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儀礼二日目
 シャプン・Rの歌会開始当初は三〇人いた参加者も午前零時には七名になる。午前二時には一八名に増えた。眠らないのは主催者宅だけではない。集落は昼間のごとく人々が行きかい、海岸付近も夜通しの賑わいだ。朝方三時になろう頃、歌会では先祖秘伝とされる祖先たちのエピソードを語る歌が、アノウッドという調べにのり厳かに披露されるのだ。ラオッドより節が長くゆっくりと歌われるこの歌こそ「本当の歌」なのだと古老はいう。めったに聞くことができないから録音するよ、とテープレコーダを回す。
 明け方四時五〇分、空が白み始めると、船を飾ったタロイモが取り外され始める。五時、七人を残し一三時間にも及んだ歌会がついに終わる。村の男総出でイモの分配作業を開始する。ヤミ族の饗応は、平等を原則とする。同量のイモの束が、招待客へ等分に分配される。客がそれぞれイモを受取ったのが六時、いよいよ豚に着手する。今日ほど多数の豚が一度に供犠されたことはかつてなかったろう。断末魔に身をすくめると、やがて表皮を焼く藁から煙が立ちのぼり、目が開けられない。通路がこの作業で埋まり、歩く隙間もない。
 
招待客に等しく分けられるイモ
 
船の脇で供儀、解体される豚
 
 解体された肉や内臓それぞれが等分に行き渡るように小さく切り分けられるので、相応の時間がかかる。招待客の持ち帰り分は九時、すべての仕事をようやく終えたのは一一時を過ぎた。
 予定より遅れて一一時半、船同様美しく装飾された櫂が取り付けられた。いよいよ儀礼はクライマックスの時を迎える。中国語によるアナウンスが開始を告げる。一羽の生きた鶏が船内に放り込まれ、村の長老一七人が胴着に褌姿で乗り込む。舵取の座マヌビラックにシャプン・N、船首のムモログ席にはシャプン・Rが乗り込む。船組の有力者の座すポジションだ。長老たちによるラオッドが始まる。ヤミ族の歌謡の中で最も格式が高く、建造した船のすばらしさを誇示する歌であるという(皆川一九八七)。船の両脇には盛装した船主二人の夫人が、装飾された農耕用の棒を携え座す。長老たちは歌いながら、すでに海上にでたかのごとく櫂を漕ぐ。これは新しいパフォーマンスだという。再び櫂が外され、荘厳な調べが止むや否や、船内の男たちがすばやく立上る。外に向かって、まるで敵を威嚇するかのようなポーズをとりながら甲高い奇声を上げる。膝を折り腰を落として、足を踏ん張る。片腕に力を込め、もう片方でコブシを廻しながら顔を強張らせる。向こうから同じ所作に身を震わせながら、列を組んだ男たちが船に向かってくる。両者は向かい合い、ますます声を高めにらみ合いながら拳を廻す。マヌガオイと呼ばれる動作だ。悪霊アニト祓いである。下は小学生から年齢別に組織された六組が順に現れる。船を囲み、やがて幾層に重なり合って相乱れあい、興奮の渦となった。やがて一群の男たちが、船の内側を両手でバンバンと打ち据え始める。「オーオーオー」と掛声をあげながら、船の縁をつかむと左右に振り動かす。勢いに乗じた一瞬を逃さず船を空に押し上げる。短刀を手にした舵取を中に残したままだ。チヌリクランがぐらりと重そうに宙に浮くと、男たちは力いっぱい船底を受けとめ、さらに高く胴上げする。それまで船中を縦横無尽に動き回っていた舵取も、一時動きを止める。しかし波に揉まれる海上の船のごとく大揺れの新船の中を、再び前へ後ろへと移動する。マヌガオイと胴上げが何度か繰り返され、村全体が興奮に包まれた頃だ。担ぎ上げられた船が、海岸へと向かう。
 
拳を廻しながら顔を強張らせる。甲高い奇声を発しているマヌガオイ。男たちは船を囲む。
 
鶏の羽が飾られた船首で拳を振う人と囲りでマヌガオイの動作をしている人々。
 
胴上げされる船のなかで、小刀を振う舵取。
 
 我先に続くカメラの列のあとに村人が続く。途中ところどころで船を降ろしては、拳をふるい、奇声をあげ、また胴上げしながら進む。海岸へつくとさらに胴上げだ。ようやく船がおかれると若者たちはいっせいに海に飛びこむ。海の中から船へ向けてマヌガオイだ。「オーオーオー」の掛声と共にあちこちに飛沫が上がる。進水間近だ。船には櫂が取り付けられ、中の鶏が取り出される。八人の見るからに老練な男たちが乗り込む。すっと海へと入った船は波間にみるみる小さくなる。美しい外観ながら、実用的な船であることが実感される。若者たちに操られたドラゴンボートが、新造船と競争するかのように傍をいく。船を引き立てるパフォーマンスであろう。船が海岸に戻ると、今度は船主である八人が乗り込んで、再び船出だ。海中にいた男たちは、岩場へ移り、海上をいく船に向かってマヌガオイを続ける。こうして処女航海を終え、性能を確かめられた船は、海岸へと引き上げられた。鶏に刃が向けられる。鶏の鮮血が、船首と船尾近くに指で塗り付けられた。豊漁を祈願するため(鹿野一九四六)、または船霊や悪霊アニトに捧げるため(皆川一九八七)とも言われる。この日最後の儀式である。午後二時、興奮が去りどっと疲れに襲われた人々が帰途についた。四ヵ月の努力がいま結実し、チヌリクランが船霊の入った生きた船となった。夜通しの歌会、大盤振舞といった一連の過程を成功裏に終え、船主たちは大いなる威信を手にしたのである。台風が過ぎた翌々日、初漁が行われた。内々の儀礼が済まされ、落成儀礼のすべてが終わる。
 
海の中でマヌガオイをする人々
進水間近である。
 
進水後、海上をいく新造船。
 
海に漕ぎだすチヌリクラン。







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