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パネルディスカッション
「街がにぎわう祭り文化」
 
パネリスト
長谷川岳(Yosakoi ソーラン祭り組織委員会専務理事)
香瑠鼓(振付家・アーティスト)
小山陽子(内町まちづくり女性の会会長)
日下公人(東京財団会長)
 
コーディネーター
後藤季男(佐賀新聞社報道局部長)
 
 
●「踊りたい場所」にこだわったことが成功につながる
 後藤―みなさんこんにちは。きょうのテーマは「街がにぎわう祭り文化」です。私たちは2年半前に、ミレニアム、新しい1000年の幕開けに立ち会って、さあ明るくなるんじゃないかと希望を持ちましたけれども、残念ながら今も日本列島はデフレ不況に覆われています。唐津もそうだと思うのですが、地域に元気がありません。沈んでいます。きょうは地域に元気を与える素としての祭りについて、パネリストの皆さんのお話を聞いて、会場の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
 それでは最初に、長谷川さんにお話を伺います。ビデオの迫力のある音楽と踊りに圧倒されましたけれども、1人の学生の熱い思いが、今年の6月のお祭りでは参加者4万4000人、観客200万人を超える、まさに北半球のカーニバルに育っていったわけです。先ほど長谷川さんは、キーワードとして、身銭を切って参加すること、自主独立の運営ということを言われましたが、もう少し詳しくお願いします。
 
 長谷川―歴史のない北海道で生まれたYosakoi ソーランは、ご当地の唐津くんちや本州に数々ある何百年と経たお祭りとは比べものにならない、12年の新しいお祭りです。だからこそ思い切ったことをやろう、やれないことをやっていこうというのが、Yosakoi ソーランの考え方です。
 当初、Yosakoi ソーラン祭りが一番大事にしたのは、踊りたい場所で踊ろうということで、最初から目抜き通りで踊っていたのです。当時は警察からものすごくお叱りを受けました。こういったお祭りは街の中心でやるべきものではない、踊るのであれば琴平川の河川敷に行って欲しいと言われました。警察とお話をすると必ず交通量の一番少ない場所に持って行かれます。私たちは、映画館でもない、劇場でもない、自分たちの街のど真ん中を舞台にしたい、という思いから始めていますから、どうしても街の中心を譲れないわけです。つまり、「踊れる場所」ではなくて「踊りたい場所」にこだわったことが、1回目から今に続いている一番のポイントだと思います。
 2つ目のポイントは、参加者に応分の負担を最初から求めたことです。今までのお祭りを見ていると、行政がお祭りをやり、地元の人たちの参加を募集する。そうすると参加者は、やれ弁当はどうする、着替えやトイレの場所はどこか、果てはお祭りの中の事故の責任まで主催者側に求めてしまいます。Yosakoi ソーラン祭りでは、ユア・オウン・リスクという文言を必ず入れて、自分たちで楽しいことをやっているのだから危険も自分たちで管理しますということを、必ずサインをしてもらいます。その代わり一人一人の踊り子さんには「踊り子保険」に必ず入ってもらいます。
 参加者は、最高の演舞、演技、演出をしてください。そして事務局は、最高の舞台を用意します。後は全く上下関係がなくイーブンな関係で行きましょうというふうに、対等な関係で運営していることが、このお祭りが今に至っている元にあると思います。
 毎年大会が終わった3ヶ月後、9月頃に全チームのリーダーが集まり1泊2日で全道フォーラムを開きます。この中で今年のYosakoi ソーラン祭りの良かったところ、悪かったところ、改善して欲しいところなどを、参加者と主催者側が取っ組み合いをしながら、半分言い合いになりながら、来年に向けての構想や変更点について話し合う。こういう場を持っていることも、1つの特徴ではないかと思います。
 
 後藤―良い意味での学園祭の延長が基本にあることと、長谷川さんを中心とした若いエネルギーをこれまで持続されてきたということが成功の秘訣だと思います。ありがとうございました。
 次に地元の小山さんにお伺いしたいと思います。唐津にはYosakoi ソーランに負けないくらい全国的に有名な唐津くんちがございます。宵山の11月2日は小山さんの誕生日だそうですが、3日間の祭りに昨年も50万人を超す観光客が来ました。後ほど披露していただく踊りのために新しく作られた曲は「えんや」というくんちのかけ声が入っています。
 まず唐津くんちのご紹介と、Yosakoi ソーランへの取り組みについてお聞かせ下さい。
 
 
 小山―私は曳山(やま)のある呉服町に生まれたのですけれども、実は生まれてこの方30年以上、1度も曳山を曳いたことがありません。唐津くんちは男の祭りですけれど、女も小学生の間は曳山を曳けます。しかし14台曳山があるうちに2ヶ所だけ小学生でも女が曳けない町内がありまして、私のいる呉服町もそのうちの1つなのです。
 このあいだテレビで夏祭りの話があったのですが、その中で最近、若者が地元の夏祭りに参加しないので、参加するにはどうしたらいいのだろうと論議されていました。その最後でまとめの方が、若者が参加しやすいように祭りの形態を変えるのではなくて、伝統的な祭りを続けていけば、それが格好良いのだから必ず若者はついてくる、という話をされていました。例として博多の山笠の話をされていて、残念ながら唐津の曳山の話は全く出ませんでしたけれど、唐津の曳山も同じように伝統のある200年以上続いたお祭りで、伝統を崩してこなかったところがあります。
 
小山 陽子氏
 
 各町内で、肉襦袢と私たちは呼んでいますが、上に着る法被は必ず同じ物を全員着ますし、帯もそうですし、鉢巻きの結び方なんかも前で結ぶとか細かい決まりがあって、その通りにしないと上の人からお叱りの言葉を受けたりします。最近茶髪が多いですが、茶髪も実は禁止なのです。これはファッションだからいいじゃないかと、若い人が上の人にくってかかることもあるみたいですが、3日間だけは絶対だめだから、黒に染めろと言って統制をとっているみたいです。
 曳山は小学校1年生ぐらいから曳き始めます。まだ歩けない子どもたちは無理ですけれど、2、3歳ぐらいになると曳山に乗って町周りをして、本当に小さいうちから曳山と触れ合うのです。そして、家で悪さをした子に親が「そんなことをしていると、曳山を曳かせんぞ」と言うと、子どもはしゅんとして必ず親の言うことを聞くというぐらい威力のあるお祭りです。
 また警察の方が曳山の関係者に、曳山を1年に1回じゃなくて、できれば数回やってもらいたいと言ったそうです。というのも、暴走族が10月になると走らないそうなんですよ。10月に捕まると曳山が曳けないからです。
 唐津にはそういう男の祭り、唐津くんちがありますけれども、女の私たちで、新たにやることができないかなと考えまして、このYosakoi ソーランを始めたのです。昨年は私たちとは別の団体が主催して、Yosakoi ソーランを始めました。そのときは7チーム出場で、今年は10チーム出場とチーム数が増えたので、とても嬉しいと思っています。
 実際には、先ほど長谷川さんからお話のあった、教材用の踊りをされている学校がかなりあって、地域の運動会などで披露していらっしゃいますから、今回は思ったよりも参加数は伸びませんでした。来年は是非、もっと頑張りたいと思っています。
 
 後藤―ありがとうございました。長谷川さんが始められたのは、何事の制約にもとらわれない祭り。唐津くんちの場合は、伝えられた伝統を守っていくことで現在の隆盛がある。非常に対照的なお話で面白かったと思います。
 次に香瑠鼓さん、お願いします。長谷川さんのYosakoi ソーランのキーワードの1つに「自己表現の場」ということがありますけれど、その点について振り付けのプロの目から見たYosakoi ソーランを中心にしたイベントの中での踊りについて、また唐津くんちに対する印象も併せて、お話を伺えたらと思います。







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