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オープニング〜神集島炎の太鼓クラブ
 
 
 神集島は唐津市北西部に浮かぶ平らな島。その名の通り、昔神功皇后が海上安全を祈願して神々を集めた島と伝えられています。
 炎の太鼓クラブは、1997年1月に地元小中高生によって結成され、2002年佐賀県大会において優勝し、2003年3月には全国大会に出場しています。
 
 演奏は大人さながらの勇壮なもので、心を揺さぶられるようでした。
 
 
 
 
坂井俊之唐津市長
 
 本日、「第3回地域文化シンポジウムYosakoi ソーランエンヤ!!祭」を開催したところ、ご多忙のなか、このように大変多くの皆様方にご出席を賜り、誠にありがとうございます。主催者を代表致しまして、一言ご挨拶を申し上げます。
 今回のテーマは「街がにぎわう祭り文化」とし、今年で31回目となる唐津土曜夜市にスポットをあててみたわけでございます。本日はYosakoi ソーランの創始者の長谷川岳さん、そして振付家の香瑠鼓さんをお招き致しまして、講演やパネルディスカッションを催していきます。大変貴重なご意見が頂けるものと期待しております。
 ところでYosakoi ソーランは昨年、唐津の土曜夜市において、新しい出し物として市内の小学校やお母さんなど約200名の皆さんが参加され、その熱気が人びとに新鮮な感動を与えたことは記憶に新しいことかと存じます。
 その後、この感動を街の活性化につなごうと、内町地区の「まちづくり女性の会」の皆さんが中心となって日々練習を重ねられ、今回、唐津くんちの曳山囃子をアレンジした曲にのった踊りの披露を企画する運びとなったわけでございます。今後この唐津らしくアレンジされたYosakoiが、市民の皆様の共感を呼び、そして市民総踊りとして中心市街地の元気再生と情報発信につなげていけたらと期待しております。
 唐津には、素晴らしい資源がございます。この資源を生かすのは私たちにほかなりません。私たちの地域を誇りと自信の持てる街としていくために、市民の皆様と共に考え、夢を描き、その夢を叶えるため汗を流し、一歩一歩確実に歩みを進め、実現したいと考えているしだいでございます。どうか皆様方の一層のご理解、ご支援を賜りますよう、心よりお願いを申し上げます。
 本日初披露されます「Yosakoi ソーランエンヤ」や、先輩格の佐世保市の皆様方のデモンストレーションなど、盛り沢山のプログラムをお楽しみ頂きますよう心よりお願い申し上げまして、主催者を代表致しましてのご挨拶とさせて頂きます。どうぞ最後までお楽しみ下さい。ありがとうございました。 (文責 東京財団 田原一矢)
 
YOSAKOI ソーラン祭り組織委員会専務理事
長谷川岳氏
 
 
●南半球はリオのカーニバル、北半球はYOSAKOI ソーラン
 本日は、YOSAKOI ソーラン祭りを、どのように学園祭の延長から今のようなイベントあるいはカーニバルにしてきたかという、裏方の話をしようと思います。
 そもそものきっかけは、高知のよさこい祭りです。よさこい祭りは、民謡のよさこい節を使って踊りを自由にアレンジするお祭りで、人口が30万人の高知市で、約1万5000人もの参加者があります。
 北海道には、見る祭りとして雪祭りがありましたが、残念ながら参加するお祭りがあまりありませんでした。唯一、神宮祭という地元のお祭りがあるのですが、これは出ると1人あたり日当が6000円もらえる、というものでした。自分から身銭を切って参加するというよりは、むしろ参加してもらうために日当を出すような依存型のお祭りでした。
 私が高知のよさこいに行って驚いたのは、20代ぐらいの若い世代の人たちが、大勢踊っていることです。しかも、小学生の子どもたちはお年玉を、中学校・高校・大学生はアルバイト代を貯めてこのお祭りに出ているということがわかりました。
 北海道では日当をもらってお祭りに出るが、高知では参加費を自前で払ってでも参加するという違いに非常に悔しい思いをしました。そこで何とか自分たちでお金を払ってでも満足できるようなお祭りを作り出したいと思ったのが、第1回YOSAKOI ソーラン祭りを始める最大のきっかけでした。
 当初のメンバーは、私を含めて大学生5人でした。当然ながら、5人の大学生が主催して、わずか6ヶ月後に公道を止めた大規模なお祭りをするということを、誰も信用しませんでしたし、許可されないだろうと言われました。実際に一番困った問題は、道路交通法により、パレードをするためには警察の許可がいることでした。我々は毎日警察に出かけて、道路使用許可申請をしていたのですが、毎日門前払いを食らいまして、お祭りの2週間前まで道路使用の許可が下りてない状態でした。
 ひょっとしたら、YOSAKOI ソーラン祭りはできないかもしれないと思ったとき、法学部の友人が、こう言いました、「憲法の中に思想の自由・表現の自由があるのを知っているか。思想の自由の表現手段としてデモ行進がある。このお祭りは学生の自由な思想から始まった。学生の自由な思想の現われとしてデモ行進の申請をすればいい。デモならば1車線とれるだろう」。この法学部の友人はいつも理屈ばかりこねるので、体育会系の私たちには少々煙たい存在だったのですが、今度ばかりは彼のことを崇めました。翌日、警察にデモという形で申請をするところから、第1回YOSAKOI ソーラン祭りが本当に小さいながら実現していったのです。
 許可を受けたのは1車線、3時間の使用でしたが、1車線でできるようなお祭りではありません。実際に使ったのは3車線9時間でした。お祭りによって大通公園始まって以来の大渋滞を引き起こしたので、私たちは第1回YOSAKOI ソーラン祭りが終わった後に、警察から道路交通法違反で出頭命令を受けて、2回ほど警察に閉じこめられる経験をしました。
 つまり、このお祭りは決して行政や商工会議所やどこかの商店街が始めたのではなく、本当にやりたい人が、バランスとか上下といったことをあまり考えずに、やりたいことを実現するエネルギーだけで始めたのです。これが今のYOSAKOI ソーラン祭りの原動力や情熱につながっているのではないかと思います。
 このように官主導ではなく、本当に好きな人が始めてどんどん盛り上がって大きくなっていったお祭りは、残念ながら日本では非常に少ないと思います。
 私たちが歴史的によく似ていると思うのは、南半球の最大のカーニバルである、リオのカーニバルです。このお祭りは、200年前にブラジルにポルトガルから移住した人たちが仮装行列をして始まったお祭りです。最初は警察から迫害を受けましたが、どんどん盛り上がっていきました。1935年にブラジルの大統領が、この祭りを国の祭りにしようと言ったときから、非常に脚光を浴びるカーニバルへと発展していきます。
 私たちは、このような下からの盛り上がり、市民運動という部分での盛り上がりをこれからも大切にして、南半球はリオのカーニバル、北半球はYOSAKOI ソーランと呼ばれるような、北半球最大のカーニバルにしていこうと思っています。
 
●学生の運営から時代にあった組織運営へ
 さて、当初は学園祭の延長のようなもので、しかもスタッフ5人から始まりましたが、このお祭りは、この12年間に4回ほど組織替えをしています。1回目から4回目までは、学生だけで運営を行っておりました。
 ところが4回目に参加者が5000人を超えた段階で、大学生だけの運営は限界がきました。第4回YOSAKOI ソーラン祭りは100人ぐらいの大学生スタッフがおりましたが、リーダーを務める10人の学生のうち7人が留年しまして、YOSAKOI ソーランをやっていると大学を留年すると、父母の方から大変お叱りを受けました。
 大学生だけの運営では限界に近づいたので、5回目、6回目は、地元の商店街と大学生による共同運営に変えました。その後さらに大きく発展をしていきましたので、7回目からは札幌市・商工会議所・商店街・学生による組織委員会という形に変えます。この段階からNPOでの運営になりました。
 そして、寄付や補助金に頼らず自立した運営を目指すため、グッズ販売などのインターネット部門だけを株式会社化しました。その収益をお祭りの運営に使うことにしたのです。第11回からYOSAKOI ソーラン祭りは、YOSAKOI ソーラン祭り組織委員会というNPOと、株式会社yosanetの両方で運営しています。
 YOSAKOI ソーラン祭りは12年間で、学生だけの運営、商店街と学生、NPO、NPOと株式会社というように組織を進化をさせ、時代にあった運営組織を作ってきたのです。これによって当初の約40倍の予算を運営資金にすることができました。規模が大きくなってくると警備などいろいろな費用がかかってきます。そうしたときに補助金や助成金に頼らないで、どういう風に自分たちで独り立ちをするかが、これからの街作りやお祭りで非常に大切なポイントになるのではないかと思います。
 
 
●補助金に頼らないかわりに規制緩和を
 YOSAKOI ソーラン祭りの進化の2つ目は、行政の補助金に頼らない運営ということです。
 実は1回目YOSAKOI ソーラン祭りの予算では、補助金の占める割合が30パーセントほどありました。ところが私たちは、このお祭りの原点を、高知のよさこい祭りのように参加したい人が自分で参加費を払うところにポイントをおいています。参加したい人は参加費を払い、見たい人は観客席の購入という形での参加の仕方を皆さんにお願いしたのです。
 そこで私たちは、グッズの販売やテレビの放映料など自主財源を確保しました。また、振り付けの先生、衣装のデザイナー、音響の先生といったいろいろな関係者の皆さんに、賛助会員という形で祭りに参加して頂くことになりました。
 このお祭りは、特定のスポンサーや企業の意向に左右されることなく、参加者・観客・事務局・業界、それぞれの賛同者が景気・不景気に関係なく偏りなくお金を出し合う運営を試みています。北海道といえば不況真っ直中ですがあまり困らずに運営ができています。
 補助金から寄付金、寄付金から自主財源とお金の出所を移行させてきたことが、このお祭りの最大の特徴です。そして、株式会社の収益の何十パーセントかをお祭りの運営費に充てているので、現在では行政からもらっている補助金は300万円というほんとうにわずかな額です。
 YOSAKOI ソーラン祭り組織委員会は、行政から補助金を頂かない分、大通公園でのパレード、桟敷席を作ることなどを行政にお願いしています。本来、有料桟敷席を公園内に作るのは、都市公園法で禁止されています。あるいは大通公園の中でのグッズの販売や露店の営業も、都市公園法でいっさい禁止されております。ところがYOSAKOI ソーラン祭りだけは、市長の特別な許可をもらい、第7回目からは大通公園の中での桟敷席の販売、グッズの販売を許して頂くことができました。
 今までの補助金のかわりに、NPOとして収益事業をきちんと成立させて、それを運営費にまわす。規制緩和を引き出すことによって、行政との新しい関係を作り出す。そのおかげで、ほとんど補助金に頼らないでお祭りの運営をすることができるようになったのです。
 多くの日本のNPOは、寄付型のNPOといわれます。しかし今後は、自分たちで財源作りをするという発想が、お祭りの運営を始め街作り活動にとっても必要でしょう。
 
●YOSAKOI ソーラン祭りを文化にする
 YOSAKOI ソーラン祭りは財源を確立できました。これから目指していくのは、このお祭りが文化として認知されるように努力することです。
 今のYOSAKOI ソーランは、「祭り」といっても祈りというような意味合いは非常に少なく、多くのチームが単純に踊りを楽しんでいるだけです。そこで、踊る意味合いが全く違う海外の方に参加して頂き、それをYOSAKOI ソーランに参加している人たちに見て頂くことが必要ではないかと思っています。そのために世界中の民族舞踊との交流を深めていきます。来年は15カ国くらいの民族舞踊の方々にお越し頂きます。
 また倉本聰さんが主催している富良野塾で「YOSAKOI ソーランアカデミー」という文化アカデミーを始めました。ブラジルのリオのカーニバルでは、ディレクトリアというお祭りの仕掛け人たちが1年に1回、ハリウッドやブロードウェイに行って徹底的に演出・演劇の勉強をしてきてトレーニングをしていることを知って驚いたのが、この文化アカデミーを始めるきっかけでした。
 よくお祭りでは、その場の雰囲気で演出してしまうのですが、リオではショーとして、見せることに対して非常に高い意識を持っています。YOSAKOI ソーラン祭りが20回、30回と続いていくためには、チームリーダーの感性をどこまで高くするかが問われているのではないかと思います。
 そのためにYOSAKOI ソーランアカデミーを富良野塾で組んだり、あるいは歌舞伎を見に行ったり、そのような文化をどんどん取り入れて、チームリーダーの感性を磨き、トレーニングしていきたいと思っています。
 そして今、YOSAKOI ソーランが一番力を入れているのが、ジュニアです。福島県の天栄村という所で、キャンプを兼ねたジュニア大会を始めました。
 現在、学校の文化祭あるいは体育祭で、YOSAKOI ソーランを使って頂いている学校が1200校ぐらいあります。その子どもたちに、もっと良い音、もっと良い振り付け、もっと良い映像をきちっと伝えたいと思い、私たちは学校用にビデオなどの教材を作ることに力を入れています。
 学校では、音楽の時間でみんなで曲を作る、体育の時間で踊る、技術の時間で鳴子を作る、家庭科の時間で衣装を作るというような、今までの一つ一つの項目を組み合わせる総合学習的な取り組みを、YOSAKOI ソーランのジュニアとして作り上げていきたいと思います。
 これからのYOSAKOI ソーランは、国際交流や文化事業という分野と、ジュニアという分野を大事にしながら、もっとクリエイティブな環境を作ってこうと思います。 (文責 東京財団 田原一矢)







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