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インド・太鼓序説・・・アショーク・ラーナデー 編・訳小西正捷
 どんなものでも、およそ音を出すものは楽器となりうるといった人がいる。太鼓といえば、ある目的をもって作り出されたものをさすことはいうまでもないが、最初の「楽器」はといえば、それは手や体の一部を叩くとか、口笛のようなものであったかもしれない。しかし、やがてすぐに道具としての楽器が発生し、ことに太鼓のような比較的単純な形態のものは、ほどなく世界中にひろがっていったことだろう。この場合の太鼓は、概して中空の壺か筒・管状のものの上に皮をきつく張り、それを撥や手で叩いて様々な音を出すものと考えてよかろうが、ある種の太鼓は膜面として皮を張るのではなく、木の幹や根の部分を中空に掘りぬいてそれ自体を叩く、というものである。楽器学的分類からすれば、まさにこれは、文字通りの「体鳴楽器」である。
 太鼓の起源はその意味で、人類の起源ほどに古い。紀元前三〇〇〇年ころに古代シュメール人が用いたある種の甕は、人の背丈ほどもあって太鼓のように叩かれたといい、エジプトでは前一八〇〇年、中国では一一三五年という早きに太鼓が用いられた記録があるという。古代ギリシア人も東方からもたらされた「ティンパナム」の名の太鼓をディオニュソスやシビュレー(アポロンの神託を伝える巫女)の儀礼に用いて、しばしば人は、その音によってトランス状態となったと伝えられる。このような、音楽用の楽器としてではない太鼓の使用にも、充分に目を向けねばならないであろう。
 
(1)クリシュナ神による悪王カンサの殺戮を喜ぶ楽師たち。
カーングラ派の細密画、一七〇〇年ころ。チャンディーガル博物館蔵
 
■議論の前提と方法■
 議論の前提として、以下の三点を挙げておきたい。第一に、楽器(ここでは太鼓)が文化と深く結びついていることからしても、本稿ではインドにおいて、長期にわたって用いられてきた「伝統楽器」としての太鼓を取り上げたい。第二に、インド音楽が六種かそれ以上のジャンルにわたっていることを知らねばならない。古典的芸術音楽、宗教音楽、民俗音楽、原初的音楽、ポピュラー音楽、そしてそれらの混合である。ことに最後に挙げた二種は、その社会・文化的文脈からして常に変動をとげるものであり、外来のものを含めて新たな要素の付加・定着、あるいは消滅・削除が見てとれる。このことは、音楽上のみならず楽器(この場合太鼓)についてもいえることであるが、あらたに創出された楽器が今後も「インドの楽器」として取りこめるかどうかは、辞典編纂者が新語を辞書に組みこめるかどうかを判断する場合と同様、一定期間と慎重な見定めが必要となろう。そして第三の点は、他の楽器にましてことに太鼓とかかわる、より基本的性格としてのリズムの創出と伝達、という側面である。以上のような諸相にわたる考察を行うには、まずはしっかりとした理論的基盤が必要とされるであろう。
 
(2)両面太鼓のドーラクを打つ女性。
オリッサ州コナーラク、太陽神殿の浮彫り。
一三〇〇年ころ
 
(3)鼓状締太鼓のフドゥクを打つ女性。
カルナータカ州ベルール、チェンナケーシャヴァ寺の浮彫り。一一一七年ころ
 
 インドの太鼓の考察には、二つの接近が必要である。その第一は音楽学的接近であり、第二は文化学的接近である。第一の方法では楽器としての太鼓の構造的考究が含まれ、またリズム楽器としての機能が問題とされる。第二の問題としては、太鼓の位置する社会・文化的文脈が問題となる。この点は目に見えるような明らかなものではないが、太鼓と社会・文化の深い相関関係を探ることが目的とされる。音楽思想・評論家、あるいは民族音楽学者が指摘するように、楽器は音楽を奏でる道具である以上に、社会・文化的メッセージの伝達物としての機能を果たしている。加えて楽器は、声楽の場合以上に容易に地域的領域を越えた分布上の広がりを持つものであり、太鼓もまた、その例外ではない。かくて太鼓の考究は、多元的見地からなされるべきものとなる。







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