interview
音楽家にとって、ストラディヴァリウスの魅力はどこにあるのだろう。
日本を代表するヴァイオリニストの一人で、
自ら1720年製の「ロチェスター」を使っている徳永二男は
音楽家のどんな挑戦をも受け止める
その包容力に名器たる所以があると語る。
[聞き手]田中良幸◎産経新聞「モーストリー・クラシック」編集長
Tokunaga Tsugio
徳永二男
ヴァイオリニスト
ずばり、演奏家にとっての魅力はどこにありますか。
演奏家というのは役者みたいなものですから、その時々に違う気持ちになったり、違う人間になったりするわけです。それもモーツァルト、ブラームス、ベートーヴェンになったり、フランス人、ドイツ人、ポーランド人だったりといった具合です。そして、そういったことを表現するために必要なのが、たぶん音色なんです。私たち音楽家は楽器にそういうものを求めているわけです。そして、ストラディヴァリウスは、そういった世界中のあらゆる音楽家の要求に応えてくれるだけの深さと幅を持っているんです。ここが名器として存在する最大の理由でしょうね。
例えば、ラヴェルの憂鬱な感じを表現する場合、憂鬱さは千人いたら千通り感じ方が違うのです。ストラドはその千通りに対しても、みんな応えてくれる。他の楽器だと、もう少しこうなればいいのにな、というのがいつも頭のどこかに残ってしまうんですよ。
音が大きいとか小さいとか、綺麗だとか透明だとかいう話ではないわけですね。
音楽家は演奏することによって自分を表現しているわけです。自己の存在を賭けているわけで、そのことに対してはどん欲で、そこには際限がないわけなんです。良いヴァイオリニストになればなるほど要求が深くなる。だから、ストラディヴァリウスが必要なのです。そのことが、一番大事なところでしょうね。逆説的に言えば、ストラディヴァリウスが必要な人と必要じゃないヴァイオリニストもいるわけなんです。表面的なことだけを求めるのであれば、もう少し底の浅い楽器でもいいと思います。
彼はヴァイオリンを作ることによって自分を表現したわけですね。
創作の期間も第1期、第2期、第3期と分かれますが、その真ん中の第2期の中でも、1714年、15年、16年の3年が一番の最盛期ですね。他の時期にも名器はたくさんありますが、そこの時期に一番彼らしいモデルが集中しています。彼はその時、もう70歳くらいの歳なんです、今でも結構な歳ですよね(笑い)。
ところが、彼はそれからも自分のモデルを改良していくわけです。自分の後の世代からグァルネリウス・デル・ジェズなんていう、とんでもない才能が出てきたので、それに刺激され、影響されてまだ色々と研究していくわけです。もう、凄まじいエネルギーですよね。それもこれも、彼にとって楽器が、自分というもの、自己の存在を規定するものだったからなんでしょうね。
ストラディヴァリウスとはどういう付き合いをしてきましたか。
1972年、36歳の時に買ったのが最初です。それから、グァルネリ、グァルネリ、ストラディヴァリウスと換えてきました。今のものは6年くらい前から使っています。1720年製でとても気には入っていますが、日本音楽財団が持っていて、諏訪内晶子さんに貸している「ドルフィン」のようなものに比べると、もう、嫌になってしまうんですよ(笑い)。「ドルフィン」はそれほど良い楽器なんです。
諏訪内さんは「ドルフィン」を使い出してから、「自分が出す音より、楽器が自然に出す音に任せた方が良い」と言っていて、楽器に惚れまい惚れまいとしています。だって、惚れちゃったら貸与期間が終わって別れるのが辛いですからね(笑い)。
これはストラディヴァリウスに限ったことではありませんが、良い楽器を弾いていると、今まで自分の中に眠っていたものが刺激されるというか、この音が出れば、こんな音も出るじゃないか、といった具合にイメージがどんどん膨らんでいく。楽器によって、それまで持っていなかった音が開発されるという面があるんです。だから、「ドルフィン」から自分の楽器に戻っても、その音を出そうとするようになる。今度は自分の技術でその音を出すことになりますが、それは自分が成長することだと思います。
僕もいいものがあれば、これからも一生懸命働いて買いたいと思っているんです(笑い)。
一方で、出来たての楽器を使うアーティストもいますが。
現代の名人がいるので、それを使っている人も多いですよ。クリスティアン・テツラフやエマーソン・カルテットのメンバーも、ニューヨークのジルマン・トーミッチという名人が作ったものを使っています。新作の方がいいと言って使っているんです。それくらい、現代の物でも良いものが出来ているんです。
現代の名人たちはストラディヴァリを研究、分析して、それをフルコピーしようとしています。ただ、皮肉なことに、そこに彼らの音楽性、個性、考えが入るとこれが良くないんです(笑い)。ヴァイオリンを通じて自分を表現したいんだけれども、表現してしまうとダメというジレンマの中にいるというか。真似しているだけでは、自分を表現できないわけですから、そこが作り手にとって辛いところでしょうね。
まあ、それだけ、ストラディヴァリウスが偉大だったということでしょうね。朝の9時から夜寝るまでヴァイオリンを作り続け、息を抜いたのは食事の時だけという仕事人間だったし、各地に出ていった自分の作品の修理も誠心誠意行った大変な人なのです。それだけの人間的深みを持った人が生涯を捧げたから名器が生まれたわけです。
Profile
とくなが・つぎお◎1946年、神奈川県横須賀市生まれ。ヴァイオリンを鷲見三郎、斎藤秀雄に師事。桐朋学園大学音楽科入学後、66年に当時日本楽壇最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団した。68年から翌年にかけてベルリンへ留学、74年のチャイコフスキー国際コンクールでディプロマ賞を獲得。76年にはNHK交響楽団のコンサートマスターに就任した。94年に退団した後は、ソロ活動に加えて、JTアートホールの音楽監督、宮崎国際音楽祭の総合プロデューサーなど、活動の場を広げている。国立音楽大学教授、桐朋学園大学客員教授。NHK交響楽団の首席チェロ奏者だった故・徳永兼一郎は実兄。
職人技に乾杯!
解説 佐藤正人◎ヴァイオリン製作家
text by Masato Sato
さとう・まさと
1947年生まれ。65年にヴァイオリン製作家、無量塔蔵六(むらた・ぞうろく)氏に入門、6年の修業の後、71年に独立。77年にポーランドで開かれたヴィニアフスキーヴァイオリン製作コンクールで、ドイツ製作者協会から金メダルを授与される。78年、渋谷に工房とヴァイオリンの専門店を開店。81年には株式会社佐藤弦楽器を設立して現在に至る。 |
人類の宝である名器をどう受け継いでいくか、
そのケアも大変で、現代の名工たちにとっても下手をすると、
新しい楽器を作るよりも高度な技術が求められる。
とにかく、ストラディヴァリウスというものを
知り尽くさないと話にならない。
そんな名工たちからみた特徴とは・・・。
ヴァイオリンの表板の材料は一般的にはエゾマツ、つまり、針葉樹に近いような木が使われています。一方、横と頭の部分、そして裏板はモミジの木、つまり、広葉樹で出来ています。横板は一ミリ前後の薄い板で、水で濡らしてアイロンで曲げていくんです。内型の上下とコーナーの4カ所にブロックを付けて、それが出来たら、あらかじめ用意しておいた表板、裏板の材料をつけて横板のラインをもとに材料を切り出します。ストラディヴァリウスの内型は今もクレモナにあります。だから、形はある程度は再現できます。
ただ、ストラディヴァリウスは生涯にわたって何度か型を変えたり、大きさを変えたりしています。初期から中期にかけてはやや大きく、長さは結局、最終的には35.7センチくらいに落ち着いています。つまり、一言でストラディヴァリウスと言っても、全部が同じ大きさではありません。胴体に開いている、Fの文字の形をした〈f字孔〉も微妙に異なります。だから、修理するにしても、オリジナルを出来るだけ大切にするために、製作家がどういう性格で、どういうことを考えてこの楽器を作ったかということも知っていないといけません。
現在使われているストラディヴァリウスの中で、〈ネック〉がオリジナルのままというものはそれほど残っていません。長い間使っているとすり減ってきますし、手の大きさとか使う人の好みで太くしたり細くしたりもしますから、糸巻きが付いている〈頭〉の部分だけオリジナルで、ネックの部分は取り替えられているものがほとんどです。だから、本当の意味で作られたままの状態で残っているのは、〈胴体〉と〈頭〉だけですね。
それに〈魂柱〉、〈バスバー〉も、彼が作った当時とは異なるんです。〈バスバー〉は楽器の左側の低音を支えるために表板の裏側につけられている棒のような板ですが、作られた当時はもっと小さかった。また、駒のちょうど裏側に位置する内部にあって、表板と裏板の圧力を支えている〈魂柱〉も、昔はもっと細かったんです。
〈駒〉も長いこと使っていると傷みますから、すべて現代の物です。彼が作った当時の駒は、もう一切残っていません。駒の材質はモミジを使いますが、駒の材質によっても、ある程度酸化した良い材料を使うのと、生木を使うのとでは音が全然違います。
だから、修理したりする時、最も大変なのは木材の調達です。ヨーロッパには古い民家を壊した時に出る木材などを売っているヴァイオリン専門の材木屋があるんです。そういうところから手に入れて修理する時に使っています。例えば、表板が割れてしまった時など、表板の内側を薄く削いで貼るんです。楽器に合った材料をみつけることが一番大切なんです。
修理の時は表板をはがすんですが、ニカワで付いているので、ちょっと湿気をもたせてやるとすぐにはがれます。実は、ヴァイオリンがなぜ今まで現存しているか、それはニカワを使って組み立てられていたからなんです。乾燥したり湿気を含んだりした時、ニカワが外れてくれるからです。そうすることで、木にかかる力を逃がすことが出来たからなんです。近代の接着剤を使うと、接着力は強いのですが、そうはいかない。木が割れてしまったりします。また、修復して新しく蓋をすると、すぐには元の音に戻らず、もっと締まった音になりますが、ある程度弾いているうちに振動でニカワが適度に揺れてくれて、接着している部分に少し隙間が出来ることで元の馴染んだ音に戻っていくんですよ。
ただ、ニスについてだけは現代の科学技術でも分析できないんです。塗って磨いて、塗ってまた磨いて、合計で20回くらい塗っているのに、本当に薄いんです。それでいて、奥の方からギラギラギラと光ってくる独特の輝きを持っています。ところが、オイルニスを使ったのか、アルコールニスを使ったのか、それすらもちゃんとしていない、はっきりこうだとは分からないんです。
ストラディヴァリたちが活躍していた頃はトルコのニスが世界に流通していて、イタリアの家具にも使われています。その、家具のためのニスを元にしていたのではないかという説が有力なんですが、トルコからのニスは戦争などで18世紀頃を境に、イタリアにパタッと入ってこなくなってしまった。そのまま絶滅してしまったらしいんです(笑い)。
ストラディヴァリウスとデル・ジェズの両巨頭は、使っている木の材質が違います。
デル・ジェズは年輸の幅が広めのものを使っています。
その分だけ音の強度が増すからです。
ストラディヴァリウスは、年輸の細かいものを使っています。
年輪の幅が狭ければ狭いほど、音質的に柔らかい音が出しやすいからです。
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