化している。ここのゴミ投棄場は一時閉鎖されたが、すぐ隣から新しい投棄場ができたため、依然として多くの人たちが密集して住んでいる。近郊に政府が用意した住居地は場所が悪く、建物に欠陥があるとのことで住民の移住はうまくいかなかったようだ。
 
 スモーキーマウンテンの見学後、穴田さんの提案により、別のスラム街にあるトロッコに乗ることになった。とはいっても、本来鉄道が走る線路に、竹などで作られた約6〜10人乗りの手押しのトロッコを無断で走らせているもので、線路脇に住んでいる人たちの交通手段の一つである。我々は3台に分かれてトロッコに乗った。運転手2人が後ろから蹴り上げて走り出し、線路脇の住民からは手を振られ、時に好奇な目線を向けられながらも結構な速度でトロッコは走った。線路脇に住む人たちの生活そのものをまざまざと感じられた気がする。線路脇そばには子供が群れて遊んでいたり、鶏を飼ったり、魚や雑貨を売っていたり、大人たちが昼寝したり井戸端会議をしたり、果てはビリヤード台を置いて遊んでいたりしていた。一度前方から本当の列車が来たときは、皆急いで降りてトロッコを撤去するのだが、そういった彼らの生活圏に交わることで、国内に40%は占めるといわれる絶対貧困層のフィリピン人の逞しさを改めて感じるのであった。
 
トロッコに乗りました
 
5)高級住宅街のモールで休憩
 駐在日本人も多く住む高級住宅街マカティ地区に入り、ショッピングモールで休憩を取ることになった。日本の百貨店ほどの規模で、海外有名ブランド社が数多く並び、つい先ほどまで見ていたスラムとの違いから、フィリピン内の経済格差に改めて驚かされる。食事をしながら、穴田さんからいろいろなお話を伺う機会があった。高校生の時に、米国で人種差別やルーツについて考える機会があったこと、フィリピンでは庶民として地域に馴染んだ生活をしていること、コーディネーターとしてNHKなどの番組制作に関わっていることなど様々なことをお話くださった。中でも、マラボン地区に住んでいる人々は、貧困層にはいるが必ずしも不幸ではないという言葉が特に印象的であった。それは彼らの表情は決して暗くはないところからも十分伺えた。そしてまた、今の彼らが、長屋に住んでいた昔の日本人のように隣近所が運命共同体として生きている様子は、現代の都会化し核家族化した日本が失いつつある風景のようにも思えた。
 (ちなみに、「貧困層」と一言で言っても、例えば片親で収入が少なく、幼い子供といえども児童労働を強いられている家庭など貧困層の中にも序列はあるようである。)
 食事を終え、近くの市場に行ったが、日曜であったために生鮮食品売り場は残念ながらほとんど閉まっていた。
 
6)フィリピン料理店での歓迎会
 1日の日程を終えた後の夜には、バルアさんオススメのフィリピン料理屋さんで歓迎会を開いていただいた。バルアさん、穴田さん、迷田さん、平岡さん、難波江さんらともに本当においしいフィリピン料理を食べながらいろいろな歓談をし、メンバー皆にとって忘れられない夜を過ごした。
(文責:藤川愛、板谷雪子)
 
8月10日 今日のひとこと
 
藤川:今日はNGOのみなさんのお仕事、そして、地域のお母さんたちが地域全体の健康について問題意識を持って活動されているのを見て、NGOの原点をひしひしと感じました。それにしてもフィリピンの貧困というのは根深くて、それでも住民たちは明るいね。少し安心しました。
板谷:トロッコに乗って思った奇妙な感覚は、今はうまく表現できない。それと、フィリピン料理は店によると夕食で分かった。
倉田:親の心配や不安をよそに元気いっぱいの子供たち。なんかホッとしました。未来をつくっていく子供たちは元気はつらつでなきゃいけないのだ。俺も。
七條:今日は現地の中に入って行けて超刺激的であった。トロッコ良かった〜。
丹藤:今日は階層化という問題を深く考えた。トロッコと高層ビルの対比からフィリピンの階層化も極まれりといった感じだが、日本でも努力が報われない社会を迎えつつある現状をふまえ、人ごとではないんだなとも考えた。
鶴岡:家庭訪問した家族は私には幸せそうに見えた。何をして欲しいか、何をしてあげられるかと考えることの意義が少し分からなくなった。援助って何だ。
喜多:高層ビルとスラムの風景が対照的だった。
小橋:2日目。フィリピン料理いけるじゃん!!今日はスラム(?)に行った。12人、自分の寮の部屋ほどのスペースに住んでいた。笑顔で。トロッコから見た子供たち笑っていた。
是永:マラボン地区の家庭訪問をして、幸せについて考えました。トロッコは貴重な体験で、すごく楽しかったです。
馳 :とても豊かとはいえない環境の中での子供たちの笑顔は非常に印象的だった。
水本:客人としてではなく、スラム街を訪れたかった。難しいのはわかっているんだけど。
串間:家庭訪問した家族の笑顔とトロッコに乗っていたときに私たちを見ていた現地の人たちが投げかけた笑顔の種類が、言葉では表現できないけれど異なると感じました。それが今もずっと続いているのでゆっくり考えていきます。
武山:昨晩、今日の昼と続いてフィリピン料理に警戒していましたが、今晩の夕食で一気に印象が変わりました。外で一番心に残ったことは、子供たちのくったくのない笑いでした。
石岡:訪問した家族の長女は貧しい家庭に育ちながら、自信と希望に満ちあふれています。この地区は今年2月に火災にみまわれ、全焼したが、わずか半年で再建した。底力の深さを感じた。







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