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一枚の紙で消滅した八重山共和国
 八重山共和国に話を戻すと、関係者一同は大いに盛り上がって自治活動を始めました。
 しかし、八日後、十二月二十三日の朝にアメリカ軍がやってきます。チェース少佐と、兵隊五、六人がやってきて、八重山郵便局の壁に紙を一枚ぺたっと張った。
 その紙は、「US NAVY軍政国」と書いてありました。
 ワシントンで「海軍少将、ジョン・デイル・プライスが南部琉球軍政長官になれ」と決まって、このプライス少将が地図を見たら、「八重山島も自分の縄張りだ。それではおまえ、行ってこい」と命令したので、チェース少佐と兵隊がやってきて、ぺたっと紙を張った。「ここは今からアメリカのものだ。軍政をしく」という意味です。
 それで全部パーです。郵便局の前に紙を一枚張ったら、八重山共和国は消し飛んでしまいました。
 これも大切な教訓です。すなわち、国家は手づくりでもつくれるが、紙一枚でも消えるほどのものです。実力次第というわけです。
 インドネシアの場合はオランダに対して武力で抵抗しました。オランダがあきらめるまで戦って独立を守りました。八重山にはそれがなかった。
 しかし、そのチェース少佐は、「生活は成り立っているか」と面倒を見てくれます。「マラリアで大変です」と訴えれば、たちまちマラリアの薬をたくさんくれて、島民は「もうこんなありがたい人はない。アメリカ様々」になってしまうのです。
 そこから先がまた面白いのは、やはりアメリカ人です。「ここの政治は、これからこのようにやる」と、法による支配をはじめます。一番偉いのはアメリカの海軍少将、その下が八重山の支庁長ですが、人選については「それは選挙せよ」と言います。選ばれた支庁長はこの権利と義務を持つと、二八項目を全部書く。それから、「あなた方には人民の権利、義務がある」と一一項目を文書で書いて、そのあたりに張る。
 こういうところが、法による支配です。アメリカは何でも法による支配と言いますが、それを実行した。法が先にあるわけです。
 アメリカの国づくりの歴史が、まさにそうなっているわけですね。西部へ、西部へと開拓し、ここに町をつくるというとき、まず真っ先に「この町の法律はこうだ」と法を立てる。町長は誰、保安官は誰、裁判官は誰と決めていって、まず行政秩序をそこにつくりあげます。そして「これでいいか。嫌な人はもっと遠くに行け。これでいい人だけここに残れ」です。すなわち、領土や住民よりも何よりも先に法があるわけです。
 法による支配、嫌なヤツはもっと向こうに行け、土地はいくらでもあるぞ、というのがアメリカの国づくりのパターンです。その繰り返しでずっと来た国ですから、同じことを沖縄でもやったのです。
 書き上げる能力というのがアメリカの特徴です。これを「文明だ、統治能力だ」と彼らは言っています。
 こうすれば、世界中誰でも統治できる。異民族でも、異文化でも、何でも。しかし「嫌なら出ていけ」というやり方ですから、だんだん地球が狭くなってくると、タリバンに「嫌なら向こうへ行け」とも言えません。日本にも言えません。あまりにも大きな国だからです。そこで日本には自治と半独立を認めざるを得ませんでした。
 法の支配と住民自活のかねあいはこれからどうなるか、という次の話になります。
 いずれ日本的に、まず住民の共同体を認めなければいけなくなることでしょう。日本のやり方は、まず、共同体を認める、我々は共同体だ、メンバーは先決で変えられない。固定メンバーの中でいかに暮らすか。法秩序はこれから相談して決める。そのとき、「おまえ、出ていけ」とは言えません。異分子を抱えたままの共同体となって、秩序をつくっていくわけです。
 すると、一番上は天皇のような、要するに何もしない人が一番です。これもアメリカとの大きな違いです。一番上は、何かする人ではなく、何もしない人がいい。というのは、下が広いからです。すそ野が広いほど、上の人は高く上がって何もしなくなるものです。中小企業の社長は先頭に立ってよく働きますが、大企業の社長は仕事をしすぎてはいけません。それと一緒です。
 だから、日本式はメンバーは固定で、会社でいえば終身雇用です。アメリカはメンバー入れ替え制ですから、「私の勤務評定に不満がある人は、他の会社へ行きなさい。長所を認めてくれるボスを自分で探しなさい。まあ推薦状ぐらいは書いてあげましょう」というやり方です。つまり秩序は譲らない、人間が出入りしろですね。この話を進めていくと、日本人が求めるリーダーとアメリカ人が求めるリーダーにどんな違いがあるのか、面白い比較リーダー論になりますが、まあ、それはまた別の機会に譲るとしましょう。
 それから日本で憲法改正ができない理由の話にもなります。私の考えは、憲法は無用の存在だからです。憲法を気にして改正を叫ぶ人はアメリカナイズされた人です。
 
この共和国は誰に対して独立したのか
 さて、八重山共和国に話を戻すと、軍政に移行して翌年の一月二十四日になると、アメリカ海軍軍政府の沖縄県庁という役所ができます。その出先となる八重山支庁というのがまたできて、チェース少佐が言ったことも取り消しになりました。そのとき、不思議なことに八重山は沖縄に完全に帰属せず、分割統治で八重山地区にされてしまいます。もしかしたらアメリカは八重山を独立させて、アメリカの保護国にしようとしたのかもしれません。日本国はそれを承認すべきかどうか・・・です。
 それが六年間続きますが、ある日突然、沖縄は日本へ返すというとき、八重山も一緒に日本に戻ることになります。
 佐藤栄作が総理大臣のときです。アメリカはニクソン大統領でした。日米繊維交渉が行き詰まっていたとき、「繊維のことはニクソンさんの言うとおりにしてあげます」と日本は譲歩した。そのおかげでニクソンはアメリカの繊維業界から政治献金をたっぷりもらい、そのかわりに沖縄を日本に返還した。それで「糸を売って縄を買った」と言われたものでした。ニクソンは沖縄に興味がなく、したがって八重山にも特別の興昧がなかったので、一括返還になりました。それは良いが、さてこのとき、昭和二十年十二月十五日の夜に八重山共和国はどこから独立したのか、誰に対して独立したのかという問題が生じます。
 まあ、日本国からの独立ですから、また日本国の統治に戻るのは具合が悪いわけです。事情が事情とはいえ、「おまえたちは反乱罪だ」と疑われてはたまりません。そこで大統領になったり役職についたりした四、五人の人は、それをひた隠しにします。それで、十二月十五日の夜のことは記録から消えているわけです。
 
一〇人いれば、宮古島も独立
 こんなことも言えますね。八重山共和国の独立宣言は、誰に対する独立宣言なのかを日本は気にするが、当人たちは、そんなことはどうでもいいわけです。人から干渉されなければ、それでいいわけです。
 つまり、「生意気だ、許さない」と思う国がまったく現れなければ、独立なんて一晩でできるわけです。それから、たとえ干渉があっても、それに対抗するための自分の武力か、別の国からの応援があればいいわけで、応援のほうの力が強ければ独立成立です。
 一五〜一六年前、石垣島のそばの宮古島でトライアスロンをやろうという話があって、そのとき三日ほど泊まりました。時間があったので、こんなことを考えてみました。
 独立しようと思えば簡単だ。警官は一〇人か二〇人ぐらいしかいないのです。自衛隊はレーダー基地だけです。
 ホテルの中に一室を借りて、一〇人ぐらいで独立宣言をすれば済むのです。
 短波放送で「宮古島共和国、本日ただいまをもって独立いたしました」と放送すれば独立宣言完了です。今ならインターネットがありますから、ますます簡単です。とにかく宣言を出してしまえばいいわけです。
 友達を連れて一〇人ぐらいでやったとすれば、つぎは外務や財務など、それぞれ担当大臣を決めます。それで行政組織誕生です。
 警察への対抗力としては、中国かどこかの国とあらかじめ交渉しておけばいいわけです。独立宣言したその瞬間、某国の潜水艦から機関銃を持った一〇人か二〇人が上陸してきて、直ちに「我が中国は、この宮古島共和国を承認する」と言ってもらうのです。こちらは「ありがとう」と言って、友好善隣条約と相互防衛条約を結びます。「結んだ」と言うだけでいいのです。すると、機関銃を持った一〇人は駐留軍になるわけです。当時の自衛隊は手も足もだせなかったでしょう。
 これで宮古島共和国は、いったん成立します。日本政府がそのまま放ったらかしておくと既成事実になってしまいます。かといって潰しに行こうと思ったら中国と戦争になる。さあ、どうしますか?です。
 そんな事が起きたとき、どうすればいいのか。日本はそのマニュアルも、覚悟も、準備も持っていません。
 ところで、戦前の日本にはそういう視点と対抗準備がありました。内乱防止と通敵防止の法律や警察がありました(九・一一以降のアメリカと同じです)。そこで共産主義者やそのシンパが狙われました。シンパの範囲がだんだん広がって自由主義者に及び、やがては反軍思想の持ち主と思われる人にも広がりました。“目つきが悪い、ちょっと来い。取り調べる”というのがあって、沖縄の人、朝鮮の人、キリスト教徒は目をつけられやすいのでした。これは日本に限ったことではありませんが、ともかくそういう時代があって、ここで大事なことは、この八重山共和国の幹部にはかつて警察に取り調べられたことがある人がいたのです。その人たちは悪夢の再来と思ったことでしょう。地域おこしの遊びでやっている吉里吉里共和国などと同じに考えてはいけません。独立は生命がけの問題です。







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