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新規範発見塾
(通称 日下スクール)
Vol. 17
KUSAKA SCHOOL
 
 本書を読むにあたって
 
 「固定観念を捨て、すべての事象を相対化して見よ」
―日下公人
 これからは「応用力の時代」であり、常識にとらわれることなく柔軟に物事を考える必要がある。それには結論を急がず焦らず、あちこち寄り道しながら、その過程で出てきた副産物を大量に拾い集めておきたい。
 このような主旨に沿ってスクールを文書化したものが本書で、話題や内容は縦横無尽に広がり、結論や教訓といったものに収斂していない。
 これを読んだ人が各自のヒントを掴んで、それぞれの勉強を展開していただけば幸いである。
 (当第17集は、2003年9月から5回分の講義を収録している)
 
(二〇〇三年九月二十五日)
 先週台湾へ行ってきました。明日からロサンゼルスへ行きます。前回ここで「聖徳太子からマンガまで」という話をしましたが、台湾ではその聖徳太子のほうの話をしてきました。明日からのアメリカでは、マンガのほうの話をするんです(編集部注「特別編・ロサンゼルス講演」参照)。
 台湾での話から申し上げます。台湾はご承知のように国民党が長く支配していたのですが、三年前の総統選挙で民進党の陳水扁氏が勝ち、政権交代となりました。それで台湾は民主化したと自慢しています。
 陳水扁総統の下に呂秀蓮という女性の副総統がいますが、その呂秀蓮が、「民主太平洋連盟」というのをつくろうと、太平洋周辺の小さな国の副総統ばかりを十何人も集めました。自分が副総統ですからバイスプレジデントだらけ(笑)。それからアメリカの国会議員を七、八人呼びました。「台湾は選挙によって政権交代し、民主化したから、アメリカは応援してくださる」と、北京に向かって当てつけるのが趣旨です。
 しかし、実際は呂秀蓮個人色が強くて、次の選挙にもう一回副総統に選んでもらいたいという国内運動ではないかと感じてしまいます。彼女の狙いは、アメリカの国会議員と談笑しているところをテレビに撮ってもらいたい、もうそれだけでいいんだという感じでした。そう言われても仕方のない雰囲気だったのです。
 さて日本はというと、タイミングの悪いことに九月二十日が自民党の総裁選挙になってしまった。だから自民党の人は行かれません。それで私が行って、日本代表でスピーチをしてきました。そのあと、李登輝さんにも会ってきました。なかなか好対照でしたので、順番に話しましょう。
 まず予備知識として台湾の状況を説明しますと、前回の選挙では国民党が二つに割れた。連戦という国民党の主席に対抗して、宋楚瑜という人が親民党をつくり割って出た。それで台湾独立派、つまり民進党の陳水扁が勝ちました。しかし来年(二〇〇四)の総統選挙では、国民党と親民党が連合します。
 いっぽう陳水扁のほうは、経済不振が続き政府への不信感が高まる中で、このままでは負けるだろうと思われています。
 さて、会議が始まり私の番が来て話したのが、きょうお配りした紙です。「民主主義と東洋精神(日本精神+台湾精神)」というタイトルをつけました。これを向こうの人が、中国語と英語に訳して配りました。今日は日本語だけお配りしましたが、いや、おもしろいですよ。中国語に訳すと短くなってしまうのです。それから英語に訳すと長くなりますが、なるほど台湾には英語のうまい人がたくさんいるなと感心いたします。
 じつはこれは、翻訳しやすい日本語を心がけて書いたのです。つまり日本語は微妙なニュアンスが多い。だからそういうものを全部そぎ落として、翻訳しやすいように短く区切った。だから、一、二、三、四、五、六、七、八、九と短く区切ってあります。
 順番に説明しましょう。相当な当てこすりが含まれているわけですが(笑)、そのつもりでお聞きください。日本の人はわかってくれるだろうと期待しています。
 まず一番、最近の日本には「ナショナリズム」が復活する兆しがあると欧米人が私に質問する。二番、平明な答は「そのとおり。この一年間の変化は驚異的で、外交・防衛についての国民意識はまるで変わった。日本人は自分を日本国民と意識するようになった」。三番、しかし、私の心中の答は少し違う。「ナショナリズムにはナポレオン以後二〇〇年の歴史しかないが、今、日本人が回帰しつつあるのは一四〇〇年の歴史を持った固有の日本精神で、重さや深さが全然違う」。
 そして四番、日本最初の憲法、「聖徳太子の十七条憲法」を示す。西暦六〇四年に制定されましたから、一四〇〇年前ですが、これはまだ廃止されていない。そして一四〇〇年間、日本では同じ国家が存続しているので、この教えは普及し、日本精神の基盤となっている。内容はたいへん知的である。また、そのほとんどは公務員の服務規程で、国民の幸福増進と独裁政治の排除がその目的になっている。日本は一四〇〇年前から民主主義の価値を心得ていた。
 五番、ちなみにこれを起草した聖徳太子とそのグループは、当時の世界の主要思想と主要宗教に通じていた。聖徳太子は『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』という仏教の解説書を著しています。さらに中国の儒教と道教、ローマのキリスト教(景教)、それから日本の神道、いずれも全部知っていました。
 そしてそれらの中から、日本国家および公務員が任務とすべきものを、十七条にコンパクトに集約したのですから、たいへん知的であり、また合理的でもある。ここには「小さな政府」の思想が感じられる。もちろん「軍国主義」はないし、「経済発展第一の思想」もない。
 六番、つまり日本にナショナリズムが復活しているのではないかと質問する人は「軍国主義」のことを言っている。あるいは経済のことを言っているが、それよりももっと深い精神が復活しているという反論で、それは共存共栄の精神です。それから面白いことに、精神的倫理規定は十七条のうち最初の四条だけで、それも国民の精神の内面には立ち入っていない。三宝を敬え、天皇の前では謹めと、態度を言っているだけです。
 心の中まで干渉をしていないところは極めて近代的です。これはヨーロッパのほうが、徹底的に遅れています。王様が信じた宗教は、国民も全部信じて帰依しなければいけない時代が長く続き、信じない者は国外へ追放したのですからね。
 七番、次にトーマス・モアの著書『ユートピア』(一五一六年)を紹介しました。こういうのを台湾人は大好きなんです。アメリカの大学に行ってきたというのが、一番の自慢ですから。ほんとうは聖徳太子のほうが深いのですが、トーマス・モアとかジェファーソンとか言うと、おお、日本人は知的だなと思って、それなら私も知っていますと喜ぶ(笑)。だからトーマス・モアを登場させます。
 理想国家を紙の上に文章で構築するのは、ヨーロッパではプラトンに始まる。その流行はしばらく途絶えていたが、トーマス・モアがまた書きました。すると『ユートピア』によく似た本がその後たくさん出た。それをマルクスが「ユートピア社会主義者」と名づけて、あれは非科学的で、勝手に夢を書いただけであるといった。自分のは「科学的社会主義」だと『資本論』を出した。私が最初に読んだのは高校生のときでした。虐げられた人が自分のうっぷん晴らしを書いているのですから、同情いたしました。しかしそれに科学的と名前をつけることはおかしい。内容はずいぶん非科学的である(笑)。
 こういう風に中身は自分のエゴなのに、それを主張するときは「科学」とか「グローバル・スタンダード」とか普遍的な名称をつけるのはユダヤ人の心情です。日本には、それに騙される人が多くて困ります。もともと科学やグローバルについての知識がない人がころりと騙されます。
 マルクスの話はいずれするとして、トーマス・モアが書いていることは君主の強権を制限しようということと、貴族が贅沢するのをなくした国家が良いということです。後に続いた人も大体そのようなことを書いています。さて、それをどう実現するかというと、一番は私有財産を否定する。二番はマーケットとマネーを否定する。すると共同生活になってしまう。何なら寮をつくって一緒に寝泊りしよう、みんな節欲しよう、贅沢はやめよう。王様は否定して共和制にしよう。これが、ユートピア社会主義に全部共通しているところです。
 そしてここでは、自由経済とか、個人の思想の自由については何にも書いていない。要するに王様憎し、貴族憎しなんだなと私は解釈します。そこでの人々の生活は、同じ服を着で勤勉に働き、共同で食事をし、貯金をする、と、こう書いてある。
 私がそれにつけ加えて、「これは中華人民共和国とソビエト連邦がやったことですね。しかしもう失敗して、世の中から消えました」と言うと、台湾人は大喜びした。しかし、それだけでは思想の独立が不足です。敵の悪口やお世辞を喜ぶようではだめです。
 ところで、トーマス・モアは、このユートピア国がする戦争についても書いている。理想国が行う理想の戦争は以下のとおりである―専守防衛でもだめ、不戦の誓いもしない、攻撃だってやるときはやる。ただし、その目的は自国民の生命と安全のためで、利益を求めて戦うのではない。
 トーマス・モアが主張したかったのは、何はともあれ君主個人の虚栄心とか自分の利害から発する戦争を避けることだったと思われます。つまり、それが民主主義の主な中身です。国民が戦争に反対する力を持ちたい、という願いです。というのは、君主が戦争をやりたいと思う大きな理由は内政上の困難だからです。外に敵をつくって国民の不満を散らしてしまえ、というのが常套手段です。
 ブッシュ大統領親子と中国共産党にあてつけて言いました。
 そういうことをなくすには「内政の文明化」が必要だと、トーマス・モアは言う。平易に言えば、内政が文明化していないために、外に戦争を求める国がある。それは、周りの国としては大変迷惑だ、という意味です。







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