イスタンブールでの奇妙な沈黙
帰り道、私はイスタンブール空港でもっと驚いた光景に出くわしました。トルコも、今回は予期しない勝利だったのでしょう。もともとトルコは、ワールドカップへ出るときも「だめだ」と言われながらやっと出られた国です。しかし、やったらだんだん勝ってきた。そこで、恐らく応援団を追加募集したのでしょう。帰り道、イスタンブールの空港で、成田へ向かうトルコ航空の飛行機を待っているごっついのが五、六〇人いました。みんな金持ちです。ユニフォームを着て、もうベロンベロンに酔っぱらっている。そして、大きなトルコの国旗を振り回して大声でわめいている。
「やかましいな、このやろう」と思っていると、そのとき日本人の年配女性の団体が三〇人ぐらいいたのですが、私は大変驚く光景を見せられました。その年取った女性たちがトルコ人たちに拍手したのです。私は「お人よしもいいかげんにしてよ、日本国民としての誇りはどこへ行ったの」と本当に思いました。ところがその後、奇妙な、シラーッとした沈黙が続きました。
トルコ人が、思わぬ反応でびっくりしてしまったのです。何とも言えない雰囲気に、ワーッと騒いでいたトルコ人も静かになってしまった。日本人も拍手したあと相手が静かになってしまったので、「どうしたのだろう」と変な顔をしているという異様な光景がありました。
サッカーが国と国との戦いであるという意識を、日本人はあまり持っていません。ましてや旅行中の年配の女性たちですから、ただ単純に勝者に対する称賛だったのでしょう。単純に日本をやっつけた勝者を「なかなかやるじゃないの」と讃えた拍手だったのではないかと思います。
そういう“オバタリアン”たちの態度がおかしいのか、それとも、私が地政学のやり過ぎで変な日本人になっていたのか。その辺は皆様にご判断いただきたいというわけです。以上です。
【日下】歌川さんの話を聞いて、日本にいた私が思いついたことを言いますと、トルコに負けた仙台の会場では、応援団が実に行儀がよかったのです。私はあれを見て、仙台でやるから負ける、大阪でやれば勝ったと思いました。大阪、神戸だと、ものすごく盛り上がるんです。「ばかやろー」と怒鳴りつけるんです(笑)。選手を怒鳴るのが趣味で行くのであって、そのためには負けてくれたほうが怒鳴りがいがあるのです。だから阪神はいくら負けたってお客が減らないというのがかねてからの私の意見です。
それはともかく、「東北の人はおとなしい、あれでは選手は元気が出ない」と東北の人に言ったら、認めたのですがもう一つ別のことを言いました。あれは県庁が無理やりつくったスタジアムなのですね。すでに市役所のつくった立派なのがあるのに、県庁がまたもう一つ無理やりにつくって、それがとても交通不便なところで、「そこへ行かせるために県庁が無理やり切符を買わせたり、安い切符を配ったりしたので、集まったのは本当のサッカーファンじゃありません」と言うのです。よく地方のイベントで「成功した」というのを人数で言いますが、中身はといったら小学校の生徒を動員したりして、人数だけ増やしております。またそれを仙台はやっていたのかと思った。だから、こういうのもすぐ日本の国民性にしちゃいけないですね。お役所仕事にあらわれる国民性ですね。
先週、北海道へ行って「日本ハムが札幌へ来たら応援するの?」と聞いたら、「まあ、来てしまえばだんだんなじみがつく」という返事です。「日本ハムを育てて日本一にする気はないの」とさらに尋ねると、「そんな気は北海道の人にはありません。全部ジャイアンツファンです。強ければ応援するだけです。自分の力で強くしようという気は、北海道にはございません」と言っていました。
地政学的な対抗心がさっぱりありません。だから、歌川さんがいくら地政学で解説してくださってもピンときません。「日本は地政学的には近隣諸国との関係が薄くて戦争をしたことがほとんどないのです。そのためスポーツは純粋にスポーツです。中央アジアの人とはまるで違う幸せな日本人」というのが一つの感想でございます。もっと国際常識を持って考えないといけないなと、歌川さんの今日の話はたいへん勉強になりました。ありがとうございます。
第73回 「思想の独立」のすすめ
PART1
(二〇〇二年九月十九日)
小泉首相がとっさに言うべきだったこと
日本の将来を心配する人が増えてきました。話は不景気からはじまって外交・防衛に及びますが、そもそもは「思想の独立」がないことが原因です。そして独立を失ってしまった人は失ったことにさえ気がつかない、ということを警告したいと思います。
小泉純一郎首相が北朝鮮に行って、それから二日経ちました。拉致事件で死者八人ということが、たいへん話題になりましたが、翌日の新聞は一体どんなことを書いているかと思って読んでみると、「ご家族は泣いている」という話ばかりです。
北朝鮮が路線の切りかえをしたのはどういう意味を持っているのか、日本はそれに対して国家としてどう対応すべきなのか、という当然書いていなければならないことが書かれていません。
それから、小泉さんはとっさに何を言うべきだったか。それについても何も書いていません。
そんな状況を見ていると、問題は思想の独立がないことだとわかります。
小泉さんはショックを受けて黙っている場合ではありませんでした。普通のアメリカ人、あるいは権謀術数を旨とするイギリス人、フランス人であれば、次の点ぐらいはすぐに言ったことでしょう。つまり「死んだ人はそれだけか。拉致した人の総人数は何人なのだ。日本の警察の調べでは一四人だが、そちらの調べでは何人なのか、今ここで本当のことを言ってもらいたい。もちろん、その人数は今後増えないでしょうね」と、まず第一発目に言うべきでした。
つまり、第一が「人数はそれで終わりか」ということです。そして第二に「死んだのはいつ、どこで、どういう事情か」と聞く。
第三番目は「責任者の処罰をしたと言うが、そんなことでは済まされない。責任者を全部日本へ引き渡してもらいたい。日本の法律によって裁判をする」。
そんなことを言ったって引き渡すはずがない、などと余計なことを考えてはいけません。そういう余計なことを考えるのは事務員であって、ステーツマンは堂々と言うべきことを言わなければなりません。
第四番目は「そちらが悪いのだから賠償金を取る。国家およびご遺族の両方が要求する。追って金額は伝える」。
このぐらいは、とっさに言わなくてはいけません。後のことなど考えずに、すぐ言うべきことです。すぐ言ったほうが、もめごとが少なくて済むのです。
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