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サラリーマンがノーベル賞を取った理由と意味
 余談を言えば、ノーベル経済学賞が来年、再来年とどんどん変わるはずです。これまでのような理屈だけの経済学に賞を出していると、ノーベル経済学賞自身が疑われてしまうからです。もっと血が通った、人間の気持ちが入った、読み物としても面白い経済学の本を書いた人に、ノーベル賞を出そうということになるでしょう。
 その口火を切っているのはノーベル物理学賞や化学賞で、基本特許よりも応用特許、基礎科学よりも人類の幸福に役立つ科学―というよりはテクノロジーのほうに受賞者が移ってきました。
 サイエンスよりもテクノロジーのほうにノーベル賞を出さないと、人気がなくなって自身の存在が危なくなる。あるいは優秀な若者がノーベル賞を目指すと、みょうちきりんな研究ばかりするようになる。それへの反省だと思います。
 応用技術のほうにノーベル賞を与えるように変わってきましたので、日本人が二人同時に受賞して話題になりました。サラリーマンの田中耕一さんが取ったことは快挙ですが、ノーベル賞自身がそちらの方向へと変わってきたのも面白い点です。日本のほうが先進国だったのです。世界人類が褒めたくなるようなことを、日本人はすでに実行していました。だから向こうが褒めるようになったのであって、サラリーマンが受賞したことの理由と意味は、このような視点で見たほうが正しいと思います。
 ところが経産省とか文科省は、「日本人はもっと基本的なことをすべきである。ノーベル賞を取れるようにならなくては、日本は終わりだ。国立大学の超一流教授にもっと補助金を出して、ノーベル賞を取れるようにしようではないか」と二、三年前から熱心です。
 一周遅れていますね、困ったものです。以前そういう関係の委員をしていたとき、「おやめなさい。日本の若者がみんなノーベル賞を取るようになったら、日本経済はつぶれる。経済だけではなく国家がつぶれる」とか「国立大学への研究費より、会社の中できちんとボーナスを渡したほうがよっぽどいい」と言ってきたのですが、ようやく事実がそうなってきました。「技術進歩の機関車は、官庁の指導より社長の命令だ」とも言って、委員を降ろされました。
 経済学とノーベル賞の関係も同じです。かつてはイギリス人が主力でした。ところが、優秀な若者がみんなノーベル賞を目指すようになると、英国経済はすっかり沈滞してしまったのです(笑)。
 ノーベル賞というのはその程度のものであって、「離れて見れば富士の山」ですが、そばへ寄って見ればアバタだらけです。
 だからディアドラというシカゴ学派の学者が『ノーベル賞経済学者の大罪』という本を書きました。このディアドラさんは面白い人で、四十歳ごろ性転換をして女性になった。だから今は女性です。なかなか美人なので嬉しいらしくて写真が載っていますが、それはともかく、この人がノーベル経済学賞はインチキだという理由をたくさん書いていますから、読んでみるといいでしょう。
 
中流精神が滅び始めたアメリカ
 話を戻しますと、冷戦が終わったことによって、資本家が本性をむき出しにするようになりました。
 その中の一つに、国家を操作して高利益を上げるという方法があります。有名な話で思いつくのはクライスラーの社長です。アイアコッカはワシントンにばかり出勤し、「日本にいじめられている。助けてくれ。クライスラーを助けろとは言わない、アメリカの車を助けろ。ジャパニーズ・カーはつぶせ」と訴え、日本車の輸入規制と緊急融資を受けて立ち直ったのです。今はGMが水素自動車でトヨタとホンダに負けたから、開発費援助を一〇〇〇億円くれ、二〇〇〇億円くれとワシントン参りをしています。
 ワシントンを使って高利益を上げるというのでは、これは資本主義ではありません。
 否、あるいは本来の資本主義はかえってそうかもわかりませんね。だから国家資本主義とか、国家独占資本主義と、昔はマルクス学派の人が言いました。
 アメリカはそこに戻っているではありませんか、という現象です。さらに上の人が大変な金額のボーナスをとってしまうから、中流・中産階級が没落して消滅に瀕している。そのためアメリカは、外国から入ってきた下層・下流の人だらけになってきました。
 怖いのは中流精神がアメリカからどんどん滅びていくことです。下層・下流の人が「いつかは中流になろう」と思って頑張っていたからアメリカ経済は活気がありました。自動車を持ちたい、家を持ちたい、子供を大学にやろうと希望に燃えて、困苦欠乏に耐えて働くたくさんの移民がアメリカを支えていたのです。
 しかし、未来は明るいという中流精神がなくなり、前途を暗く見るようになれば人々はアメリカ国家を愛さなくなります。







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