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新進少壮吟士大いに語る
第五回
清水錦洲さん=埼玉県春日部市在住
(錦水流吟詠会)第二十期少壮吟士
中野吟紫さん=茨城県北相馬郡在住
(吟生流)第二十一期少壮吟士
伊藤契麗さん=神奈川県茅ヶ崎市在住
(契秀流吟詠会)第二十二期少壮吟士
 
財団本部近くの東京・金比羅宮前で、左より中野吟紫さん、清水錦洲さん、伊藤契麗さん
 
相手を思いやる心が、詩吟を上達させる
 新進の少壮吟士お三方、清水さん、中野さん、伊藤さんにお話をお伺いしました。三人三様、吟への熱い思いがあり、それぞれに内容のある深いお話を聞くことができ、多くの吟詠家の参考になると思います。
 
― 本日はよろしくお願いします。まず少壮吟士になられるまでにどのくらいかかったか、何回挑戦したか、というところからお話をお聞きしたいと思います。
清水「私の場合は九年かかりました。昭和六十四年に初挑戦してから平成九年に三回目を合格したわけです。確か中野さんとは、一回目、二回目が一緒だったはずです。平成二年と四年に受かり、平成九年に少壮吟士候補になりました。違いましたっけ、中野さん」
中野「平成三年、五年の九年ですよ。私は三回目が、平成十一年です」
― 中野さんの場合は、平成三年、五年、平成十一年ですね。伊藤さんはいかがですか?
伊藤「私は七年ほどかかりました。平成五年に初めて挑戦し、一回間があいて九年、十年、十二年です」
― 一回目のあと、間があったのですね。その後はわりと順調ですね。しかし三回通るというのは大変ですね?
清水「池田嶺煌さん(第十七期少壮吟士)と私と中野さんの三人は、一回目、二回目は一緒に合格したのですよ」
中野「いつも池田さんとは一緒だったのです。その次は段々とずれてきたのです」(笑)
― 少壮を受けている間のご苦労はいかがでしたか
清水「一回目はよく分からぬままに通りました。二回目は、このままでいいのかな、と思っていたら二年かかり、三回目はもっと大変でした(笑)。その間にはいろいろあり、時間オーバーなど思わぬハプニングがありました。実力がなかったのでしょう、三回目は平成五年から九年の五年間かかりました」
― やはり三回目というのは一番難しいのでしょうね?
中野「私も清水先生と一緒に勉強したのですけど、最後の三回目の王手がかかってから迷いがでまして、一時は辞めてしまおうかとまで考えました(笑)。そのせいでしょうか、音のとり方が悪くなって、平成十一年までかかってしまいました」(笑)
― 伊藤さんはいかがですか?
伊藤「私は高校生の頃から吟をやっておりまして、青年の部にも出場したりして、幸いにも全国優勝させていただきました。その後に少壮を受けさせていただいたのですが、その時に青年の吟と少壮の吟とは大分開きがあるなと自分で痛感しました。大人の吟をやりたいなと思いながら大変苦労しました」
 
清水錦洲さん
 
― お三方とも少壮吟士を受験されていた頃、少壮吟士とはどのようなイメージをお持ちでしたか。
清水「私は三十四歳の頃に宗家から少壮吟士を受けてみてはどうかと言われ、翌年三十五歳になって少壮にチャレンジしました。それまでは少壮吟士というものを漠然としか分からなかったですね。偉大だとか雲の上の存在だということぐらいしか分かりませんでした。少壮を受けて勉強しようということで、また少壮吟士の方ともお付き合いがなかったものですから、分からぬままに受験していました」
― 中野さんの印象は?
中野「私は、この財団が発足したばかりの頃、第三回全国大会青年の部に出て、それから十五年ほど詩吟と離れていたのです。また勉強を始めたということで、何がいちばん勉強になるだろうかと考えたら、少壮吟士のコンクールだろうと思い、一度受かればいいかなというつもりで少壮に取り組んでおりました。先ほどもお話しましたように、三回目の王手がかかりましたら妙にばたばたしてしまいました。やはり、少壮というのは雲の上の存在でしたので、私としては、いま皆様から少壮吟士ということで色々お話されるのですが、これから少壮を目ざす人には、あまり雲の上の存在ということを意識させないよう、自分としては努力しております。」
 
伊藤吟紫さん
 
― 伊藤さんはいかがですか?
伊藤「師範の先生方ばかりのコンクールという形で運営されていますので、すごく権威のある、いま中野先生がおっしゃったように雲の上の存在だなと思っておりました。普段は私よりも年齢が上の方を教えているという状況なものですから、吟を教えつつも生徒の皆様から逆に社会的な勉強をさせていただいていると考えています。自分を向上させながら、師範として、少壮吟士として自分の吟を伸ばしたいと願っています。本当に最初の五年間はつらかったです」
― さて、雲の上の存在という少壮吟士ですが、実際みなさま、少壮吟士になっていかがですか?
清水「最初の一年ぐらいは何がなんだか分かりませんでした。本当に少壮吟士になったのかな、という感じでした。研修会に参加させていただいて、初めて自分が何も知らないことに驚きました。話の内容を参加者のみなさんは本当に分かっているのかなと思いました。その時は、このままでやっていけるのかなと不安に思いました。いかに今まで知らないできたのか。舩川利夫先生のおっしゃることが理解できないでいましたし、逆にそれを励みに勉強しました。ですから、少壮になってからのほうが、よく勉強していますし、少壮吟士の偉大さが改めて分かりました」
― 何か勉強の方法が変わったとかございますか?
清水「舩川先生のおっしゃる基本的なことが、頭に入っていないで、ただ詠っていただけで、声をだせばいいと考えていました。いろいろな先生からアドバイスをいただいていたのですが、舩川先生は全然違う指導をされるのです。例えば伴奏がついていますが、研修会で伴奏が流れていて、最初の前奏の時に舩川先生から、あなたは何を考えていますかと聞かれたのです。伴奏ですから、どこから入ろうかなと考えています、と答えました。すると、先生は前奏が命なのだとおっしゃり、前奏のときから詩が始まっているのだと、身振り手振りで踊るような気持ちで、はい、どうぞと手を差し伸べていただきまして、あ、なるほどと思い、このような気持ちで吟は詠わなければならないのだなと教えられました」
― 中野さんはいかがですか?
中野「はい、もう初めのうちは、少壮吟士と紹介されただけで、プレッシャーにつぶれそうな辛い経験もありました。この頃は、先ほど清水先生がおっしゃったように、自分が吟ずる詩のイメージをなるべく自分なりにふくらませながら、例えばここはゆっくりとか、大きくゆったりと思い描きながら少し吟じられるようになりました」
 
伊藤契麗さん
 
― 伊藤さんはいかですか?
伊藤「少壮吟士は私にとってとても重責なので、その責任を少しでも果たすには、やはり詩心を大切にしないといけないなと痛感しています。この頃は一生懸命本を漁りながら、やはり自分だけの知識では限界がありますので、もっと深く詩心を捉えられるよう読書に励んでいます」
― 最後の質問となりますが、今回の企画のタイトルが新進少壮吟士・抱負を語るというものですので、お三方の抱負をお聞きしておしまいにしたいと思います。
清水「たまたま舩川先生がおっしゃった、ことですが、詩吟は作法だ、お茶やお花と同じだよと。そこで作法とは何だろう、という話になりまして。相手を思いやる、相手をたてる気持ち、つまり、自分だけがうまく吟じたとか、こう吟じたので良かったということではなく、相手の心を察して、吟じさせていただく、そんな気持ちがあって初めて吟が上達するのだよ、とおっしゃられまして。家族も含めて周囲に感謝する気持ちでこれから精進していかないといけないなと考えています」
― 中野さんはいかがですか?
中野「私事で恐縮なのですが、少壮吟士が取り上げる題材以外のものでも良い題材があると思いますので、それらを深く掘り下げて、会員だけではなく世の中に広く発表したいと考えています」
― 伊藤さんはいかがですか?
伊藤「若い人たちに詩吟の良さをもっと伝えたいと思います。やはり、子供たちは詩吟そのものを知らないのですね。詩吟を聞いたことがないという子供たちが多いのです。詩吟は堅苦しくないんだよ、面白いものなのだということを子供たちに広めたいな、と微力ながら願っています」
― 本日はお忙しい中、ありがとうございました。お三方の今後の精進、ご活躍を期待しております。







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