■より良き太鼓へ■
演奏法の変化とも関連するインドの太鼓の歴史的変遷について、ここで一言しておこう。最古かつ最重要な太鼓は両面太鼓のムリダングであろうが、初めはただそれは、長い空洞の円筒状胴部の両端に皮を張っただけのものであった。そこにやがてもたらされた大きな変化は、右側の膜面中央に円くペーストを塗ることで(これをプーリカー、あるいはその混合原料からマサーラー、黒い色からスィヤーヒーなどと呼ぶ)、これによって音質を高めるばかりでなく、音に音高・ピッチを与えることが可能となった。こうして太鼓はメロディー楽器としての機能を持つようになるが、著名な音響学者C・B・ラーマン教授の一九二七年の研究によると、このペーストの糊塗によって、太鼓によって五種の和音が演奏できるようになったという。
それでも初めは、このペーストは陶土を塗る程度のものであったが、次いで小麦粉や飯粒を練ったもの、そしてさらにはそこに、鉄粉や木炭かアンティモニーなどを混ぜたものを円く層状に重ねて塗るようになった。この様態はムガル朝下の一六−一七世紀に完成したが、一方、このころまでには単一の両面太鼓のムリダングは中央で切断され、左右で異なった音、ことに右側では音の高低すらが出せるように改良された。北部に一般的となる、タブラー・バーヤの誕生である。また、いつのころからと時期は特定できないが、木や陶製の胴部が金属性に変わったことも、音質に変化をもたらした。なお南インド(カルナータカ音楽伝統)ではムリダンガムが用いつづけられ、北インドでもそれに相当するものとして、パカーワジがより古典的な楽曲の伴奏楽器として用いられた。
(15)西ベンガルのチョウの楽師たち
北部のヒンドゥスターニー音楽におけるタブラーとパカーワジの改良は、リズムと音の繰りなす音節パタクシャラーの驚くべきバラエティーを用意した。この点でタブラーが重要な位置を占めるようになるこの時期は、古典声楽から発するより自由なカヤールという歌唱形式が発展を遂げるのと時期を同じくしているのは興味深い。またタブラーが、単なる伴奏楽器としてのみならず、今ではソロの楽器として独演されるようにすらなっていることは、この楽器が独自のリズム言語/音楽を確立していることをあらわすものである。
楽器が普通、メロディー楽器とリズム楽器に分けて考えられるとすれば、太鼓は当然、後者に属する。楽器はまた、その音が持続的であるか間歇的であるかから分けられようが、ここでも太鼓は後者である。しかしタブラーもムリダンガムも、拍子をとる、拍節をとるだけの機能にとどまらず、音楽に不可欠なリズム面と、部分的にはメロディー面をも担う楽器へと変身していった。
さて、拍節をとる機能のみを見ても、ここではテンポすなわち速度、ラヤを明確に規定すると同時に、このリズムのなす拍節周期であるターラを規定するという点があることが重要である。ターラの観念は複雑かつ深遠であるが、こうしてインドでは、芸能のみならず、音楽学、韻律学、美学を通じて太鼓やその奏法、またそれらにまつわる諸観念が洗練されていった。
換言すれば、インドの太鼓はまず基本的に拍子を刻み、数え、速度を保つためのものであるが(無調型)、やがて音高を調整し、音調を整えることができるようになると(音調型)、その多様な音節の配列が、音楽上の大きな可能性を生みだす。拍子の上でも、たんなるリズムの分節でなく、複雑に繰り返され絡み合う拍節周期のターラが、これらの楽器の演奏から生起することとなる。楽聖バラタは、この音調型の太鼓をアンガヴァーディヤ、無調型のものをプラティヤーンガと呼んでいるが、前者は北部のタブラーやパカーワジ、南部のムリダンガムのような古典音楽の楽器を含む一方、ほとんどの太鼓は後者の範疇に属し、古典音楽の演奏に用いられる場合があるにしても、次に述べるような、さまざまな社会行事や儀礼などで用いられることが普通である。
■太鼓の社会・文化的脈絡■
太鼓は普通、日常ごくありふれた、もっと単純な音をだすだけの体鳴/膜鳴楽器として捉えられがちである。太鼓の実際の形態やその音、あるいはその音の機能が実に多様であることからすれば、このような捉え方も、あながち誤りとはいえない。
他の多くの一般的な楽器と同様に、太鼓もまた、さまざまな社会・文化的役割を果たす。それは単に音の添え物、ということもあろうが、音自体が特定の行事や儀礼の本質を端的、象徴的にあらわしている、といった場合もある。太鼓がどのような場合に用いられるかを、以下に列挙してみよう。
・芸術音楽・舞踊の伴奏、あるいは独奏用の楽器として。
・演劇での効果音として。
・集合的な民謡・民俗舞踊の伴奏として。
・大道芸など、公道での演技の伴奏として。
・楽しみとして、あるいは玩具のように。
・公的社会儀礼の場で。誕生・結婚・葬式などの人生儀礼にさいし。
・寺院を巡る年中行事、祭礼・儀礼のさいに。人集めの意も。
・人生儀礼や寺院などの祭礼での行列、行道で。
・豊饒儀礼のような社会的儀礼のさいに。
・家庭儀礼・個人儀礼、ことに治癒儀礼や悪霊払いなどで。しばしばトランスをもたらし、火渡りや鞭打ち、自傷行為などを伴うこともある。
・戦争や抗争時に。相手側を威嚇・攻撃し、あるいは自軍を鼓舞するため。
・自社会内や近隣社会へのメッセージの伝達。
・その他、あらゆる社会・文化的文脈にあって、太鼓が必要とされる場合。
(16)同(12)、ダムシャを打つチョウの楽師たち
このように太鼓はほとんどありとあらゆる機会に奏されるが、少なくとも近年までは、どの太鼓を誰がいつ叩いてもよいというわけではなかった。インドにはヴァルナ(いわゆるカースト)制という浄・不浄の多寡を基準とした社会的範疇分けがあるが、太鼓の場合にも、誰がいつどこでどのように、どんな太鼓をどう演奏してよいのかいけないか、といった細かい規約が、古くから伝統的に規定されていた。例えば、浄性が高いとされるバラモン僧の階層は、太鼓が膜面に牛・水牛・山羊・羊・トカゲなどの皮を張っていることから、太鼓には触れてもいけないとされてきた。その一方で、ムリダンガムやダマルのような特定の太鼓はとりわけシヴァ神と結びついていることから、むしろ聖なるものとして、その演奏は下級バラモンか、儀礼に重要な役割を果たす特定集団に限定されてきた。特定の太鼓が特定の儀礼に関連すること、また特定の場や時間と関連することなど、太鼓の儀礼的象徴性はきわめて厳密で多様である。
(17)地方的あるいは部族民の用いる太鼓
東インド、ビハール州のマダルまたはマンダル
西インド、パンジャーブ州のドール
ジャールカンド州のダムシャ
楽器に対する多元的接近を試みた先駆的音楽学者のクルト・ザックスは、太鼓にまつわるある種の性的象徴性について述べている。膜面と手あるいは撥からなる太鼓演奏の二元的構造は男女原理の合体に比しうるものであることから、女性の鼓手はめったにいないと。たしかに、昨今ではタブラーを演奏する女性も増えてきたが、パカーワジを演奏する女性は、いまだにまれである。とはいえ、民俗楽器としての太鼓や民俗儀礼の太鼓、あるいは大衆芸能の太鼓などを女性が叩くことはまれではないし、音楽に関する古い文献や彫刻・絵画などを見ると、さまざまな太鼓を女性たちが実に楽しそうに、好んで打っている様子が窺える。
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