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七世紀から思想の自由があった日本
 しかし、日本には七世紀からそうした考えがありました。「和を以て貴しとす」です。ずっと進んでいるのです。
 そもそもなぜ日本にそういう思想があったかというと、思想とは聖典とされるものを多数の後進が討議するところから生まれる。これは『Voice』の十月号に谷沢永一さんが、「世界文明を三種と見るの説」というタイトルで書いています。それを援用すれば、例えばお釈迦様の言葉を弟子が何百年間もああでもないこうでもないと議論をした。孔子の後も、弟子たちがいろいろに議論をした。キリスト教もまたしかりです。そこでいろんな分派ができた。「派を立てる」ことを「立派」というのですが、立派な弟子がたくさん出た。お互いに議論したから、社会思想がそこに生まれた。
 そのように谷沢永一さんが書いていますが、私はさらにこうつけ加えたいのです。それには後輩が先哲を討議する自由がなければいけない。つまり、マルクス・レーニン主義とか毛沢東思想と祭り上げたら、後輩は議論できません。そういうときは思想は生まれない。わかりやすい例を挙げれば、ソ連と中国にはイデオロギーはあるが思想はない。イデオロギーというのは断定で、反対する人を殺してしまうのですから。イデオロギーだけあって思想がないとは、何と野蛮な国かと思います。
 独裁政権国や共産主義国に思想がないのはそのためで、イデオロギーだけある、断定的な結論だけある。日本はその点、インド、中国、ヨーロッパの聖典を全部勉強することができ、しかもそれを吟味する自由が昔からあった。そしてむやみに祭り上げなかった。だから日本の思想は内容が豊富で、かつ質的にも最高に発達している。
 しかし、そう言う日本人がいない。日本人みずから別にそんな自慢をしない。それはだれでも、自分のことは自分ではわからないという面があるからでしょう。だから私が言うことにしましょう(笑)。
 日本は聖徳太子のころから、思想・信仰の自由があった。こんな国は、当時は世界中ほかにありません。ごく小さな国ではあったかもしれませんが、大きな国では思い当たりません。
 それ以来一四〇〇年が経っている。
 だから「内政の文明化」が一番実現している国は日本だと思います。「そうではない」とおっしゃる方がいれば、ひとつ共同研究をいたしましょう。日本は文明化しているはずがないと思っている外国人が多いから、それは思い込みですよと申し上げたいのです。
 日本は「内政の文明化」と「経済的成功」の二つを実現した国なのです。トーマス・モアは「内政の文明化」も「経済的成功」も願ってはいたが、その実現の手段を知らなかった。
 しかし日本は、今、世界最高に実現している。分配の公平も実現しました。なおかつまだ経済は発展する。しかも投票によって政権は交代する。これ以上の立派な国は世界中にありますか? そのうえみんな教養が高くて、技術がすごくて、儲かってしようがないから世界一援助を配る。―というような日本の達成に、もっと自信を持つべきです。
 こういう国は、いま日本とアメリカです。「内政の文明化」と「経済的成功」の二つを実現した国は、一番は日本、二番アメリカ。三番が台湾になるかどうか? と聞いているわけです。「三番に台湾が入ってきてください。そうしたら一緒に同盟を結んでもいい」というメッセージです。
 さて、そんなスピーチを終えた後の懇親会で、陳水扁の国策顧問であるという人が私に議論を吹っかけてきました。「アメリカは台湾にいろいろしてくれるし、こうせよとも言ってくれる。それに、何かをくれる。しかし、日本は何も言わない、何もくれない。日本は冷たい」と言うので、次のように話しました。
 「日本は礼儀正しい国で、内政干渉はしない国です。しかし、要請があれば何かする。しかるに、このところ台湾はみずからの決意を言わない。日本に何をしてくれと言ったことはない。『断じて独立するからみんな助けてくれ』と、台湾は言わないではないか。アメリカは、国益のためには内政干渉をする国である。したがって、アメリカの内政干渉は、アメリカの国益のためにいつ変わるかわからない。今はちょうどうまくいっているし、アメリカは手厚くしてくれる。それをあなたは喜んで、日本は冷たいなどと言っている。しかしそれは、物事の認識がまったく間違っている」
 さらに次のように続けました。「台湾は独立の精神が不足だと思って、聖徳太子の話をしたのだ。台湾はまず、自分はどうしたいかを言いなさい。そうしたら日本は手伝ってあげますよ。少なくとも私は、台湾のためにと思っているから考えます」と言ったら、その人は「なるほど、そうだ」と言いました。「自分は陳水扁の国策顧問だから、今度会ったら陳水扁にそう申しておく。ついては、日本の日下さんが言ったと名前を出してもいいか」と言うから、「どんな効果があるか知らないが、いくらでもどうぞ」と答えました。
 さて、その会の後日、李登輝さんの家でお会いしました。そのときのことを話しましょう。
 「自分は棚ぼたで国民党主席になった」と李登輝さんが言いました。当時の国民党主席は、ものすごい権力です。というのは、これは同時に中華民国の総統であり、軍隊の最高司令官であり、秘密警察のトップであり、ほかにも何でもみんなそこに集中しているのです。かつては蒋介石が握っていたのですから、それを思えばわかるでしょう。その息子の蒋経国が継承していた全権力を、なぜかこの人は偉い人で、「もう蒋と名がつく人が台湾でトップになってはいけない、生え抜きの人がならなければいけない」と、李登輝さんを副総統にしました。それからすぐ亡くなったのは蒋経国の計算外でしょう。しかしそれで、副総統の李登輝さんは突然“独裁者”になってしまった。
 そのことについて話し始めたのです。「蒋経国さんの棺桶に、私は毎日毎晩十日間お参りに行って長くひざまずいていた」と言いました。これを見て、周りの保守派が、李登輝さんは蒋経国の路線を継ぐ人だ、突然変わったことはしないだろうと安心したのです。祖先を尊ぶという習慣がありますので、それにも適っています。
 こういう話を聞きながら、それがレジティマシー(正統性)だと思いました。自分は棚ぼたで総統になった。そのもとは蒋経国の思いつきかわかりませんが、とにかくいただいたもので、望んでなったわけではないと周り中に見せるために、棺桶の前で一週間も十日もお参りを続けた。その間に新路線はこうだとか、はしゃいだ様子はまったく見せないわけです。ひたすらお参りをしていた。そういう話を、李登輝さんはした。まあ、これは有名な話で、私は何回も聞きました。
 なるほどそうだろうという気持ちになります。もちろんその背景に李登輝さんならではの人柄とか、生い立ちとか、教養があり、そのさらに背景には日本の教育があるような気もするのです。
 つまり言いたいことは、呂秀蓮副総統と陳水扁総統にはレジティマシーをどこに求めるかという思慮がない。選挙という手続きだけで満足している。さらに言えば、日本は聖徳太子よりさらに二〇〇年も前から世襲の天皇制で統一と安定を実現した。中国に対して独立を守るためにはそれが必要だとわかっていたのは、台湾とは大違いだと私は半分怒って言っている。韓国と台湾が事大主義だから日本はナショナリズムになるのです。それをわかってほしくて、李登輝さんと対比させて言っています。
 ともかく李登輝さんは全権を掌握して、実に気長に辛抱強く、十年もかけて少しずつ少しずつ保守派の抵抗を破っていった。本心は、台湾人の政権をつくる、台湾人の国家をつくるということですが、そのためには、いきなり選挙とか、憲法改正などと言い始めたら保守派が反対するから、実に辛抱強く十年もかけてやった。
 そうやってみんなを安心させ、憲法を改正し、第二回の総統直接選挙ではついに国民党から出た連戦は負けて、国民党は下野する。自分も国民党主席をやめて、何もかも権力はなくなってしまって、「後は台湾の皆さん、頑張りなさい」という気持ちだったのでしょう。その跡を継いだのが陳水扁と呂秀蓮です。
 自分は見ていられない、なんだ彼らは、と李登輝さんは思っていると思います。もちろんそんなことは言いませんよ、これは私の推測です。







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