クレモナは今
クレモナ駅からコムーネ広場へ向かうメインストリート、パレストロ通りの突き当たりに位置するカヴール広場にあるストラディヴァリの銅像。銅像の足下にはヴァイオリン製作用の工具も彫られている |
ニコラ・アマティ、アントニオ・ストラディヴァリ、
そしてグァルネリ・デル・ジェズといった名工を生んできた
クレモナは北イタリアの小さな街だ。
しかし、この静かな佇まいの街には今も、
楽器製作者の血が脈々と息づいている。
文 堂満尚樹◎音楽ジャーナリスト(ミラノ在住)
text by Naoki Domitsu
写真 永川智子◎フリーカメラマン
photo by Tomoko Nagakawa
「LIUTERIA」あるいは「LIUTAIO」。
イタリア語で楽器製造者を意味する言葉が
これだけ溢れている街はイタリア広しといえど、
クレモナ以外にはない。
イタリア北部に広がるロンバルディア平原。そこを流れる二大河川、ポー河とアッダ河の交流ポイントのわずかばかり東、ミラノから南東およそ80キロにクレモナはある。中世のたたずまいを当時のまま残した旧市街はドゥオーモ(大聖堂)を中心に広がり、かつて周囲には、12世紀に造られた壁と5つの古き門が黙座していた。ドゥオーモに寄り添って建つトッラッツォ(鐘楼)は、イタリアに現存する最も高い塔だ。
「LIUTERIA」あるいは「LIUTAIO」。イタリア広しと言えど、そのイタリア語がこれだけ数多くある街はクレモナ以外にはない。もともとは「リュート製作場」、「リュート製作者」という意味の言葉だ。それが楽器の進化により、現在は「弦楽器製作工房」といった意味に転じている。また、製作を手掛けるマイスターの呼び名ともなっているが、ドゥオーモ市庁舎周辺、ローマ広場一帯、ガリバルディ通りなどでそう書かれたプレートが目に付く。アンドレア・アマティ、アントニオ・ストラディヴァリ、グァルネリ・デル・ジェズを生み出したクレモナは、今もなお“楽器の街”なのだ。
他国、他の街で製作されてきた弦楽器と異なり、クレモナ産の楽器は、長い時を過ごした現在に至って完壁な形状を留め、素晴らしい音色は劣化することを知らない。アマティ家、グァルネリ家等の名器に囲まれ、現在市庁舎から移り、臨時に展示されているストラディヴァリ1715年の作品「イル・クレモネーゼ」がストラド特有の鈍い光沢をもって、ここストラディヴァリ博物館のサロン内で一際輝いている。そして、そこで膨大な研究資料、弦楽器製作のために考案された専門工具などを眺めていると、製作者たちの異常なまでに細微な拘りが伝わってくる。
▼大聖堂(ドゥオーモ)
12世紀に建設された大理石造りの美しい大聖堂で街のシンボル的な建物。代表的なロマネスク・ロンバルディア様式の傑作として名高い。内部にも豪華な装飾が施されており、ロンバルディア・ヴェネチア派の画家によって描かれたフレスコ画なども見ることができる |
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国立アントニオ・ストラディヴァリ弦楽器製作学校
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かつてはストラディヴァリの工房だったガリヴァルディ通りに面する弦楽器製作の学校に若者たち180人が生徒として弦楽器作りを学んでいる |
▼ストラディヴァリのかつての家
大聖堂の北にあるもうひとつの広場であるローマ広場は、緑があふれ、噴水もある広々とした空間で、市民の憩いの広場として愛されている。その中の当時の一等地にストラディヴァリの家があった。正面に教会が建っていたという。現在はストラディヴァリウスの墓石を模した記念碑がある他、ここにもガリヴァルディの銅像が立っている。また、広場の前の通りは「ストラディヴァリ大通り」と名が付けられている |
▼ストラディヴァリの墓
1737年に亡くなったストラディヴァリは、その8年も前に自身で墓石を用意していたという。かつては、聖ドメニコ教会にあったがその教会が取り壊されたため、現在はローマ広場に墓石を使った記念碑が置かれている |
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