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新進少壮吟士
大いに語る
第六回
梶田鷹巌さん=広島県大竹市在住
(雪峰流)第二十一期少壮吟士
明神春岳さん=高知県高岡郡在住
(日本詩吟学院高知岳風会)第二十二期少壮吟士
 
湘南国際村で、右/梶田鷹巌さん、左/明神春岳さん
 
吟詠の魅力を高めて
若い人を惹きつけたい
 今回の取材は、去る八月九日、湘南国際村で行なわれた少壮吟士特別研修会にご出席の梶田鷹巌さんと明神春岳さんで、当日は台風の接近で天候が悪く、出席が心配されましたが、お二人とも無事到着され、貴重なお話をうかがうことができました。
 
――悪天候の中、無事に着かれてこちらも一安心です。
梶田「私は昨夜、広島から夜行バスを利用して着くことができました」
明神「私は、新幹線が止まるのではと心配しましたが、何とか着けてホッとしています」(笑)
――では、早速ですが、お話をうかがいます。まず、少壮吟士になられるまで、どれくらい時間がかかりましたか?
梶田「少壮吟士になるまでに、七年ほどかかったと思います。一、二回目は地区大会から全国大会まで比較的順調に行きましたが、三回目はやはり厳しく(笑)、時間がかかりましたね。楽にはならしてくれません」(笑)
明神「私は六年かかりました。平成七年、初めての挑戦で通していただき、次の年は最後の方で“誤読”をして落ちまして(笑)、その次の平成九年は風邪で、平成十年は何事もなく通していただき(笑)、それから二年ほどかかって少壮吟士にならしていただきました」
――少壮吟士に挑戦する上で苦労したことはありますか?
梶田「アクセントを確実に自然にできるかということに苦労しました。それに対して三つの自分なりの考え方がありました。ところが一つ目を実践したら落ちまして(笑)、それなら二つ目をということで行ないましたが、これも駄目で(笑)、三つ目をやってみたらうまく行き、特別審査に進むことができましたが、そこで落とされました(大笑)。こんどは特別審査に力を入れて行なったところ、とくに練習した吟題が抽選であたりまして、本当に幸運でした(笑)。また、苦労ということでは、初めて挑戦したときに、着物の着付けに苦労しました。あまり着物を着る機会がなかったので、着ても、しばらく経つと着くずれしてしまい、それは大変でした(笑)。それからは美容院で着付けの練習をしまして、いまではちゃんと着られますよ」(笑)
明神「家庭的なことですが、時期的に、ちょうど父母がたおれるということもあり、また指導の面においても教えるために出て行く機会が多くありまして、挑戦する上で大変な時期もありましたが、家族が理解と協力をしてくれましたので、今日までやってこられたと思っています。家族にはとても感謝しております」
――苦手な吟題を克服するための方法はありますか?
 
梶田鷹巌さん
 
梶田「私の場合は、自分自身で吟法をつけていく立場ですから、苦手な吟題というものはありませんね。明神さんはどうですか?」
明神「私の場合はまず流派の教本を基本として、自分で肉づけますからあまり心配はありません。アクセントを守って、区切りとかを考えながらつけていきます」
梶田「明神さんは何を吟じてもうまい方ですから。会員さんが名流大会を見に行って、あの人はうまい、といったのが明神さんでした」
明神「とんでもありません・・・」(笑)
――少壮吟士になられた感想はありますか?
梶田「少壮吟士になるということは、自分の吟を認めていただいたということで感謝しております。また、それ以前に県総連のいろいろな先生方にバックアップしていただき、それが私にとって大きなことでした。なかでも当時の広島県総連理事であった河野吼山先生には公私にわたってお世話いただき大変感謝しております」
明神「三回通過することは期待されていないだろうと思っていましたから(笑)、その意味では気楽に自由に挑戦できたと感じておりますし、なれた時には、私のようなものがなってもよいのかと思いました(笑)。また、私も梶田先生と同様、多くの先生方にお世話になり、ご指導いただいたことを感謝しています」
――少壮吟士をどのように捉えていましたか?
梶田「少壮吟士を知ったのはずいぶん昔のことでして、その頃は自分には無縁な、雲の上のことのように感じていました」
明神「私も雲の上の方々というイメージをもっていました」
――いまは、そういう人になったわけですね?
明神「とんでもありません」(笑)
――少壮吟士に挑戦されている方へのアドバイスをお願いします。
梶田「いま水泳の北島康介選手が有言実行で注目されていますが、私もそれに通じるところがあります。やることをやっていれば自分も少壮吟士になれると自分に自己暗示をかけ、内面的な自信をもつようにしました。自信過剰はまずいですが、自分を信じることは必ずや力になるはずです」
明神「出られる方は十分にお勉強なされて出られていると思いますので、あとは精神的な面の充実があればやれると思います。自分が望んで出る大会ですから、それに向かってがんばることはできるはずですし、自分に甘くならず、たまには自分を外から見てみる、反省してみる、そういうことが大切ではないでしょうか。少壮吟士は雲の上と先ほど言いましたが、私も受けてから山の高さを感じまして、出ることが勉強だからという気持ちで臨んでいました。皆様もそういう気持ちでチャレンジされたらよいかと思います」
――少壮吟士になられて変わった点は何ですか?
梶田「周りの見る目も変わりましたが、自覚が違います。いつ、どのような場においても、無様(ぶざま)なことはできません。急にこの吟題を吟じてくださいといわれても、できなければいけません。そのとき、今日は調子が悪いから、風邪をひいているから、といった言い訳は通用しません。どの舞台であっても、いつも同じにできなければいけないわけですから。その面で体には日ごろから気をつけています。これは、少壮吟士になる前にはあまり感じなかったプレッシャーです」
明神「周りから見られる目というのを、意識するようになりました。それで舞台マナーとかは意識して行なうようになりましたが、見ていて自然にそういうことができるようになりたいと思っています」
――今後の抱負などがありましたら、お願いします。
明神「味わいのある、深い吟ができるようになりたいと思います。また、吟者の高齢化が言われていますが、私が吟を聞いたのは小学生のときで、歌うことが好きな私は大変興味を持ちました。小さな子供たちが、もっと吟と触れ合えるような環境作りや活動をしていきたいと考えています」
梶田「少壮吟士としては新人と思っていましたが、いつの間にか四年、五年たちまして、新人の域を出たような気がします。中堅として、少壮吟士として、驕ることなく謙虚に、挑戦しているときの気負い一辺倒から、詩の内容を吟味した、味のある、相手に感動をあたえられる吟をめざしたいと思います。また、財団が提唱しています青少年の育成ですね。若い人の開拓は急務なので、少しでも役に立てればと思っています。そのためには、若い人に詩吟というのはこんなに素晴らしいものなのか、という感動をあたえられる吟を知ってもらうこと。詩吟は両足を踏ん張って大声でうたうというイメージが強いと思いますが、音楽性豊かで芸術的な吟詠をもっともっと広げなくてはならないでしょう」
 
明神春岳さん
 
明神「たしかに詩吟のイメージには、大声とか、そういうのがありますね」
梶田「詩吟は邦楽です。NHKなどで放送されるようになったのも、詩吟が邦楽として認められるようになったからですし、その期待に応えなければいけないと思います。そのために、少壮吟士の我々が一層勉強し、音楽性、芸術性を高めなければならないでしょう。ひいては、それが青少年の育成につながると思います」
――本日は悪天候の中、お出でいただきありがとうございました。お二人の、さらなるご活躍を期待しております。







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