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 さらに、移動と共に持ち込んだ根栽農耕を支えるタンパク源である豚や山羊(種子農耕を支える動物)、ニワトリ、犬を飼い、海藻の採集や魚介類の漁猟を行ない、限られた島嶼という厳しい自然環境の中で食文化を維持しています。すなわち、ヤミ族の祖先たちは蘭嶼への移動と共に根栽農耕文化を支える栄養繁殖性のイモ類を基盤とした主要食用植物を持ち込み、そこに種子繁殖性のアワの種子農耕を組み込ませています。さらに、もう一つの重要な要素である海人としての伝統文化が加わり、カヌー((4)(2))を操り漁猟を営み、半農半漁の自給自足のヤミ族独特な食文化を生み出していると考えられます。
 
(13)タロイモの畑地栽培
(一九九六年一二月 Yayuにて)
 
(14)
畑地ではサツマイモの栽培も盛んに行なわれる
(一九七八年八月 Iraralay)
 
(15)小高い山頂まで続く畑
(一九七八年八月 Yayu)
 
(16)
集落から見える山裾野の急斜面の畑地
(一九七八年八月 Iraralay)
 
(17)急斜面に作られたヤムイモ畑
(一九七七年一二月 Imorod)
 
(18)
鉄棒の堀り棒を使ったタロイモの手入れをする女性
(一九七七年一二月 Imorod)
 
 蘭嶼にはかつてImorod(イモロッド)、Iratay、Iwatas(イワタス)、Yayu、Iraralay(イララライ)、Iranomilek(イラノミルク)、Ivarino(イヴアリヌ)の七カ村がありましたが、現在はIwatasを除く六カ村があります。Iralayは伝統的な家屋が並ぶ集落を中心に、山の中腹まで棚田状につくられたタロイモ水田やサツマイモ畑が続き、さらに山地の続く傾斜地にはヤムイモやアワの畑が散見されます((8)(16))。これに対し、Iranomilek、Ivarino((9))では水田は川筋に集中し、平坦地は畑地がほとんどでサツマイモなどが栽培されていた。また、Yayuの集落より離れた乾燥した山の裾野では畑地耕作が行なわれています((10))。各村の地形や環境条件の違いはありますが、畑はいずれの村でも湧水等で豊富な水量が保たれる湿ったところには水田を作り、タロイモを栽培し((11)(12))、乾燥し水を確保しにくい場所は畑でタロイモ((13))やサツマイモ((14))などを作り、山地を切り開いた急傾斜地の畑ではヤムイモなどを栽培しています((15))。水田は常畑で、基本的には休耕田がもうけます。畑は、平地と山の斜面にあり、いずれも連作を避け、休耕を行なっています。しかしながら、最近は休耕田の用地の不足もあり連作が多く、その影響により地力の低下が著しいようです。畑は基本的には、焼畑による移動耕作であったと思われ、急斜面目の小高い山の上まで畑が続き、ヤムイモの畑が耕作されています((17))。一部に休耕部分が点在しています。すなわち島という自然環境の制約を受けることから、畑は焼畑移動耕作から常畑化に移行し、水田はヤミ族の祖先が移住と共に伝えられた水田耕作技術が基盤になって継承され現在へ至っていると考えられます。







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