3.5 軍事サポート企業:米軍に不可欠のパートナー、KBR社
先のイラク戦争でも米軍基地の運営を任されたケロッグ・ブラウン・アンド・ルート(KBR)社は、チェイニー副大統領が2000年に副大統領候補になるまで最高経営者をつとめていたハリバートン社の子会社である。ハリバートン社の歴史は古く創立は1919年。それから今日まで内部成長と買収を重ねて大きくなっている。1962年にエンジニアリング及び建設の大手ブラウン・アンド・ルートを買収し、1998年には石油産業向けのプロジェクト・マネージメントや総合サービスを提供するドレッサー・インダストリーズ社を傘下に収めた。ドレッサーがそれ以前に石油精製と石油化学の大手M.W.ケロッグ社を買収していたため、ハリバートンは石油関連サービスとエンジニアリング・建設サービスでは世界有数の巨大企業に成長し、現在では世界100ヶ国以上で85,000人の社員を抱えている。
KBRはエネルギー産業の中流・下流部門のサービスと、政府や民間インフラ利用者向けのエンジニアリング及び建設サービスを行っている47。その中の政府事業部が、主に米軍向けの軍事サポート・サービスを提供している。「軍事サポート・サービス」などと言うと聞こえはいいが、要は昔から戦場に必ず存在した「従軍商人」の現代版だと思えばいい。建設、地雷排除、トイレ掘りなど軍隊のためにさまざまな仕事を請け負う「何でも屋」である。そうした「従軍商人」のブラウン・アンド・ルート社が米軍から最初の軍事契約をとったのは1940年のことで、この時は米政府向けにCorpus Christiの海軍基地を建設した。1960年代にはベトナムで道路や滑走路、港や空軍基地を米軍支配下の地域につくり、1990年代には米軍のハイチ、ソマリア、バルカンでの作戦でロジスティクス支援を行った。この冷戦終結の頃から「民営化」の動きがさらに強まり、1992年以降KBRの軍事サポートビジネスは急拡大した。特に95年以降バルカン地域へかかわる米軍のサポートを請け負ったことから同社の収益は25億ドルに達した。サービス内容も兵士たちの賄い作り、洗濯、移動、住居、その他の管理業務など幅広く、しかもKBRの社員たちはほとんどが米軍出身者だから米軍という組織がどのように動いているかを熟知し、米兵たちが何を望んでいるかもよくわかっている。水道、電気や下水システム完備はもちろんのこと、兵士のベッドメイクから暑い日のアイスクリームの調達まで何でもこなすこのビジネス集団は、この頃から米軍にはなくてはならない存在になっていた。
さらに911テロ以降の「対テロ戦争」は、KBR社に莫大なビジネスチャンスを提供した。何とKBRは、米陸軍及び海軍との間で、調理や建設、電力発電、燃料輸送などのサービスを提供するロジスティクス供給者としての独占的な契約を結ぶことに成功したのである。しかも契約期間は9年間。キューバ・グアンタナモ湾にあるテロリスト収容所の建設からウズベキスタンに駐留する米軍の世話まで、すでに対テロ戦争はKBRにビッグビジネスを運んでいるが、今後進行するであろう米軍の対テロ戦に向けた大転換とそれに伴う世界的な米軍基地の再編は、新たな基地建設のラッシュを呼び、KBRに途方もないビジネスチャンスを提供することは間違いない48。
3.6 軍事戦闘企業:アフリカの伝説、エグゼクティブ・アウトカムズ社
PMCの中でもっとも議論や批判の材料となるのが、「軍事戦闘企業」の存在である。このタイプの企業はとかくマスメディア等の集中放火を浴びることが多いため、「PMC=軍事戦闘企業」とのイメージが一般には強く流布されているが、これまで見てきた通り、これは多種多様なPMCの活動の一側面に過ぎない。このタイプのPMCの代表格は、何と言っても南アフリカのエグゼクティブ・アウトカムズ社(EO)であろう。
EOは1989年に有能で経験豊富な軍人を派遣することにより、地域の安全保障や安定に寄与する軍事専門技能を販売する民間の安全保障グループとして、イギリスと南アの両国に登記された。EOはストラテジック・リソーシーズ・コーポレーション(SRC)という持株会社の傘下にある20社以上の企業の一つで、SRCグループには石油会社、鉱山会社、航空機サービス会社、民間警備会社などがあり、EOはコンサルティング企業となっているが、具体的に提供するサービスは、武装戦闘、戦闘戦略、極秘軍事訓練、特殊作戦、飛行監視、装備強化、医療支援、射撃(スナイパー)訓練など戦争の技術である49。
EOの創設者は南アの旧アパルトヘイト体制下で南ア軍の情報将校をつとめたエーベン・バロウ。南アの軍諜報機関「民事協力局(CCB)」のオフィサーとして南アの白人支配に抵抗する敵を排除する秘密工作に従事した。バロウは西ヨーロッパにわたり、ANCのネルソン・マンデラに関するネガティブな情報を流したり、南ア製の武器を海外で販売する窓口として機能した50。バロウはほとんどのEOのメンバーを、旧南ア国防軍でアパルトヘイト時代に反乱鎮圧部隊として恐れられた第32大隊の出身者からリクルートした。
同社の最初の大きな仕事は反政府ゲリラに重要な石油施設を奪われたアンゴラ政府からの依頼だった。アンゴラ・ソヨにある油田は同国政府にとっては貴重な財源であり、同油田は国営石油会社ソノガルとヘリテージ石油に保有されていた。実は後者の石油会社がEOと関係が深いという別の理由もあり、EOはアンゴラ政府と契約し、ソヨを反政府ゲリラUNITAから奪還するととになった。実はEOのメンバーたちは、80年代に南ア軍人としてアンゴラに介入した時には、UNITAを支援したのだが、今度は敵として対峙することになった。敵をよく知っていたこともあり、EOは80名のチームでUNITAゲリラをソヨから追い出すことに成功した51。
これに引き続いてEOは、93年の9月には年間400万ドルでアンゴラ軍を訓練する契約を結んだ。アンゴラ軍の5,000名の歩兵と30名のパイロットを訓練し直すだけでなく、500名のEOのメンバーたちが、アンゴラ政府軍と共に戦闘に参加し、UNITAからほとんどの石油資源を奪回し、UNITAの資金源であるダイアモンド利権の一部も奪い返し、さらにUNITAを追い詰め、1年後の94年11月には、遂にUNITAに停戦・和平協定を結ばせることに成功したのである52。
このアンゴラでの快挙が世界に伝わるや、EOは今度は同じく内戦で破綻寸前のシエラレオネからもお呼びがかかった。1995年3月、同国の軍事政権は、残虐で有名な反政府ゲリラ革命統一戦線(RUF)を倒す仕事をEOに依頼した。シエラレオネでは1991年以来、リベリアの独裁者チャールズ・テーラーの支持を受けたRUFがシエラレオネのダイアモンド、ボーキサイト、そしてチタニウム鉱山をことごとく制圧し、同国の貴重な財源を全て奪い取り、国民の4分の1を難民キャンプ生活へ追い込み、同国を崩壊寸前に追い込んでいた。実はシエラレオネ政府はEOに頼む前にグルカ・セキュリティ・グループ(GSC)という別のPMCに同じ仕事を依頼していたのだが、GSCはシエラレオネに着くなりRUFの待ち伏せに合い大変な被害を受けただけでなく、司令官だったアメリカ人のベテラン傭兵ボブ・マッケンジーが見せしめのためにゲリラに食われてしまうという悲惨な結果に終わっていた。95年5月にはRUFがシエラレオネの首都フリータウンに向けて前進をはじめており、政府としては一刻を争う事態だった。もちろん政府は国連、旧宗主国の英国それに世界の大国アメリカに助けを求めていたが、全て断られており、孤立無援のまま最後の望みとしてEOに依頼したのである53。
実際にシエラレオネ政府とEOの間を仲介したのはアンソニー・バッキンガムという元南ア軍出身の実業家である。バッキンガムはアフリカの油田や鉱山開発を進める企業グループにかかわっており、EOもこのグループと関係が深い。そこでバッキンガムはキャッシュに乏しいシエラレオネ政府に対して、将来の鉱山利権と引き換えにEOとの契約をアレンジしたのだった。こうしてEOは5月には最初のメンバー170名を同国に派遣。直ぐにシエラレオネの弱小軍隊の訓練にとりかかり、1ヶ月後には首都からわずか36キロのところまで迫っていたRUFに対して最初の攻撃を開始。EOの支援を受けた政府軍はわずか9日間でRUFを首都から126キロの地点まで押し戻した。さらにEOと政府軍は、政府にとって戦略的に重要なKono鉱山地域をわずか2日間でRUFから奪還し、政府の貴重な財源を取り戻した。それからも次々にRUFの拠点を取り返し、わずか半年でRUFを弱体化させ、96年1月にはRUFを政府との和平協定へと追い込んだ。そしてその1年後には何とシエラレオネで23年ぶりの民主的な選挙が行えるまでに治安が回復されたのである54。一民間企業が数十年間続いたアフリカの内戦を終結へと導いたということで、このEOのシエラレオネでの活動は、安全保障問題の関係者を驚かせただけでなく、PMCの活動の成功例として記憶されることになった。
このEOの実力と成功を証明するように、1997年1月にEOがさまざまな国外からの圧力によってシエラレオネを去ると、同国で再びゲリラが息を吹き返し、そのわずか95日目にはまた同国で軍事クーデターが発生し、せっかく選挙で選ばれたリーダーが追い落とされてしまった。もうEOは雇えなかったので、今度はナイジェリア軍を中心とする西アフリカ軍事連合(ECOMOG)が介入するが、ゲリラ掃討に苦戦を重ね、ナイジェリア兵1,200人以上が殺されたあげく、EOの20倍のコストをかけて1年がかりで首都を取り返した。しかもECOMOGはイギリスの大手PMCサンドライン社の後方支援を受けており、サンドラインがロジスティクス支援や武器の調達を迅速に行わなかったら、ECOMOGの勝利はなかったのではないかとも言われている55。このためシエラレオネでは、いまだにEOの業績を褒め称え、同社を伝説的な存在として懐かしむ声が多く聞かれるという56。ちなみにEOは1997年に解散し、その後この種の戦闘企業は業界の中では少数派になっている。
3.7 まとめ
「安全保障企業」の代表であるコントロール・リスクス社は危機管理や安全管理面でのコンサルティングを企業向けに行っており、「軍事コンサルティング企業」の中には、MPRIのように米政府になり代わってクロアチアやボスニアに軍事援助を行う企業、DSLのように大使館の警護や石油パイプラインの警備を請け負う企業、それにダイン・コープのように米政府の委託を受けてコロンビアの麻薬戦争に参入するなどさまざまなタイプの活動を行う企業がある。「軍事サポート企業」の代表はKBR社で、基地運営など米軍の後方業務を受け持つ現代の従軍商人である。最後の「軍事戦闘企業」の典型例としてEOがあげられる。同社は実際に戦闘に参加しアンゴラやシエラレオネの内戦で戦況を大きく変える役割を果たしたが、97年解散し、以降この手の企業は業界内では少数派と言える。
次章ではこうした具体例を踏まえて、PMCが抱える、もしくは作り出す問題(マイナス面)とその可能性(プラス面)を議論し、今後の方向性を展望してみたい。
48 Jeff Gerth and Don Van Natta Jr. USA: In Tough Times, a Company Finds Profits in Terror War, New York Times - Corp Watch, 12 July 2002.
50 An army of one's own: in Africa, nations hire a corporation to wage war., Harpers Magazine, No. 1761, Vol. 294, February 1997
51 Pratap Chatterjee. Mercenary Armies and Mineral Wealth. (Covert Action Quarterly magazine, Fall 1997)
52 Michael Ashworth, Africa's new enforcers - What is a mercenary?, The Independent, 16 September 1996
53 Peter W. Singer とのインタビュー、2003年9月15日
54 Stuart McGhie. Private Military Companies: Soldiers, Inc., Jane's Defence Weekly, 22 May 2002
55 Peter H. Gantz. Private Military Companies - Soldiers of the UN's Good Fortune?, Peace Operations I, 20 December 2002
56 Bring Executive Outcomes back to fight in Sierra Leone., Business Day, 10 May 2000
|