思想の独立なき日本
そこからもう一呼吸置いて、「賠償金をきちんと払わなければ、払わざるを得ないように実力行使する」と言うべきです。具体的に言えば「保障占領」です。北朝鮮の港を自衛隊が占領し、金を払うまでは動かない。歴史にはそういう例がすでにあるのです。ステーツマンならそれを言い、そして実行しなければなりません。海上封鎖でもいい。これは侵略ではありません。
そして、あらかじめそういう事態を考えておけば、そもそも国交がない平壌へいくなどは無用心です。領空侵犯、領海侵犯のぎりぎりまで海上自衛隊と航空自衛隊を展開しておいて、それから乗り込むなどは当たり前のことです。そういうことを進言しない周りの人は、いったい何をやっているのかと思います。そういうことを書かないマスコミも同様です。悲しんでいる場合ではありません。
2002年9月17日、日朝首脳会談が電撃的に行なわれた。 日朝共同宣言の署名を終え、握手する小泉純一郎首相と金正日総書記 |
これはもうセンスの問題です。理屈でも何でもなく、日本中のセンスがそうなっているというのが、思想の独立が日本にない証拠です。
あとから具体的に触れますが、戦前の日本には思想の独立がありました。明治維新のあとの日本人は立派でした。諸外国から良いところだけを選んで日本に取り入れましたが、それは自分の思想があったからです。
ところが、日本の思想の独立をつぶそうというのがアメリカの占領政策であり、独立精神を持たないようにするあの手この手が尽くされました。マッカーサーは、日本人ぐらい勝者におもねる国民は見たことがない、あのぐらい統治しやすい国民はないと言ったという話がありますが、その後遺症は、五〇年以上たった今もやっぱり残っています。
国家については考えないとか、外国の悪口は言わないとか、権力者の言うとおり繰り返しておけばいいんだという体質がいまだに残っているから、新聞は今回も書くことがなかった。テレビ局も責任を逃れて、適当に識者を集めて言わせているだけで、言う人も多分、とっさに思いつきを言っているだけでしょう。
これが思想の独立を失った光景です。問題は独立性を失っていることです。そして、思想の独立を失ってしまった人は、失ったことにさえ気がつきません。
小泉首相訪朝に関連して誰も言わないことを言えば、以上の点を指摘したいと思います。
月刊『文藝春秋』に関川夏央さんが、ある席での私の発言として以上を紹介していますが、ある席とはテレビ朝日の番組審議会です。そのときは桂委員長から拉致問題への言及を封じられましたので委員を辞めました。驚くべき言論弾圧でした。
トルコと欧米、どちらが男女同権か
イスタンブールへ行ったとき、新聞『ヘラルド・トリビューン』を読んでいると、こんな記事がありました。
アメリカの学者が、最近トルコの女性について研究したところ、トルコの男性は女性を殴る。にもかかわらず女性の大多数は、夫を正しいと思っている。私が至らないからだと反省している。そのぐらい徹底的に男女差別教育が行われている、と書いてあった。
それを読んで何を思うでしょうか。アメリカの学者が、何でこんなことを喜んで研究し、新聞がそれを載せるのでしょう。これもまたアメリカの「アメリカは男女同権の国である。トルコは遅れている」というプロパガンダです。
こんな反論も可能です。私がそれを読んで思ったのは、ヨーロッパの男もみんなそうだったということです。しかも、奥さんだけではなく、子供を殴るのが趣味だった話がたくさんある。それがヨーロッパ一〇〇〇年の歴史です。
日本からドイツ、フランス、イギリスヘ留学した人の体験記が、明治、大正、昭和とたくさん出ています。それを読むと、「ヨーロッパは立派な国だというけれども、子供の泣き声が夜になると聞こえてくる」と書いてありました。イギリス人の家庭に行ったとき「あなたたちの家には奥さんを殴るムチと、子供を殴るムチと、だんなの部屋には二本常備してあるそうですね」と聞くと、「あるよ、見せてやろうか」と言われました。「これがそうだよ。でも私は使わない。使ったらこっちがやられるよ」と言うので、世の中変わったなと苦笑したことがあります。
あるいは、江戸時代に日本に来たヨーロッパ人が、こんなことを書いているのを読んだ記憶があります。「江戸というのはすごい町だ。町中くまなく歩いても子供の泣く声が一つも聞こえない。こんな町はヨーロッパ中ない」。つまり、子供をいじめる親は日本にはいない、だからよっぽど文明、文化が高い国であるという意味です。彼は驚嘆してほめているわけですが、しかし日本人は読んでも何とも思いません。当然だから記憶に残らないので、こんなことを話題にするのは私ぐらいです(笑)。
しかし、それでは国際感覚がないわけです。アメリカ人が『ヘラルド・トリビューン』にこんなことを書くのは、トルコ人をへこませてやれという意図です。だから「亭主が奥さんを殴る」というその次に、「悲しいことに、トルコの女性は自分は至らないと反省している」と続くわけです。ゆえにトルコは近代化しなければいけない、したがってアメリカは干渉する、と、要は話をそっちに持っていきたいのでしょう。
ところで、アメリカ人がすぐこういうことを気にするのは、アメリカだって奥さんを殴るからです。最近少し下火になったことを自慢したいのです。それでこういう研究をし、新聞に書いて自己満足をしているのでしょう。
これをトルコに配る。そういうことを一〇年も二〇年も積み重ねれば、相手もそれを反省し、自分は遅れていると思うようになります。
思想の独立が失われていきます。だから、反論すべきときは反論しなければなりません。それが国際感覚というものです。
アメリカ人が日本へやってきて、「日本の女性の地位は低い」とさかんに言った昔を思い出します。
本当の答は「低いと思えば低い。高いと思えば高い」のですが、低いと思い込んだ女性が日本国内に量産されました。その女性たちはアメリカ人が大好きです。最近特にそれを感じます。
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