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表紙説明
名詩の周辺
 
自訟・時事偶感(杉浦重剛)
滋賀・大津市膳所(ぜぜ)
 作者・杉浦重剛は明治・大正時代の教育家で、國學院大學の学監や東宮御学問所の御用掛として良子(ながこ)女王殿下(後の昭和天皇の皇后)に御進講をした人物です。人格高潔、識見卓抜、偉大な教育家であるとともに、一世の師表として仰がれました。
 生まれたのは、安政二年、三月三日。近江国膳所(ぜぜ)藩(現在の滋賀県大津市)の儒学者杉浦重文の次男として生を受けました。初め藩校に入り、十六の時選ばれて大学南校(東京大学の前身)に学び、二十二歳のとき、英国に留学しています。在英五年、病によって帰国しましたが、その後新聞記者、代議士などを経て、教育家の道を歩みました。
 作者の育った膳所藩の膳所とは、天智天皇の大津宮時代に魚などを調達した調理所のことで、陪膳所浜(おものはま)とも呼ばれ、現在も膳所の地名や名称はこの地の各所に残っています。江戸時代には瀬田唐橋や東海道を押さえるため、膳所城が築かれて軍事的な城下町として栄えました。琵琶湖の湖水を利用した天然の堀をめぐらしていたことから“水に浮かぶ膳所の城”とその美観がうたわれたほどです。しかし、明治時代に廃城となり、現在は本丸跡が膳所公園として整備され、桜の名所となっています。
(膳所城跡・膳所公園=JR膳所駅徒歩約20分、京阪電鉄石山坂本線膳所本町下車徒歩約7分)
 
取材―株式会社 サークオン
 
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水六訓
一、あらゆる生物に生命力を与えるは水なり。
 
一、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。
 
一、如何なる障害をも克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。
 
一、自から清く他の汚れを洗い清濁併せ容るの量あるは水なり。
 
一、動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い何等報いを求めざるは水なり。
 
一、大洋を充し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霰と化してもその性を失わざるは水なり。
 
 水を心とすることが平和と健康と長寿の妙薬であります。
 
笹川良一
 
明日への提言
春の日差しの中、上野寛永寺(四月二十九日)と倉敷市民会館(五月五日)で笹川鎮江先生にお別れを告げました
河田和良
 
 
 四月二十九日(火)みどりの日、東京・上野寛永寺第三霊園霊殿式場で財団前会長笹川鎮江先生の四十九日(七七日忌)法要が執り行なわれるとともに、引き続き、寛永寺第二霊園の笹川家墓地において、先生の納骨と焼香が行なわれました。
 好天に恵まれたこの日の法要には、ご親族、財団常任理事会役員と事務局員及び吟詠静凰流幹部役員等、故人と縁の方々約六十名が参列、先生とお別れをしました。
 翌週、五月五日(月)子供の日、財団恒例の平成十五年度全国名流吟剣詩舞道大会が、私の地元、岡山県倉敷市の倉敷市民会館大ホールで開催されました。
 この大会では、開会に先立って、笹川鎮江先生のご冥福を祈って来場者全員による黙祷を捧げました。午後のメインイベント第四部企画構成番組「吉備の児島ゆ」では、当初企画の通り、先生の吟詠を聞かせていただくことができました。
 四十九日法要と納骨が、ご夫君、財団創始会長笹川良一先生と共に敬慕してやまなかった昭和天皇のお誕生日であった「みどりの日」に開催されたこと。
 五月五日「こどもの日」恒例の全国名流大会会場の倉敷市民会館を埋めた二千三百名の会員の皆さまが、先生のご冥福を祈って黙祷を捧げられたこと。
 好天に恵まれ、穏やかな春の日差しのこの両日、皆さまとともに終日、笹川鎮江先生と共にあったということを、心の奥に感じつつ、先生に永のお別れをいたしました。
 
開会の言葉を述べる河田和良大会会長
 
三笠宮妃総裁・恩賜財団母子愛育会奉賛
平成十五年度全国名流吟剣詩舞道大会
日時:平成十五年五月五日(子供の日)
場所:倉敷市民会館
主催:財団法人日本吟剣詩舞振興会
後援:文化庁・岡山県・岡山県教育委員会・倉敷市・倉敷市教育委員会・NHK・山陽新聞社・山陽放送
 
笹川鎮江前会長のご意思を継承。
舞台にも、その力が漲る
 五月五日、子供の日。春の恒例事業である、平成十五年度全国名流吟剣詩舞道大会が倉敷市民会館で開催されました。当代一流の吟剣詩舞道家が一堂に集う大会だけに、高い人気を誇っています。今回も、期待に違わぬ感動の舞台が披露されました。
 
 早朝から倉敷市民会館は多くの人で賑わっていました。開場と共に、全席が満席となる盛況ぶりで、それだけ全国名流吟剣詩舞道大会に寄せる、皆さんの期待の高さが分かります。
 午前九時五十四分、司会者の開会前告知とともに笹川鎮江前会長のために黙祷が捧げられました。引き続き、河田和良会長が高らかに開会を告げると、注目の舞台がスタートしました。大会は四部構成からなり、第一部では第三十一回全国少壮吟詠家審査コンクール決選大会入選者が登場。さすが、厳しく難しいコンクールに入選するだけのことはあり、出演した十五名の誰もが素晴らしい吟詠を聴かせてくれると同時に、これからの活躍を大いに期待したいと感じる舞台でした。
 つづいて第二部は一般の部で、各流各派の宗家会長などが出演し、経験豊かで味わい深い、老練な吟詠をたっぷり堪能することができました。
 
式典に列席した財団役員諸氏
 
祝辞を述べる中田武志・倉敷市長
 
式典で祝辞を述べる大西珠枝・岡山県副知事
(石井正弘・同県知事代理)
 
祝辞を述べる上村一・恩賜財団母子愛育会会長
 
第二部の幕開けで「楠公子に訣るるの図に題す」(頼山陽作)を合吟する岡山県吟剣詩舞道連盟男子の皆さん
 
 第三部は、少年少女たちが活躍する企画構成番組「瀬戸内の風光」が披露されました。瀬戸内に伝わるさまざまな出来事の中から、特に漢詩や和歌に書き残された歴史の一端を、地元、岡山県を中心とする中国地区の幼少年九十名が吟詠、剣舞、詩舞で見せてくれました。愛くるしい子供たちの吟剣詩舞は、訪れた人たちから拍手喝さいを受け、会場は微笑みに包まれ、大いに盛り上がりました。
 第四部へ移る前に、式典が厳かに行なわれました。国歌斉唱のあと、河田和良会長が挨拶に立ち、笹川良一創始会長、鎮江前会長の偉業を紹介すると共に、吟剣詩舞発展のため一心不乱で取り組むことを皆さんの前で誓っていました。つづいて、上村一恩賜財団母子愛育会会長が三笠宮妃殿下のお言葉をお伝えになり、日本の伝統芸道である吟剣詩舞振興のために努力しておられる皆様に対して感謝のお言葉をいただきました。来賓挨拶では大西珠枝岡山県副知事と、中田武志倉敷市長が祝辞を述べられました。祝電では小泉純一郎内閣総理大臣、遠山敦子文部科学大臣、河合隼雄文化庁長官の電文が読み上げられ、恩賜財団母子愛育会への奉賛目録贈呈では、河田和良会長から上村一会長へ目録が贈呈されました。最後に吟剣詩舞奨励賞が第三部に出演した少年少女九十名に贈られ、式典は滞りなく終了しました。
 第四部は財団の企画構成番組「吉備の児島ゆ――倭道(やまとじ)の吉備の児島――」が華麗に披露されました。朝鮮や中国に通じる海の玄関であった吉備の児島。人と物と情報にあふれる交通の要衝で、ここを行き来する人たちによって数多くの物語が生まれた場所でもあります。その物語を追うことで、伝統ある国際性を認識し、さらなる発展を願う舞台でした。舞台は「和歌・ぬばたまの」を吟じた河田和良会長、鈴木吟亮専務理事からはじまり、東西の宗家会長や実力者が顔を揃え、時に勇壮に、時に叙情的に、また流麗な吟剣詩舞を展開。会場からは、感動の拍手がいつまでも鳴り止みませんでした。フィナーレの前には当初の企画案どおり、亡き笹川鎮江前会長の吟詠、阿倍仲麻呂の「無題」を聴くことができました。背後のスクリーンに前会長の写真が投影され、登場人物のいないステージにスポットライトがひとつ当たった舞台は感動的であり、笹川鎮江前会長がそこで吟じているかのような気持ちになりました。
 フィナーレの「宝船」をもって、すべての演目が成功のうちに終了すると、名流大会旗が岡山県から静岡県へ移管されました。鈴木吟亮専務理事が閉会の言葉を告げると、熱気だった会場にも静けさが訪れ、感動と興奮を胸に、皆さん家路へと向かわれました。
 
第三部で「児島高徳桜樹に書するの図に題す」(齋藤監物作)を吟じ、舞う岡山県少年少女の皆さん
 
第三部「瀬戸内の風光」に出演した少年少女の皆さんが第三部のフィナーレで舞台に揃う
 
第四部で上演された「登楼」(杜甫作)吟詠は秀平克泉、山本賀陽、宮野鶴誠、梶田鷹巌の四氏。剣舞は多田正満氏とその社中の皆さん。







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