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表紙説明
名詩の周辺
 
夜坐、志を言う、述懐(藤田東湖)
茨城・水戸市
 藤田東湖は、水戸藩の儒臣で幕末の尊王攘夷論者。名は彪(のち藩主より名を賜り誠之進)、東湖はその号です。
 東湖は文化三年(1806年)、水戸の梅香に生まれました。現在も産湯に使った井戸が市内に残っており、「藤田東湖生誕の地」としてそばに小さな銅像が建てられ、水戸市の文化財・史跡に指定されています。
 父は彰考館総裁の藤田幽谷で、水戸学の基礎を築いた理論家として知られています。東湖も父の薫陶を受けて成長、父の死後、家督をついで彰考館編輯となり、若くして彰考館総裁になります。たまたま起きた藩嗣問題では斉昭擁立運動を起こし、成功。以後藩主斉昭に重用され、郡奉行、江戸通事、側用人といった重職を勤め、斉昭の天保改革にあたっても斉昭の側近として藩政改革に尽力しました。弘化元年、斉昭が幕府の譴責にあったとき、東湖も小石川邸内に幽閉の身となりましたが、このとき、草したのが「回天詩史」であり、翌年作ったのが「正気歌」といわれています。また、蟄居をゆるされて水戸の自宅へ帰って閉居し、このとき撰したのが「弘道館記述義」です。
 嘉永六年斉昭が幕政に参与することになると、東湖も海防掛として登用され、尊王攘夷を鼓吹し、海防の策を確立し、幕府にしばしば建言しました。このころから東湖の声望は天下にひろく知られるところとなり、水戸学の中心人物として幕末の思想界に大きな影響を与えました。
 しかし、安政二年十月二日、小石川藩邸において大地震にあい、母を救わんとして屋梁の下敷きになり圧死しました。現在東京・小石川後楽園の中には「藤田東湖護母致命の処」という記念碑が建てられています。
 (東湖神社=JR常磐線水戸駅からバス偕楽園行きで約20分、終点下車すぐ)
 
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水六訓
一、あらゆる生物に生命力を与えるは水なり。
 
一、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。
 
一、如何なる障害をも克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。
 
一、自から清く他の汚れを洗い清濁併せ容るの量あるは水なり。
 
一、動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い何等報いを求めざるは水なり。
 
一、大洋を充し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霰と化してもその性を失わざるは水なり。
 
 水を心とすることが平和と健康と長寿の妙薬であります。
 
笹川良一
 
OPINION
明日への提言
「会者 定離かねてありとは 聴きしかど きのふ今日とは おもわざりしを」
故・財団二代会長笹川鎮江先生に対する追悼のことばが日本武道館に沁み渡りました
河田和良
 
 「会者定離(えしゃじょうり) かねてありとは 聴き(きき)しかど きのふ今日とは 思わざりしを」(親鸞聖人(しんらんしょうにん))、の言葉通り、心にひしひしと迫る寂しさに、いまだ傷心の底に沈む日々でございます。先生のお姿の見えない武道館大会は、たいへんさびしゅうございます・・・。鈴木吟亮財団専務理事の追悼のことばが日本武道館に沁み(しみ)渡りました。
 去る十一月九日(日)、日本武道館で行なわれた財団恒例の第三十六回全国吟剣詩舞道大会は、今年、三月十六日に亡くなられた財団二代会長笹川鎮江先生の追悼大会として開催されました。
 この日は、朝のうちは曇り空、午後には風が出て気温も下がり、夕方には小雨模様という、会場を埋めた吟剣詩舞関係者の哀しみを映し出すかのような天候でしたが、おかげさまで、大会は終日大盛会の裡に無事終了することができました。
 故・財団二代会長笹川鎮江先生に対する黙祷に始まる記念式典には、文化庁長官ご代理の畑中裕良主任芸術文化調査官並びに後援各団体代表の皆さまのご出席をいただきましたのを始め、当日は第四十三回衆議院議員選挙の投票日と重なったにもかかわらず、ご子息の笹川堯衆議院議員が選挙区・群馬県桐生から急ぎ駆け付けられ、遺族を代表してご挨拶を述べられました。
 また、午後三時過ぎには、国務大臣・国家公安委員長としてご活躍中の小野清子参議院議員もご来場くだされ、追悼の企画構成番組「日本の心をうたう」一礼と節を吟じた人生一の後半をご鑑賞されますとともに、笹川鎮江先生のご生前の活躍を偲ばれる、心温まるご挨拶を頂戴しました。
 会場のあちこちに、たくさんの涙をみました。
 「別れ行く 路は遙かに へだつれど 宿りは同じ華(はな)のうてなぞ」(法然上人(ほうねんしょうにん))、と朗詠される笹川鎮江先生のお声が聞こえて来るような大会となりました。
(大会の模様は次号でご紹介します。)
 
「最上川のほとりに花咲く吟舞の輪」
全国吟詠剣詩舞道祭
 
時■平成十五年十月十二日(日)
場所■山形市総合スポーツセンター
主催■文化庁、山形県、山形市、山形県教育委員会、山形市教育委員会、財団法人日本吟剣詩舞振興会、財団公認山形県吟剣詩舞道総連盟、第十八回国民文化祭山形県実行委員会、第十八回国民文化祭山形市実行委員会
 
全国吟詠剣詩舞道祭の会場となった山形市総合スポーツセンター
 
地元から特別参加の山形市立第八中学の皆さんが「短歌・みちのくの」(斉藤茂吉作)を披露した
 
最上の川に抱かれて、勇壮に吟じ、華麗に舞う
様々な文化活動の成果を全国的な規模で発表する国民文化祭のなかの、全国吟詠剣詩舞道祭が今年は山形県山形市総合スポーツセンターにおいて華々しく開催されました。早朝から多く吟剣詩舞愛好家が会場に訪れ、期待に胸を膨らませながら、いまかいまかと舞台の開くのを待っていました
 
オープニングで開会の言葉を述べる赤塚岳柳・大会専門部会長。バックは「赤いさくらんぼ」を歌った寒河江市立高松小学校の皆さん
 
 全国吟詠剣詩舞道祭はオープニングや祝賀吟剣詩舞をはじめとして三部構成からなり、第一部は全国各流各派による全国吟詠各流合吟発表、第二部は本部企画構成吟剣詩舞、三部が地元企画構成作品になっていました。
 満員の会場にベルが鳴りわたり、開会を知らせるアナウンスが告げられると、懐かしいかすりの着物姿の子供たちが舞台に登場し、「赤いさくらんぼ」の曲にあわせて愛らしい踊りを、オープニングとして披露してくれました。つづいて、赤塚岳柳大会専門部会長が地元の方言で開会の言葉を述べられたあと、祝賀吟剣詩舞が披露されました。財団でご活躍の女流吟詠家四十四名による「祝賀の詞」が披露され、その艶やかさ、スケール感の大きさ、吟の美しさに圧倒されました。また、平成十四年度全国吟詠コンクール決勝大会少年の部優勝の後藤未由子さんによる吟、同年度剣詩舞コンクール決勝大会剣舞青年の部優勝の多田和晃さんの剣舞による「赤壁」と、吟詠一般一部優勝の志田香織さんによる吟、詩舞青年の部優勝の石渡千紘さんによる詩舞で「漢江」が演じられ、共に優勝者らしい素晴らしい舞台を鑑賞することができました。地元特別参加では、山形に古くから伝わる山上一刀流剣舞伝承の会による「筑摩河」と山形市立第八中学校の皆さんによる「短歌・みちのくの」が披露され、会場から大きな拍手を受けていました。







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