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吟詠家の舞台研究1 舞台の約束ごと
井川健
舞台芸術の道
 この二十年ばかりの間に、吟詠家の音楽性が著しく向上したことは、皆さんもよくご存知のことと思います。即ち「安定した音程で正しい音階の節を吟ずる」「吟の節付けは、話し言葉のアクセントを重視する」「詩の内容を、音楽芸術的に感動を与えて表現する」といったことなどの進歩です。
 その結果として、吟詠は音楽芸術として認められるようになり、またそれらの発表の場が、他の音楽と同じ様に舞台を中心にした所謂「舞台芸術」の道を歩き始めました。
 「舞台」とは芸能を演ずる場所のことですが、その多くは、「舞台」に対する「客席」が一対(つい)になって「劇場」(集会場)を形作っています。ヨーロッパではギリシャの野外劇場のように紀元前に作られたものもありますが我が国では室町時代の「能」や、江戸時代の「歌舞伎」のための舞台が、古典的な舞台として、色々な舞台上の約束ごとを持って今日に引きつがれてまいりました。
 しかしいずれの舞台でも “多くの人達”に見てもらうのが建て前ですから、演者は“見せる”“聞かせる”という意識と、しっかりした芸の持ち主でなければ舞台に登場する資格はありません。それともう一つ大切なことは、劇場舞台では舞台上での動作に、ルールとマナーが要求されます。更に時代の進歩と共に次々と舞台が改良される現代では、これらの舞台機能を生かすことも、これからの吟詠家は心得るべきでしょう。
舞台のルール
 劇場には舞台と客席の間に“幕”があって両者を二分しています。開演5分前頃になると出演者は位置に着き(スタンバイという)「1ベル」が鳴って間もなく始まることを知らせます。更に直前の「2ベル」が鳴り終ると幕が上り、こうして舞台と客席が一体となります。
 幕が明(あ)く前から舞台に居る状態を板付(いたつき)といい、安定した効果があります。幕が閉まったり、照明が消えない限り、舞台での動作はすべて観客の眼に入ることを注意しましょう。
舞台の呼び方
 客席から見て、舞台の右の方を上手(かみて)、左の方を下手(しもて)と呼び、上手の方が位(くらい)が高いとされています。従って先輩と連吟をするような場合の並び方は、自分は先輩の下手にくるのがマナーでしょう。
 また登・退場に下手側が多く使われるのは「能」などの翌慣とも一致します。但し次々と出吟者が登退場する様な場合は、下手から登場して上手に退場する“一方通行”の方法が多く見られます。なお舞台では上手が東、下手が西、客席側が南、といった方角の約束になっています。
 
吟詠コンクールの舞台
 
登場・退場
 舞台の両脇の部分を(そで)といい、上手の袖(略して上袖)、下手の袖と呼びます。普通は幕や囲(かこい)で客席から見えないように目隠してあります。演者が袖から舞台に入ってくることを登場(とうじょう)といい、その反対を退場といいます。
 よく次の演者の姿が袖からちらちら見えることがありますが、これは舞台効果を妨げるばかりでなく、出演中の人にも大変失礼なことです。また当人も次の出番を控えて、落付いた気分になるよう、袖の端から3メートル位はなれた位置で待つのが舞台マナーというものです。さて登場の合図(キュー)は“約束ごと”として事前に知らされます。例えば「紹介アナウンスが終ったら」「伴奏音楽の前奏が始まったら」「係(舞台監督)が合図をしたら」などよく聞いておくことです。(登場前の準備や服装点検は、あとで述べます)
 さて、いよいよ登場です、袖から舞台に姿が現われた位置で、軽く客席に会釈または目礼をすると落ち着きますし、またその位の余裕と自然さが欲しいものです。
歩き方
 普通、舞台の袖から中央までの距離は5〜8メートル位ですから、自分の歩幅に合った足の開きとリズムで、ややつま先に力を入れて進みます。両足は二本のレールの上を真直ぐに進むように、その間隔は男性ならば15センチ位、女性は10センチ位が上品です。緊張して綱渡りのように一直線上を歩いたり、能の“摺り足”のように歩く必要はありません。視線は前後左右をきょろきょろ見渡したりせず、前方を見て進みます。恥ずかしいので下ばかり見ているのも陰気でいけません。腕は、和服のときはあまり振らない方がよく、手の指は軽くにぎります、ただし女性はにぎるより軽くのばした方が上品です。要は意識過剰にならず、自然体がよいのです。
 なおカラオケ伴奏などの前奏は、普通15秒前後ですから、少し余裕を持って、中央又は指定されたマイクの前に着く様に注意して下さい。
 
舞台での歩き方
 
歩行コース
 一人から三人位までの登場コースは、袖からマイク位置まで最短距離を直線的に進み、マイクに近づいたら歩調をゆるめながら客席に向くように調節します。演出的な指示以外は、俗にいう“軍隊調”の角(すみ)を取った歩行コースや、“右向け右”的な方向調節はしない方が自然です。多人数による合吟などの場合は、舞台の状況で一概にいえないので、係員の指示に従って下さい。
礼法
 演者が観客に対して礼の心を表わすのは「吟詠芸術」の信条です。ただ舞台での礼の姿は形式的な動作にすぎませんが、その心は舞台から観客席に伝わるものです。前述のように、まず舞台の袖から一歩舞台に入ったなら、客席中央部をしっかリ見てから目礼をして歩き出します。この最初の目礼が観客からの印象を強め、また演者も観客を認識する重要な機会になります。
 さてマイクの前、一・二歩手前で止まり客席に向かって立礼します。あまり深々と頭をさげるのも慇懃(いんきん)無礼です、といってあっさりすぎるのもいけません程々に自然の感じにして下さい。マイクの手前で止まったのは礼の動作で頭をマイクにぶつけないためです、従って前奏が終る頃にはマイクに近寄って下さい。吟が終わったら、一・二歩退って立礼し退場に移ります。
 舞台上での“礼”は“芸”の始まりまたは終りの形でもあります。従って連続された構成吟詠などでは、流れの都合で礼を省(はぶ)くことが多く、またコンクール等では時間を節約するために礼を省略する場合があります。しかしこうした場合でも、礼の心を持って舞台に立つことが、観客を魅了することになるので、決して形だけにとらわれないで下さい。
 
舞台での歩行コース
 
退場
 歩き方も歩行コースも登場の要領でして下さい。よく見かけることですが、不出来の時に“ふてくされ”た態度や、“てれ笑い”などをするのは大変見苦しいものです。







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