落成儀礼の準備
七月下旬筆者が再訪した時、新造船はすでに完成し、進水の時を待つばかりとなっていた。ヤミ族が船に施す伝統的なモチーフである「精霊」や「船の目」の彫刻が船体を飾っている。この目には、航海の際に迷わないように導くという意味がある。彫刻の上に、白を基調に赤と黒の三色が鮮やかに彩色を施されている。ヤミ族の船は見目麗しい。落成儀礼では、この船が波になびく小船のごとく胴上げされる。儀礼を目前に控え、船主一家が準備に追われていた。女たちは、船を飾り客に振舞うタロイモの取り入れをする。男たちは、招待客の数の確認や供犠する豚の最終準備に余念がない。造船を支えた村人たちは、儀礼準備にも積極的に力を貸す。台湾で働く者たちもぞくぞくと帰郷していた。儀礼には、集落の男たちがこぞって参加するのだ。
二七日、儀礼当日の朝、男たちは総出で船主宅の収納庫からタロイモを運び出していく。収納庫に一杯に集められたイモの量は、財力の象徴である。タロイモの育成は女の役割だ。妻のいない者、水田の多くない者には落成儀礼の開催は困難といえる。水田で作られる蘭嶼のタロイモは、船を飾るにふさわしい大きさになるのに三年を要する。儀礼の際の大盤振舞に十分な量を用意するのは地道な大仕事だ。イモは船のなかへ運びこまれ、船底が見る間に埋め尽くされていく。船を飾る大量のイモは飛魚の豊漁に、豚は大きな魚になぞらえる。船にたてた竿に茎付きの見事なイモが飾り付けられ、完成された船を引き立てる。船主宅脇に臨時に作られた棚の中には、三六頭もの豚が押し込められている。儀礼や祝事に備え、各世帯が飼育する豚の頭数は一般的に一頭から五頭程度だ。シャプン・Nによると、本人が用意したのは五頭だという。他の船主の用意分と子供や友人、教会からの寄贈を合わせてブタ三六頭、山羊二頭になった。チヌリクランの儀礼では、乗組員一人が一頭饗するのが通例であった。対岸の台東へ電話一本で豚を注文できる昨今は、供犠される頭数は増大している。狭い棚のなか、炎天下の暑さとひもじさに轟かす豚の声が異様に響き渡る。準備は整った。いよいよ儀礼の開始である。
タロイモで飾り付けられたチヌリクラン
儀礼初日
歓迎の歌ラオッドを歌う主催者
主催者宅前で開かれる歌会、ミ・ラオッド
午後三時すぎ、招待客がやってくる。年長者を先頭に、海岸から一列になり船の設置場所へ向かう。ヤミ族男性の盛装、胴着と褌を着用している。頭には銀兜、首に金の飾りをつけ、手には魔よけの木刀を携えている。金銀を産しないこの島で銀兜や金の装飾品は貴重で、父から息子へと相続される財産だ。日本領有時期には、日本人から得た銀貨を熨して、この兜が作られたという。今はアルミでの代替や、また兜の省略も少なくない。儀礼前日、主催者の代表者が各集落を訪ね歩き、親戚友人を招待する。船主は八人であるが、二家族による所有であり実質的な主催者は二人である。それぞれが親戚や友人を招待する。イラタイ集落だけで三〇名以上が招待を受けたというから、招待者は全体で二〇〇人にはなるだろう。
主催者二人は、新造船脇で客の一人一人と挨拶を交わす。歓迎の挨拶に、鼻と鼻とつける風習があるが、この日は握手が交わされる。客人らが着席すると、歌会の始まりだ。主催の二人が、客を迎える歌を朗々と歌い始める。ラオッドと言われる歌謡で、人に聞かせるべく歌われるものだ。遠路はるばる訪れた客に感謝し、用意されたタロイモの少ないことを恥じる内容だ。もちろんタロイモは山と積まれている。ヤミ族の語りは謙遜を旨とする。彼らを取り囲む雑然とした見物人たちも、その荘厳な響きに静まりかえる。主催者に続き、招待客の長老による返歌がある。この歓迎の式が済むと、客は招待先の主催者宅前へと二手に分かれ、翌朝まで続く即興による歌の掛け合い、ミ・ラオッドへと移行する。主催者中心に円陣がくまれ、主催者を近くに座す長老や近親者から歌う。輪の中にいるのは五〇歳は超えているかとみえる男たちだ。円陣の周りを青年たちや見物人が取り囲む。ヤミ族の歌会は経験の浅い若年者の参加を許さない。主催者が歌い、客の誰かが応えるという掛け合いが続く。主催者は造船時の苦労話、過去の豊漁の経験談などを語り歌う。客は以下の内容を歌にする。過去に主催者が建造した船の優れていたこと回顧し、新船がそれ以上に豊漁をもたらすであろうことなどである。賞賛の歌ではあるが、誉めすぎは、主催者の運勢を下げることにつながる。客は誉めすぎないよう配慮を忘れない。休憩になると、招待客らは村内の親戚知人宅で夕食をとる。主は客を船へと誘い、タロイモの量や種類、豚の頭数について解説する。数種類あるタロイモのうち「神様のイモ」という意味のオビノ・タラックは人々の注目を集める。休憩後、屋内で歌会が再開される。軽装に着替えた人々は、ビンロウを噛みタバコをふかしながら臨む。古老によれば、夜九時頃からがミ・ラオッドの本番なのだという。
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