金銀銅の装飾品・・・徐 洲
一、金銀銅の出所
ヤミ族が居住する蘭嶼島では金、銀、銅などの鉱物は一切産出しない。しかし、ヤミ族は台湾原住民の中で唯一金銀の鍛錬技術を持つ部族である。では、これらの金属は一体どこから来たのであろうか。ヤミ族が使用する金属の由来を知りうるいくつかの重要な史実の記載がある。
日本の村上直次郎が訳出する「バタビヤ日誌」第二巻二九二ページには「一六四四年四月二〇日・・・ボテル島○紅頭嶼(蘭嶼)よりは三人、・・・同島に於て金銀銅其他の金屬を發見せしが、難破船より彼等の手に入りたるものならんと想像せらる。」(括弧内著者)と述べており、また江樹生訳の「ゼエランティア城日誌」第一冊三九一ページには「卑南の東南東方向の海上に高き島ありて、人らしきもの住みあり。犬の如き尾がつきたる他は全て普通なり。数多のイスパニア船や他の船、多数の銀を積み来るも、暴風或いは逆風に遭い、その島に遭難しあるも島民により殺害さる。卑南よりその島に至るは丸二日の航行にて往復可能なり。」と述べられている。また、「ゼエランティア城日誌」第二冊四六ページで「(一六四三年)二月二五日・・・上陸後、再び村社に入る。それらの家屋の角に竹製の十字架あるを見つけたり、これを推して思うに、以前イスパニア人確かに彼の地を訪れしことありと。また、二、三人の手に矛あるを見、彼の者達にに手招きし、此方に呼ぶも肯んぜず。そこで各々の十字架の上に巻き付けある一塊の金箔の黄色海黄(armosijin)を以って彼の者達を誘い、縛りて船に連れ帰る。翌一八日再び上陸す。金箔を張りし彼の布は既に持ち去られたるも、やはり人影を見ず。また人を見つけ話すことも叶わず。後に山頂に二、三人の投げ槍を手に携えるものを見掛けたり。」と記載している。
(1)
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イモロッド村のsiyapen manbingが銀の甲を被り、金製胸飾りを見に付けた盛装で、海水を汲んで帰るところ |
(2)
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父より継承した銀の甲と金製白飾りを身につけたイモロッド村のsiyapen ngavat |
(3)銀の甲
(4)胸飾り
「ゼエランティア城日誌」第二冊二三九〜二四〇ページ「隊長Pieter Boon紅頭嶼出征日誌抜き書き」の小段落の中で「一六四四年二月一六日・・・ジャンクHollandia Hoope号に乗り、Brack号と共に紅頭嶼に向かい航行す。」とあり、また「(一六四四年)二月一九日明け方・・・同時に上級操舵手Sijmon Corneliszを派して小型ジャンクBrack号に乗船せしめて同島の東を巡航せしめたり。」及び「(一六四四年)二月二〇日・・・彼の居住民叫び出で【白布】など振りたり。そこで、掌旗長Juriaen Smith再び彼の者達のもとへ赴く。・・・後に水夫がサンパンに乗り、彼等の舟が停泊せる箇所より暫し離れおる海面に着きしとき、武器を持たぬ二〇数人の住民が安心せし様子にて水夫の所まで寄せ越したり。これらの人々は数多の銀、イスパニアレアル、腕輪などの装飾品を身につけたり。また、ある者は帽子の上にも銀板をつけており、彼等の武器には銀の握り手、耳には金の耳飾りなど金糸に関わりのある・・・。」
といったことが記載されているのである。
金はヤミ族に最も好まれている貴金属である。ヤミ族の伝承の中に、金を得る種々の出所が語られている。例えば、金というのはtawa-do-to(タオ ド ト)と呼ばれる天神より賜ったものであり、天界の家の中は全て光り輝く金板で敷き詰められている(misaray do repa(ミサライ ソ ルパ)。同時に天神も金箔を張って作った梯子を伝って、天より金を降ろすのである。この他、伝承の中にjimasik(ジマシク)村に住むsimina aro so ovay(シミナ アロ ソ オバイ)のことがでてくる。そこに三つの金と関わりを持つkavavattanen(カババクヌン)(故事)がある。その一は、jilikodan(ジリコダン)山で相撲をとっている二つの石minirakep a vato(ミニラクップ ア ヴァト)を取ってきた伝承である。後にこれはバタン島の傍らにあるikbalat(イクバラット)島の住民の知るところとなり彼らは、Simina aro so ovayに掛け合い、たくさんの金とその石と交換することになったという伝承である。
次に、jinovovang(ジノヴォヴァン)の岩礁で網を仕掛けた時、simina aro so ovayは初め金色に光り輝く金の鯛vosilaw a ilek(ヴォシラウ ア イルック)が網に掛かったと思ったが、引き上げてみると掛かったのは外来の壼であった。その壼の中に光り輝く金が納められていたのである。
最後の一つはsimina aro so ovayの妻がjimiango(ジムアゴ)山で里芋畑を開墾していると、地界の人々が冠っている金地の礼帽を掘り当てたという伝承である。
また、直接シミナ・アロ・ソ・オバイに関わる伝承ではないが、金はバタン島より北上したという異伝も残っている。即ち、イラタイ村の人siminapen mitozid(シミナプン ミトリアッド)とバタン島の人si vakag(シ ヴァカグ)は両島を互いに往来し、si vakagがバタン島より金を紅島嶼に交換のため持ち寄ったという伝承である。
近年ヤユ村の中学校を工事していると、校地から続々と外来の陶製の壼が掘り出されてきた。そして、壼の中には大きな金環と金質 状及び管状の飾り品、褐色のガラス玉、断裂した青ガラス製の腕輪などが納められていた。シミナ・アロ・ソ・オバイの伝承を裏付けるような発掘品であった。
ヤミ族の銀の使用に関しては、史実から推測すれば、一六世紀当時のバシー海峡附近で活躍したスペイン人から得たものであろう。この他日本の元号大正七年(一九一八)にイモロッド村に交易所ができ、日本人が銀貨(十銭、五十銭及び一円)でヤミ族から夜光貝やカイニンソウ(海人草)、土器製の壼、木彫りの船などの民芸品を買い付けた。この時以来ヤミ族は日本から流入した多くの日本銀貨を手に入れることとなったのである。しかしながら、ヤミ族の人々は獲得した銀貨を流通する貨幣として使用しなかったのである。即ちこれを以ってして銀の甲(かぶと)、銀の腕輪などの材料としてきたのである。銅板の取得に至っては外国貨物船が、蘭嶼島付近の海域で、座礁、沈没などの原因により、漂流などして島に流れ着くか、またはヤミ族が海に出た時に拾い上げたものであろう。ところが、当地には次のような歌が伝承されている。大意は「運良く手に入れし黄金の薄い板、これに穴をあけ、串刺して、重ねて胸に飾ったら、俄かに錆に虫食まれようぞ。そこでそいつをsi talagwak(シタラグワック)の金板と嘲笑う。」si talagwakとは、ヤミ族以外の余所者の名前である。即ちこの人物が銅板を金板と詐称しヤミ族を騙して、他の物品と交換したのである。それが歌の背景の伝説である。
二、金銀銅の用途
(一)ヤミ族は金をovay・repay・paligat・piya so kolit(オヴァイ ルパイ パリガツト ピヤ ソ コリット)などと呼ぶか、tamtamek(タムタムック)と称している。しかし、tamtamekの方がその含む意は広義であり、宝物、首飾など、全てtamtamek或いはrerepain(ルルパイン)と呼ばれている。金の用途を以下に記すと、
1 金を以て男子が身に付ける∞字型の金の胸飾りを製作する。他の村より招待を受け賓客となったとき、∞字型の金の胸飾りを付け礼主(ミヴァライ・ア・タオ=mivazay a tawo)の家へ赴き礼主を祝賀するのである。
2 金で治療の呪術を行う。ヤミ族は他人と争い流血し傷を受けた時、細く小さい金板gizit a ovay(ジリット ア オヴァイ)を傷口に触れ、祈祷の呪文を唱えれば止血できると信じている。そして、この呪文を唱えた後は、その金板を相手に与えるのである。
3 他人と争いごとを起こし、相手が重傷て生死に関わるような状態に陥った場合に、金を与えると命を取り留めると言われている。
4 不名誉な結婚(いとこといとこの子供同士が結婚する)のためのmikava(ミカヴァ)(御祓い)の儀式を行う際に、細かく小さい金板を当事者が頭上に載せて幸運、長寿を祈って、悪運を捨て去る。儀式が終了すると同時に金は捨ててしまい、結婚が許されるという。
5 互いに闘争し殺人に至り、後に和解をしようとする時、金と交換して和解を求める。もし一方が殺害された場合には、相手側に金で賠償を要求し、罪を贖わせることができる。
6 飛魚alibanbang(アリバンバン)の漁獲期に初めての飛魚、シイラ(arayo(アラヨ))か鮪(vaoyo(ヴォヨ))を獲った時、金を魚の体に餌付けするように付けて、再び獲れることを祈る(大漁を祈る意味)。
7 水田や住宅の売買の際に、金とこれを交換する。一説にはかなり以前飢饉の際に金と食料を交換したともいう。
(二)ヤミ族は銀をpezak・alonagen・oyod da nizpi(プラク アロナグン オヨッル ダ ニルッピ)(本物の銀貨)などと呼んでいる。銀の用途は以下に記す通りである。
1 薄く打ち延ばした銀板を巻付けて銀帽とし、巻付けの隙間を銅糸で固定して最後に円錐形の銀の甲volangat(ヴォラガット)を作り出す。銀の甲は大漁の儀式の際に飛魚を呼び込む道具として使われるほか、他の村より賓客として招かれた時に、これを冠りミヴァライ・ア・タオの家へ赴き祝賀するのである。((3))
2 飛魚の漁獲期に初めて飛魚、シイラか鮪を獲った時、銀の甲を魚の体に餌付けするように付けて、再び獲れることを祈る他、飛魚を煮るために海辺へ海水を汲み取りに行く際に、普通は盛装をし、銀の甲を冠って行くのである。((1))
3 式典を行ったり、水芋を調達する時に、盛装をし、銀の甲を冠って行くのである。
4 薄く打ち延ばして梯形にした銀板を女性が身に付け、装飾に用いるガラス玉や瑪瑙に付ける垂れ飾りazowazong no zaka(アロワロン ノ ラカ)またはpanid nozaka(パニッル ノ ラカ)とする。
5 薄く打ち延ばした銀板を以って、男女共に付ける腕輪pacinoken(パチノコン)を作る。
6 薄く打ち延ばした小さな円形の銀板を瑪瑙に繋ぎ、婚約時に婚約の誓いの贈り物であるipangacyaci(イパガチャチ)を製作する。
7 薄く打ち延ばした小さな円形の銀板を瑪瑙に繋ぎ、子供が身に付ける首飾りraka no kanakan(ラカ ノ カナンカン)を製作する。
8 ∞字型の胸飾りを作り、金板を作った∞字型の胸飾りと合わせる。((4))
(三)ヤミ族は銅をassowaz(アソワッル)と呼んでいる。銅の用途は以下に記す通りである。
1 銅板は女性が冠る、中をくりぬいた木製の八角形の帽子(木笠)rangat no mavakes(ラガット ノ マヴァクス)( 写真))の表面に銅板を付けて飾る。この八角形の帽子は男子が冠る銀の甲に相当し、これを冠るのは自宅の母屋や作業場の落成式、または大小の舟の進水式を行う時、水芋田の穢れを取り除く時、及び祭り用の芋礼収穫の時、また、他村の招きを受け、其の村の親戚が行う祝典に参加する時などである。
2 銅板は男性が付ける半月形の胸飾りzaka no meakay(ラカ ノ ムアカイ)に嵌め込むことができる。また、他村のipacikakat do ,mivazay a tawo(イパチカット ド ミヴァライ ア タォ)に参加する時に付けていくことができる。
3 銅板は∞字型に裁断し胸飾りとし、金板の∞字型の胸飾りと繋ぎ合わせて、珍しく面白味のあるizowazoway(イロワロワイ)という胸飾りを作る。
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