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マスコミの先を行く国民の意識
 日本人の国民意識が、この一年間でものすごく変わったと思っています。
 そうなったのは、アメリカは我々の素晴らしいリーダー、素晴らしいモデルであるという気持ちが消えたからです。
 これが消えるのにだいたい二〇年かかったと思います。日米貿易摩擦戦争で、アメリカの方がよほどアンフェアであるということを日本は身にしみて知りました。それから中国は江沢民時代にコテンパンに日本を叩きましたが、そのおかげで中国も理不尽であるということがみんなわかりました。
 ただし、それはマスコミには表れない。学者や評論家の話には表れない。すると結局どうなったかといえば、新聞は売れなくなりました。評論も売れなくなりました。国民はどんどん新聞を読まなくなっています。テレビで政治家が喋っている顔を見ると、その表情で本気か口先だけか、実行する気があるのかわかる。だから日本人はみんなピカチュウになってしまった(笑)。すごいものですよ、その直感力は。
 今日はロサンゼルスでの講演ですから、日本に関する情報提供として、再び強調しておきましょう。この一年間、日本国内の国民意識の変化はほんとうに大変なものがあります。アメリカが立派な優しいお父さん、お母さんだとは思わなくなった。アメリカも自分の国益で勝手に行動すると、心にしみたわけです。それなら日本も自分の国益を考えなければならない。国際親善といった空虚なスローガンはさておき、日本の国益はどこにあるのか、と日本人全体が思うようになったのです。
 自主性や独立を考えると、話は原子爆弾をもったらどうかとか、自衛隊からきちんと首相に報告がいくようにしろ。駐在武官の報告が外務省を通さずに、すぐに内閣に入るようにしろ。あるいは、統幕議長はじつは空虚なポストで、陸・海・空の幕僚長はそれぞれ軍隊と部下を持っているが、統幕議長は何も仕事がない。命令権もない。こんな機能性のない組織があるのか。
 そういった議論をするようになりました。昔なら当然「軍国主義に戻るな」といった批判が起きたものですが、そう言う人がいない。内心では思っていても言わない。言っても新聞が載せない。
 これはものすごい変化です。社民党はかつての栄光が翳って小さくなり、共産党も不人気になっています。国民が「ともかく何主義であれ、必要に迫られたなら必要なことはやらざるを得ない」と思うようになったことの反映ですね。
 北朝鮮が傍若無人な国であるということは白日の下にさらされましたから、朝日新聞も「拉致はなかった」などとはもはや言いません。しかし、「拉致があった」と言うのもシャクですからムニャムニャ言っている(笑)。結局、売れなくなりました。
 日経新聞もアメリカ伝来の経済学ばかり言っていた。それは社員の責任逃れで、特に円高とか円安と相場の数字を載せるのは責任がありませんね。自分なりの解説もつけない。たまにつけると、それはサムエルソンが書いたようなことを、そのまま書いているだけ。それなら、サムエルソンを一冊読めば新聞をとる必要はありません(笑)。
 要するに、アメリカにおける経済学、エコノミストは“職業資格”になったのです。その職業試験のテキストがサムエルソンで、それをわかっている人同士のほうが話が早く通じます。本当は経済現象の理屈は上からでもつくし、下からも右からも斜めからでもどうとでもつくのです。しかし、サムエルソンを共通言語にしておけば一応話が早く済むから、という資格試験の出題がアメリカにできて、経済学は職業試験になりました。その予備校として経済学部があって経済学教授が存在するようになった。
 私のような歴史学派的な人間から見れば、恐るべき堕落です。
 サムエルソンはなくてもいい。言語をつくった功績はあるから、あってもいいが、ちょっと読めばすぐにわかる。それを「原理だ、原論で基本だ、これを知らない者はバカだ」と言うなら、冗談ではないのです。それしか知らないほうがよほどバカですよ(笑)。
 以前、日経新聞の社長や会長に「おたくから来る新聞記者は全部ワンパターンである。私のところに来ると、みんな同じ質問をする。できあがった記事はみんな同じ。違う話をしたら載せてくれない(笑)。デスクの方針か編集局長の方針か知らないが、社員の採用からバラエティをもたせなさい」と言ったら、「私もそう思っている。人事部長にそう言うのだが、やってくれない」と言う。「それは大企業病じゃありませんか」と言うと、「そうなんだ。どうすればいいのか」と・・・。記事で書いている大企業批判と、自分たちが実行している話は往々にしていずこも一致しないのであって、それは日経新聞に限りません。
 それでホンダの話を紹介しました。本田宗一郎さんが人事部長に「お前が採用するのは全部賢いお坊ちゃんの秀才ばかり。使いやすい奴ばかり採用している。そうではなくて、本田宗一郎が若かったときのような奴を採用しろ」と言った。その人事部長は偉い人で、「そんなこと、私にできるわけがない。自分で探してきてください」と答えたのですが、これは本当に名言です。
 要するに社長が直接採用する枠を何名かつくればいいのです。そこでは少し変わった人を採っても良い。ところが「良きに計らえ」と若い社員に推薦権を与えても、彼らもまた社内の空気を見て、上役にそっくりな学生を推薦するものです(笑)。若い人に任せればいいというのは幻想です。やはり社長、または人事部長たる信念をもって「こいつだ」というのをやらなければいけません。
 朝日のみならず日経新聞の部数も落ちていると聞きましたが、その話を聞く前から「最近売れていないな」と気がついていました。というのは、駅売りですね。駅に行きますと、新聞が差してある。チューリップかアサガオのように開いているが、それが三本もキオスクのスペースを取っている。これは不景気が少し治りかけて、サラリーマンが日経新聞を電車の中で読むからなのか、と最初は思っていたのですが違いました。
 出勤がかなり自由な立場ですから、十一時とか十二時に駅に行くこともある。すると、その時間になってもたくさん残っている。売れてないのに、なぜたくさんのスペースを取っているのか。そう気がついていろいろな人に質問すると、「売れていません」と教えてくれました。
 なぜ売れないのか。ある解説は、ブームの時に調子に乗って優秀な人をたくさん採用した。その「優秀」という意味がまたサムエルソン的なのですが、それはともかくたくさん採用しすぎたので、文化欄や政治欄、家庭欄まで新たに幅広く記事を広げた。それはそれで面白く読めますから、どんどん部数も伸びた。しかし、他の新聞販売店が、これではライバルだと怒って扱わなくなった。その後不景気になって、一紙しか取らないという家庭が出てきた。
 それならば日経は一般紙になっていくか、また経済専門紙に戻るのか。その中間の便宜的措置として駅で売る。しかし、決断がついていないことは読者に伝わってしまう。責任をもってやらないと、「スピリッツがない」と読者は敏感に察知して離れていってしまうのです。テレビもそうですね。国民はしらけてしまい、新聞離れ、テレビ離れ。本屋さんもビジネス書や経済書はずいぶんなくなりました。買いたければ二階に行かなければならない。店を入ってすぐ前の方にあるのは旅行や趣味、糖尿病の治し方(笑)。そんなものが一番良い場所に置いてある。
 六本木に大きな本屋がありますが、のぞいてみると良い場所は家庭・趣味のコーナー。なかなかにぎやかです。そこを見るとペットブームですね。園芸と碁もブーム。「そういう本が多いな」と思って進んでいくと、一番最後のところに出産、育児がある。出産、育児、は趣味なのか(笑)。







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