二、魚の民俗分類体系
(1)天の魚
ヤミ族の魚一般を「among(アムン)」と呼ぶ。彼ら間でamongといえば、「among do wawa(アムン ド ワワ)」と海の魚を指すのが普通である。彼らが漁獲する魚は一七八種類に区別される。この一七八種類の魚類はヤミ族が持っている認識観・価値観により多元的に分類されている。混乱を避けるために、海の魚一七八種類の構成を整理すると表(1)のようになる。
食べられる魚(kakaneng a among(カカヌン ア アムン)の棲息地は天の海と地上の海に区分できる。天の海に棲息する魚は「taw-do-to a among(タウ ド ト ア アムン)」(高い所にいる人の魚)と呼ばれ、本稿では「天の魚」として記すことにする。天の魚は「silovolovoin(シロボロボイン)」という天界のtaw-do-toが創造し、これを管理している。天の魚はrajun(ライアン)つまり 游の時期にしか漁獲することができない。ヤミ族によると、天の魚は天界の海と地上の海の二つを 游するものであって、特定の時期に天界から地上の海へ降り、特定の時期に再び天界へ帰るのである。ただし、 游期であっても、「金色のamyengan(アミガン)」(マルクチとメジ)と「金色のilek(イルック)」(ミナミイスズミ)は滅多に地上の海へ降りてこない。また天の魚のうち、ilek(クロダイ)ならびvogavogan(ヴォガヴォガン)(オアカムロ、ムロアジ)の二つは 游を行わず、天界・地上両方の海にそれぞれ棲息しているとされる。
天界あるいは天の魚については、島の人々はシャーマン(zomiyak(ロミヤック)からその様子を教えられる。
[表(1)]海の魚(among do wawa) 一七八種類の構成
(2)地の魚
天の魚、一五種にたいして、いわば「地の魚」と称すべき魚が一六三種類存在する。天の魚はすべて食べることができるが地の魚の方は必ずしも食べることができるとは限らない点が異なっている。ヤミ族社会では、地の魚が食用となるかならぬかは、占いと実際の試食との二つの手段によって判断してきた。
地の魚(1) 良い魚・悪い魚
ヤミ族は、地の魚のうち七一種類を「良い魚(piya a among(ピヤ ア アムン)とし、二二種類を「悪い魚(marawt a among(マラウット ア アムン))」としている。このほか、食用に供するが、良い魚であるか悪い魚であるかを区分していない魚が二四種類あり、本稿では「特別に区分されていない魚」と仮称する。
ヤミ族は一体いかなる基準によって魚にたいする価値づけを行っているかという点について、具体的な例をあげておくと、「milak lagalaw(ミラク ラガラウ)」という魚は、魚名のmilak が黄色を意味し、金色に近い色であるところから縁起の良い魚となっており、この魚を初めて釣ると、将来運が開ける前兆であると信じられているのである。一方、yáeb(ヤウップ)という魚は、その名yáeb「腹がへっこむ」という意味であり、餓死することに結びつけられているし、savali(サバリ)という魚はその名savaliが蕃刀を意味するところから、殺すことを連想させ、共に悪い魚となっている。魚名も人間に影響をあたえるとヤミ族は考えているのである。
このsabaliと並んで最も危険な魚とされるものにacod(アコッル)(ニジハギ)という魚がある。この魚は毒をもつトゲがあり、これに触れると患部が腫れたり、発熱したりするため悪い魚とされる。つまり、人に危険をあたえるという点が悪い魚の一つの基準となっているのである。危険性の高いsavaliとacodを煮るばあい、専用のカマドとacodという鍋を用いなければならない。また若い男女がこの二種類の魚を煮ると、悪い影響をこうむるとされているのである。
地の魚(2) 死霊の魚
死霊の魚は死霊と関係があると見なされ、彼らはこのカテゴリーの魚類を「pahad a anito no among(パール ア アニト ノ アムン」と呼ぶが、普通に「anito no among」(死霊の魚)と略称される。正確には食べられる魚九種類と食べることができない魚三七種類からなり、後者は「死霊に捧げる魚」(yipiva vesan a anito a among(イピヴァ ヴーサン ア アニト ア アムン)と呼ばれる。この「yipiva vesan a anito a among(イピヴァ ヴーサン ア アニト ア アムン)」とは、すなわち、地の魚のうちの不可食の魚「Jigangana a among no anito(ジガガナ ア アムン ノ アニト」(人が食べられない魚)のことである。
彼らにとって不可食の死霊の魚は、死霊(悪しき死霊・良き死霊にかかわらず)にとっては反対に良い魚になるのだとヤミ族たちは語っている。死霊に捧げる魚が獲れると、漁師は即刻海中に投げ、死霊に捧げる。食べられる魚が船に寄ってくるという期待がこめられているからである。人間と死霊が対立するものであっても、それは互いにいがみあったり、社会的に対立する関係ではないという側面のあることが理解できる。
不可食の死霊の魚、すなわち死霊に捧げる魚の識別基準について、ヤミ族は次のような識別基準を立てている。tayongei(タヨゲイ)(タルマオコゼ・オニオゴゼ)を例にあげてみよう。人が、もしこの魚についている棘にさわれば、肌がすぐに腫れてくる。これにつける薬はなく、大病になる。悪しき死霊が憑いているからだと思われている。oyod a rokang(オヨル ア ロカン)(オナガザメ)は臭い匂いがするので舟に近づくと漁師は嘔吐をもよす。また、悪しき死霊が憑いていて、人に危害を及ぼしたり、トビウオを食べる。
これらの不可食の死霊の魚は悪しき死霊が憑いて、人間に危害を与える危険性があるので不可食の魚とされるのである。
「死霊の魚」のカテゴリーの中には、「食べられる死霊の魚」が九種類あることは前述したとおりである。そこで現地採集したヤミ族の伝承から、なぜ死霊の魚でありながら食べられる魚とされたかについて探ってみよう。
サヨリ科の魚に「a'hay(アハイ)」と「varangos(ヴアランゴス)」がある。昔、この二種類の魚は口が死霊の使う矢と同じだという夢をみた祖先がいたそうである「悪しき死霊」がa'hayとvarangosに憑くと、その口先で人間の舟を刺して危険を与えるのだと伝えられている。
悪しき死霊が憑いていなければ、人間に危害を与えることもなく、普通の魚と同じように食べられると信じていたのである。
以上に記したような、魚とヤミ族の関係を図式化してみると、下図のようになるのである。
A−地上の海にいる魚
B−天の海にいる魚
C−シャーマンを介入して存在を 教えてもらう天の魚
D−死霊の魚
斜線の部分がABの共通部分
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三、魚における食用規制
既に述べたように、ヤミ族が食べられるとしている魚は一四一種類に上がるが、そのことは誰でも、何時でも食べてよいことを意味しているわけではない。彼ら特有の認識観・価値判断によって生み出された規制がある。食用規制のカテゴリーは性別、年齢、妊婦、妊婦の夫、授乳中の女性、授乳中の夫、葬儀、シャーマン等八種類ある。
(1)性別による食用規制
ヤミ族はこの一四一種類の可食の魚を二分して、「本当の魚(oyod a among(オヨッル ア アムン)と「よくない魚(raet a among(ラウット ア アムン)に分け、前者を男女ともに規制のない魚、後者を女性のみが規制を受ける魚としている。女性が見て、嘔吐を催さず、異常な状態にならない魚類をoyod a amongと判断する。漁師が試食し、異常な状態が起こらない場合に、この魚を女性に見せる。もし女性がこの魚の外形を見て、嘔吐を催したり、食べて、嘔吐や嘔気を催したら、男性のみが食べる魚と判断する。この魚をraet a amongと呼ぶ。
彼らがoyodとraetに魚を厳格に区別する理由は、次に示すような女性に対する認識を持っているからである。
ヤミ族によると、子供は「子授神(minipalangalang(ミニバラガラン)が子供の魂をつれてきて、女性の体中で経血(ralaatowa(ララトワ))と男性の精液(teztezpa(トルトルワ)によってつくりあげるものだという。つくられた子供は、母親の「子宮(piniwalaman(ピニワラマン)子供の家の意味)に住むが、その子宮は白色透明であり、薄くしかも柔らかく、鶏卵に似ていて弱い器官であると考えられる、女性が外形の変な魚とか、慣れぬ臭いのついた魚によって不快感を覚えると、その女性の子宮に影響が及ぶ。また嘔吐を催させるが、そうなると胃からでる汁液が子宮に流れ込み、それが子宮を害するばかりか、その女性の生命を危うくすることもある。子宮が害されれば子供の家がなくなったり、危険にさらされてしまう。
女性の子宮は子供が生まれる大切な条件であり、子供が生まれることを考えると、子宮のことを真剣に考えなければならないという認識を彼らは持っている。それ故、女性は食物規制を厳しく受けるとヤミ族は考えるのである、
これにたいし、子宮がない男性は女性より強く、仮に女性に異常を起こす魚を食べても危険は少ないのである。その分だけ規制が穏やかになるというわけである。したがって、「oyod a among」と「raet a among」の二つのカテゴリーは彼らの出産における子宮に対する認識観より出たものであると考えられる。
(2)妊婦の食用規制・妊婦の夫の食用規制
妊婦は妊娠中に食用規制を守れば、安産、正常な子供を生むことができると信じている。食用規制の対象となる魚類は「本当の魚(oyod a among)」のうち二六種類に上る。その例を上げると、「eiyan(エイヤン)(ネシテンス)」という魚では頭部に長いトゲがあるので、この魚を食べると、子供の頭にトゲができるという理由によって妊婦の食用は禁忌とされている。
ヤミ族の社会では子供は夫の精液と妻の経血によって作られると考えられ、夫婦一体ではじめて子供は作られるという意識が強い。そのため妻が妊娠すると、夫の方も平常とは異なる状態に移り、妻の妊娠中は夫にも食物規制が生じる。
例えば、aknasay(アクナサイ)(ボラ・コボラ)という魚は唇が二重になっているので、この魚を夫が食べると生まれた子供の唇も二重になると信じられている。夫婦が食べた魚の属性が生まれた子供に移ることをminara(ミナラ)と彼らは呼んでいる。このように妊娠中の妻をもつ男子に規制が課せられている魚は四三種類をかぞえ、そのうちの一八種類は「よくない魚(raet a among)」が占めている。
妊娠中の夫も妻と同様に食用を規制されるが、妻の妊娠中に夫婦またはどちらか一方が魚の食物規制を守らないと、奇形児が生まれたり、死産が生じると信じられている。ヤミ族では奇形児が生まれたり、死産が生じると、親族より責められるだけではなく、子授神の怒りにふれ、以後子授神が子供の魂をその夫婦のもとへ連れてこないとされている。子供がいない、子供が少ないことはヤミ族にとっては不幸なことであり、悪しき運命とされている。子供がいないと、その夫婦が死んだ時、その遺体を葬地まで運搬するはずの者がいないという事を意味する。しかも、普通とは違う子供がいない者の墓に入れられてしまい、財産は残った親族に分けられてしまう。一方、子供が多いと婚姻のつながりが広がり、富は拡大、労働力の確保もできると考えられている。
(3)魚をめぐる年齢の食用規制
ヤミ族間における魚の食用規制は年齢とも密接にかかわりあっている。彼らは自分たちのライフサイクルを出生後の初生児(sikekey(シククイ))から死亡前の老衰期(arwakang no katao tao(アロワカン ノ カタオ タオ)−体力が弱い人間)までの二四段階に分けて考えている。出生から約六カ月相当(atketeke no ayob(アトウクトウク ノ アヨッブ)までの乳児は一口の魚も食べることができない。腰が座る頃になって初めて魚を食べられるようになるのだが、その時期に食べられる魚は少なく、彼らが食べても嘔吐などの異常がおきない「子供の魚(kanakan a among(カナカン ア アムン)」だけが食べられるにすぎない。子供の魚が漁獲されると、この年齢のものが優先的に食べることになっている。具体的な魚名をあげるとlagaraw no anay(ラガラウ ノ アナイ)(カミナリベラ)、nanaoyin(ナナヨイン)(コバンアン、マルコバン)という魚である。つまり、魚の食用規制は出生時点から始まり、厳しい禁忌が当初から課されるのである。この規制は年齢が増加するのに従って段階的に緩和されていき、男性のばあい、arwokang no katao taw(アロカン ノ カタオ タウ)という時期に達すると、食べられる魚とされている魚をすべて食用することができるようになるし、女性の場合でいうとnimted rara macinadnadnad(ニムトゥル ララ マチナルナルナル)(子供を生むことができない)の世代になると、食べられる魚のうち「本当の魚」の五四種類すべてを食べることができるようになる。こうしてみると魚の食用規制が緩和されるということはヤミ族にとって新しい年齢に移行したことを意味するのである。いいかえれば、どの魚を食べられるかということが、ヤミ族の年齢ないし成長段階の尺度となるのである。
表(2)
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成長段階、性別にみた禁忌の解かれる魚の種類 |
この禁忌が解除される魚の種類数を、天の魚、良い魚、悪い魚、特別に区別されていない魚、食べられる死霊の魚との関係でみると表(2)のようになる。
上記表(2)により、ヤミ族の間では、年齢が高くなればなるほど、悪い魚と人間に危害を及ぼすと信じられている食べられる死霊の魚が食べられる傾向にある。この点について、ヤミ族は、人間の寿命や体力を太陽の運行やその温度に喩えながら、次のように説明する。
子供の寿命はちょうど昇ったばかりの朝の太陽と同じであって、日没までにまだ長い時間が残されており、まだ長く生きられる。ただ朝の大陽が温度がまだ高くないように、子供の体力はまだ弱く、抵抗力がついていない。従って、食べる魚を規制して、悪い魚と、食べられる死霊の魚を禁忌とするのである。また、思春期〜中年前期のものは、ちょうど昼の太陽と同じであって、熱く、日没までに時間があるように、身体の抵抗力もついてくるし、寿命の方も残っている。そこで悪い魚を少々食べても心配がないのである。
これにたいし中年後期〜老人期はちょうど夕方四時頃の太陽のようであり、間もなく地平線に沈む。つまり、長くは生きることができない。体力の方も熱くはない夕方の太陽に似ており、衰えているのであるが、抵抗力は最も強くなっている。そこで、子供や若者が食べると嘔吐したり、負の影響をこうむる悪い魚や食べられる死霊の魚を食べてもよいのである。
ヤミ族の社会では、孫のいるもの(siyapen(シャプン))、曽孫のいる男性(siyapen kotan(シャプン コタン))しか行うことのできない仕事が決められている。それは例として、(1)銀帽子(vuragat(ヴォラガット))の最下部を作る。老人がこの部分を作ると死霊が近づかない。(2)死者に特別の衣服を着せる。(3)船の龍骨を作るなどである。一方、孫のいる女性、曽孫のいる女性のみが行う仕事としては、織物の道具である綾桿、腰当て、中筒を作ったり、あるいは出産を助けることがある。孫、曽孫のいる老人は以上の仕事あるいは役割に精通していて心配ないが、不馴れな若者が従事して作業の過程を間違えると不幸に見舞われると考えられており、禁忌とされている。孫、曽孫のいる高年齢者は、年齢を重ねる過程において経験と知力を身につけ、危険を克服する強い抵抗力をそなえていると考えられているのである。子供や若者に禁忌となっている魚を食べることは、その強い抵抗力の証しであり、また、それによって、ヤミ族社会において彼らの重要性を示しているともいえよう。
本稿では魚の対応関係にあらわれているヤミ族の漁撈、魚の分類体系、食用規制、社会関係の一端を報告するにとどまった。彼らの世界観が彼らの独自に持つ魚の分類に反映されており、また、正常な子を生み、元気に育てることへの強い願望が食用規制を生み出していると考えられる。註(1)
参考文献
鹿野忠雄『東南亜細亜民族学先史学研究第一巻』 一九四六年
秋道智彌「悪い魚と良い魚−サタワル島における民族魚類学」『国立民族学博物館研究報告六巻一号』 一九八一年
Tsuchida,Shigeru 東京大学言語研究 "Fish name in yami" 一九八〇年
Ying-chou Hsu "Yami fishing practices-Migratory fish" 台北南天書局出版社 一九八二年
秋道智彌「魚と文化」『サタワル島民族魚類誌』海鳴社 一九八四年
秋道智彌「海洋民族学」『海のナチュラリストたち』東京大学出版会 一九九五年
註(1)本稿における調査期間は一九八〇年〜一九八五年
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