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吟詠家・詩舞道家のための
日本漢詩史 第6回
文学博士 榊原静山
平安朝の時代展望【その二】(七九四〜一一九二)
――歴史を彩る数々の合戦――
 やがて、清盛の専横政治に反抗する動きが旧貴族や寺社の法王側の人々、あるいは地方に散った武士団などにおこり始め、後白河法皇の近臣である藤原成親、平康頼、俊寛(源氏の出身)などが京都の鹿ヶ谷で、平家打倒の密議を開いた。しかし、これが知れて三人は九州の南の孤島、鬼界ヶ島に流され、成親と康頼は翌年許されて帰るが、俊寛だけが一人島に残される。俊寛の嘆き悲しむ様は、平家物語やその他の書、謡曲、演劇などで語り伝えられている。
 
孤島に残された俊寛
 
木曾義仲 法住寺を焼く
 
佐々木高綱『宇治川の先陣』
 
 いっぽう伊豆に流された頼朝は、関東の豪族を集めて地盤を固め、従弟に当る源義仲(俗に木曾義仲)は木曾で勢力を養い北陸を通って京都に入り、千百八十三年には京都を落とし、平家は四国へ逃れた。義仲は、山育ちの田舎者で法住寺を焼打ちにした。多くの落度のあった義仲は、一度は平家の後に座ったものの、院や公卿達の反感をかった。そして遂に、後白河法皇と頼朝は連携して、義経、範頼の軍を京へ向かわせ、滋賀の粟津で義仲軍と戦を交えさせて琵琶湖畔で義仲を討った。次いで西海に逃れた平家と義経を中心とする源氏の、いわゆる源平合戦が始まるわけである。
 
『ひよどり越』の源義経







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