盛んになる大盤振舞
上述の儀礼で三六頭ものブタが供犠されたことに象徴されるように、一回の儀礼での大盤振舞が派手になる傾向にある。世帯主催の儀礼の場合、主催者本人や親族の労働収入が投じられる。コンクリート家屋落成儀礼時に七〜八頭もの豚を用意する例がめずらしくない。主催者が賃金労働に就いていて自らの十分なイモを用意できない場合に、不足分を購入して賄うこともある。村単位の儀礼の場合には、村役場からの補助金が充てられる。二〇〇〇年にイラタイ村で行われた長老教会落成式では一八頭が用意され、村人分のほか各村に二頭ずつ贈られた。二〇〇一年のヤユ村の粟豊穣儀礼では一七頭が供犠された。
量の増大と同時に、振舞の機会も増えている。ミヴァノアと呼ばれる飛魚招来儀礼が毎年漁期前に行われる。本来供犠を伴わないが、役場の資金提供でイラタイ村では三頭が村人に分配されたという。二〇〇〇年以降、再興される伝統行事が増え、その度役場の資金提供により豚が振舞われる。従来供犠を必要としなかった儀礼にまで豚が饗される傾向にある。供犠が新たに慣習化した例もある。コンクリート家屋を建築する場合、一階の屋根の仕上げの日、イモと豚が振舞われる。これをスラブ(註(2))とよぶ。この日、村の男たちがスコップ片手に参集する。コンクリートを天井に流し込む作業を共同で行い、この後饗応となる。三階建ならこれを三回行う。伝統家屋の場合は、落成儀礼時一度でよかった。コンクリート家屋新築に一軒あたり四五万台湾元(日本円約一五三万円註(3))の補助金が一九九六年から期間限定で支給されたため、島のあちこちで頻繁にスラブが見られる。「必要以上にブタが屠られている。食べ物を無駄にしている」と四〇代の婦人は言う。家の修理にさえ、協力者に豚が饗される例もある。
台湾本島との到来が自由になる一九六〇年代以前、ヤミ族社会は自給自足を維持していた。現在も半農半漁の営みで日々を糧を得ている人は少なくない。しかし食以外、特に家屋の建設資材費および教育費には、現金収入が必要だ。労働機会の限定的な蘭嶼では、台湾本島に職を求めざるを得ない。賃金労働で獲得された資金は、生計上の必要経費に向けられるのみならず、大盤振舞に惜しみなく投じられる。豚とタロイモはヤミ族社会の伝統的な交換財である。かつて人々は振舞のため無理をしてでもタロイモと豚を用意しなければならなかった。水田を開墾してイモを作り、豚を得るために田畑を手放すことさえあったという。貨幣という対外的な交換財が普及した現在においても、ヤミ族の交換経済の場において、タロイモと豚は交換財として機能している。豚とタロイモの大盤振舞によって人々から高い評価が得られるのだ。威信にかけ、貨幣を投じてふんだんに豚を用意することを厭わない。こうして振舞はますます規模が大きくなっている。その上、村役場からの補助金が豚の購入へと向けられ、豚の供犠が日常化しているといっても過言でない。とはいえ購入される豚は付加的なものだ。主催者が手塩に掛けて飼育した豚を供することの評価は高い。豚一頭の購入費用は約五〇〇〇台湾元(日本円約一七〇〇〇円)程度だが、飼料を買って豚を養育すればそれ以上の費用がかかる。それでも豚を飼育する世帯は多い。島内での豚や山羊が取引される場合、台湾豚より高値となる。
儀礼再興の光と影
イラヌミルック村の船落成儀礼の二日前、村で不幸があった。この場合祝事を延期するのがヤミ族社会の常である。しかし儀礼の日程はすでに島内外に喧伝させていたため、喪中の世帯に詫びて予定通りに開催された。同年六月に開催されたヤユ村の粟豊穣儀礼も台風の悪天候の中、事前に決めた日程通りに開催せざるを得なかった。二〇〇一年から始まった県政府の伝統文化促進施策によって、伝統保持につながる催しに補助金が拠出されることになったのだ。行政との関連で、主催者の事情だけを優先できないのだ。この施策が、長く開催の機会を失っていた儀礼の再興を促す刺激剤ともなった。上述のヤユ村における粟豊穣儀礼は、数十年ぶりの開催であった。粟はヤミ族にとって特別な農作物である。食糧不足時や産後など特別な機会に食されるか、あるいは儀礼に用いられる。昨今ではごくわずかの台湾種が個人的に栽培されるのみで、伝統的な粟耕作は休眠状態にあった。かつて粟は五〜六年に一度、長老の発案で男たち共同で播種・育成されるものだった。収穫後の豊穣儀礼ではミバチとよばれる粟つきが開催されるものだった。近年はミバチのみが踊りとして催されることはあったが、共同の粟耕作を伴った伝統的な栗豊穣儀礼は長く実現しなかった。イモルッド村では伝統家屋の一部でマカランと呼ばれる作業場を再建し、落成儀礼を行う人もでた。二〇〇一年以降も、チヌリクランがいくつかの村で新たに建造され落成儀礼がとり行われた。失われつつあった伝承の技は、再び活気を取り戻しつつある。
儀礼が盛んになるにつれ、観光客との関わりも避けがたくなる。時に遠慮を忘れ撮影に夢中になる観光客に、ヤミの人々が気分を害すことがある解決策として、撮影料を徴収するという方法が取られる。イラヌミルック村の彫刻船落成儀礼の前日、マヌガオイのリハーサルが行われた。参観にきた人々は任意の見学料を求められ、多くが一〇〇〇元(日本円約三四〇〇円)を払う。儀礼当日は受付ブースが建ち、見物客は一〇〇〇元と引き換えに受付済章とTシャツを受け取り、撮影許可を得る。主催者としては収入も得られ一石二鳥だ。同時期イララライ村で造船され、一足先六月下旬に儀礼が行われた一〇人乗の船は、委託を受けて売却のためだった。彫刻船が売却されたという話はこれが唯一ではない。こうした傾向をヤミの人々は好意的に受け止めている。「船が作られるのはいいことだ。収入につながるなら、なおよいではないか」という声を筆者は多数聞いた。
ヤユ村で行われた粟豊穣儀礼ミバチ
飛魚の共同漁が有名無実化し、大型船は必用性を失いかけている。かつては新船の安全なることや豊漁を祈願するため、アニトを静めるべく儀礼は神聖でなければならなかった。造船にまつわる多くの禁忌が遵守され、アニト除けの呪言が唱えられた。現在は造船あるいは儀礼そのものが目的化している。そのせいかかつて禁忌を踏襲したとは言い難い。しかし村人が伝統的規範の逸脱を忌避する様子もまた感じられなかった。特にキリスト信者となった人々は、アニトを迷信と捉え、神へ祈りを大切にする。
ヤミ族人口約三〇〇〇人のうち三九才以下の人口が占める割合は六八パーセントになる。(註(4))次世代への伝承という見地から、彫刻船造船および儀礼開催の意義は大きかったといえよう。老いも若きも共に山へ行き、先達の技術を共有する。話に聞くマヌガオイに初めて参加する青少年たち。華々しく落成儀礼を終え、村人達はヤミ族としての誇りを新たにしたに違いない。
儀礼の再興の契機となった政府補助金の財源は、原子力発電廃棄物貯蔵所からの補償金だ。ヤミ族の人々は、断固とした反対運動を継続して展開している。貯蔵所施設は立退きを約束したものの、移転受入先が決まらない。結果、補償金が島の財政を潤し、ひいては儀礼再興を促す結果となったのは皮肉である。反対運動は、期せずしてヤミ族がアイデンティティーを意識する契機ともなった。現在、彼らは蘭嶼島を自治区にしようと動き出している。ヤミ族の世界であり、同時に台湾の一部でもある蘭嶼島。二つの潮流が複雑に交錯するなか、人々はヤミ族の尊厳をかけた容易ならざる舵取を迫られている。
■本稿は平成一三年度笹川科学研究助成を受けて実施した研究調査に基づいている。
主な参考文献
鹿野忠男「紅頭嶼ヤミ族の大船建造と船祭」、東南亜細亜民族学先史学研究』一九四六
皆川隆一「ミヴァライ」『季刊民族学三六号』一九八七
大嶋智子「互酬経済の現在−台湾原住民ヤミ族の事例から−」明冶大学大学院政治経済学研究科政治学専攻二〇〇〇年修士学位請求論文
註(2)英語「slab」を借用した日本語の「スラブ建築」からきた外来語。本来の意味はコンクリート作りの床を指すが、ヤミ族社会のコンテクスト上「コンクリートを敷設する」の意である。〈スラブ〉時に、家主はスラブ参加者全員に豚とイモを分配することが通例となっている。寄与度の多寡は斟酌されず平等分配する。〈スラブ〉は家屋建築が社会的に認知されるプロセスの一つであると推定される。
註(3)一台湾元三・四円で算出。
註(4)二〇〇〇年現在のデータ。
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