日本財団 図書館


■中国の太鼓の役割■
 中国の太鼓は数千年の伝統を踏襲し、数々の中国の伝統音楽の生命をたえず奮い起こしてきた。それは民衆とともにあるときには、大きく豊かな精神の慰めをもたらしてきた。したがって、太鼓はたんに楽器であるのみならず、祭器であり、ほかにも多くの用途をもった器物であって、それは同時に独特な中国の太鼓文化なのである。ここではとくに以下の三点を掲げ、太鼓が中国音楽の体系化を促進する過程において、どのような役割を果たしたかを明らかにしよう。
 第一に、太鼓を中心として、多種多様な民間の銅鑼・太鼓の音楽がつくられている。これらはさらに二つの種類に分けられる。一つは純粋に打楽器からなるもので、民間では俗に「清鑼鼓」といい、江蘇省南部の「十番鼓」・「十番鑼鼓」(註(1))や、浙江省の「舟山鑼鼓」(註(2))、広東省の「潮州大鑼鼓」(註(3))などの楽曲は銅鑼・太鼓を主に演奏され、山西省の「威風鑼鼓」・「絳州太鼓」や、四川省の「閙年鑼鼓」などもこれに入る。もう一つは管楽器といっしょに演奏する「鼓吹楽」や「吹打楽」で、西安鼓楽(註(4))、山東省の鼓吹楽、遼寧省の鼓吹楽、陜西省北部の鼓吹楽、山西省の「八大套」、「晋北笙管楽」、河北省の「冀中笙管楽」、福建省の「西十班」・「福州十番」、田(福建省田市)の「十音八楽」、「南十音」などは、いずれも数百年以上にわたり演奏されつづけた歴史をもち、豊富な曲目を蓄積し、独特の技術体系が備わり、中国伝統音楽の三大宝庫の一つと称されている。太鼓は以上の各音楽において中心的位置にある。ことに「西安鼓楽」は、鼓手が一人で坐鼓、独鼓、楽鼓、戦鼓の四種類の太鼓を操り、演奏技術も高く、文化的内容も奥深く、陜西地方の音楽における鼓楽の遺風を代表している(図(11)(12)(13))。しかし江蘇省南部の「十番鼓」や「十番鑼鼓」は、西安鼓楽と同工異曲の妙があり、用いられる太鼓も同鼓、懐鼓、板鼓などが含まれる。大きな組曲のなかの各種の「太鼓の段」は、聴衆の心をふるわせるほど一際すばらしいものである。少数民族の鼓吹楽のなかでは、ウイグル族の「ナゲラーとスオナー」が代表的である。大小二つのナゲラー鼓と木管のスオナー(チャルメラの一種)による独特の吹奏楽は、古代ペルシャ音楽の雰囲気を濃厚に漂わせている。
 
図(14)象脚鼓舞
 
図(15)朝鮮族の長鼓舞
 
図(16)瑶族の長鼓舞
 
 二つ目は、数百種類の戯曲音楽と上述の銅鑼・太鼓音楽の伝承のなかで形成された「鑼鼓経」(註(5))で、これも同様に中国の伝統音楽文化の貴重な資源である。一面ではこれらに蓄積されたリズムの形式は、中国の音楽文化の多様性と独自性を生き生きと反映している。もう一面では読誦される「鑼鼓経」の地域性豊かな生きた方言である。たとえば京劇の銅鑼・太鼓と川劇の銅鑼・太鼓では、その音律の違いだけで、中国の太鼓文化の特殊な趣を感じ取ることができる。
 第三に、漢族の居住区と広大な少数民族地区には、太鼓を主とする百種に上る鼓舞が伝わっている。漢族には「鳳陽花鼓」・「花鼓灯」(註(6))〈安徽省〉、「鼓子秧歌舞」〈山東省〉、「腰鼓舞」(註(7))〈陜西省〉(図(18))、「三棒鼓」(註(8))〈湖北・湖南両省〉、北方秧歌、地花鼓、大車鼓などがある。少数民族には、苗(ミアオ)族の「猴鼓舞」、(タイ)族などの「象脚鼓舞」(図(14))、満族の「太平鼓舞」(註(9))、朝鮮族の「(さい)鼓舞」・「長鼓舞」(註(10))(図(15))、「農楽舞」(註(11))、瑶族の「長鼓舞」(註(12))(図(16))・「歌堂(シユアコータン)」(註(13))、土家(トウチャ)族の「擺手(はいしゅ)舞」(註(14))、納西(ナシ)族の「東巴舞」、蒙古・達斡爾(ダフール)族などの「シャーマン舞」、ウイグル族の手鼓(註(15))(タンバリンの類)(図(17))などがある。
 
図(17)
新疆ウイグル自治区のウイグル族の手鼓
 
図(18)陜西省安塞の腰鼓舞
 
 中国の太鼓は語りつくせないテーマである。古く「一鼓気を作し(おこし)、再びして衰え、三たびして竭る(つきる)(一の太鼓で奮い立つが、二鼓では気力衰え、三鼓で気力つきる)」(『春秋左氏伝』「荘公十年」)という。これは戦闘の際には、最初の太鼓の激励のもとに敵に勝たねばならないことを説いたものである。中国人はあるいは太鼓の精神によって万難を克服し、生存、発展をめざし、中華文明を創造してきた、といえるかもしれない。同時に太鼓の音は今も昔も絶えることなく、この古くて生気に満ちた大地に響きわたっていると信じるものである。
・・・〈元中国芸術研究院音楽研究所所長〉
翻訳=岡田陽一
 
[訳注]岡田陽一
 

(1) 「十番」「十番鼓」とも。福建・江蘇・浙江各省でみられる。もとは打楽器が主であったが、のち銅鑼・太鼓と管弦の合奏に発展。明末に起源する。葉夢殊の『閲世篇』「紀聞」に「呉の中に(中略)十不閑(シーブーシエン)有り、俗に十番を訛り称し、又、十様錦とも曰う。其の器は僅かに九つ。鼓・笛・木魚・板撥・・小鐃・大鐃・大鑼・鐺鑼(とうら)。人各一色を執り、惟だ(ただ)木魚・板は一人を以て二色を兼ね司る。(中略)音節は皆北詞に応う(したがう)も肉声無し」とある。福建でみられるのは管弦、銅鑼・太鼓と打楽器のみの清鑼鼓に分かれ、曲目には前者に『五鳳吟』・『秦楼月』・『月中笙』などがあり、後者には『福套』・『太平鼓』なとがある。
(2) 浙江省の舟山群島でみられる。もとは漁船の出帆や帰帆、あるいは洋上で二船が出合うときに、信号として打ち鳴らしたのに始まる。のち楽曲に発展。曲は銅鑼・太鼓・、スオナーで演奏され、間奏に管弦がある。奔放・躍動的な旋律で活気にあふれ、漁業地方の特徴が備わる。
(3) 大鑼鼓とも。広東省の沿海部の潮安・汕頭・澄海などでみられる。大太鼓、斗鑼(とうら)(銅鑼の一種。潮州地方でみられる。硬い槌で打ち強烈な音を出す)と深坡(しんは)(斗鑼より大きな銅鑼。潮州地方でみられる。縁が幅広で木組みに掛けて槌で打つ。音は低い)などが中心の打楽器からなり、管弦が補い、長杵のスオナーがリードする。柔和な音色で、演奏時にはAの音からBの音へ移るときに自然に生じるつなぎの音である滑音(かつおん)をよく用い、荒々しく激越な一般の吹打楽とは趣を異にする。生活風景を描写した『双咬鵝』などの曲目がある。
(4) 陜西省西安でみられる古楽。練り歩きながら演奏する「行楽」と「坐楽」に分かれる。前者は短い曲が多く、笛が中心。後者は組曲のときの演奏形式で、楽器は笛・笙・管・坐鼓・戦鼓・四鼓・独鼓・鑼・(さつ)(の小形のもの。シンバルの一種)・雲鑼(うんら)(音律の異なる鉦を横縦三個づつ九個と中央列の上に一個の計十個を枠に吊り下げ、小槌で打ち鳴らす)など二十余種ある。歴史は古く、唐・宋の大曲(歌曲)と関係なきにしもあらずである。鼓楽の曲目が多く、坐楽の組曲は八十余曲ある。
(5) 鑼経とも。戯曲の打楽器音楽の各種の様式を広くこのようにいう。鼓・板・大鑼・小鑼・・堂鼓などの楽器を打ち鳴らす強度や異なるリズムの響きで、さまざまな情緒や気分の度合いを際立たせる様式。記譜には一般にある種の記号を用いて楽器の響きを表し、その楽器が鼓であれば「大」、大鑼であれば「倉」、小鑼であれば「台」、であれば「七」、板であれば「扎(さつ)」と記し、休止符は「乙」字。
(6) 安徽省の淮河北部地区でみられる民間舞踏。男の役柄は「鼓架子」といい、動作は荒々しく力があり、トンボ返りの技を多用する。女の役柄は「蘭花」で手に手巾と扇子をもって舞う。集団で各種の隊形を作りながら行うものと、二、三人で手巾を奪ったり椅子取りなどの簡単な筋仕立ての歌舞がある。
(7) 打腰鼓とも。陜西省北部に発する。舞手は腰に楕円形の小太鼓を掛け、両手に槌をもって交互に打ちながら舞う。今日みる強烈なリズムと雄壮な動作の集団舞踏の形式は、一九四二年以後に手が加えられてなったもの。
(8) 三杖鼓(さんじょうこ)とも。雑芸を兼ね行う歌い語りの一種。湖南・江蘇・浙江などの各省でみられる。演者は三本の棒をもって上下に交互に投げて太鼓を打ち節をつくり、同時に歌うのでこの名がある。清の(てきこう)の『通俗編』「三棒鼓」に「呉越の間に婦女三棒を用いて上下し鼓を撃つ、之れを三棒鼓と謂う。江北(長江北部)の鳳陽の男子尤も(もっとも)善(よく)す。即ち唐の三杖鼓なり」とある。湖南地方では、二人共同して、一人が銅鑼を打ち、もう一人がなかに銅銭の入った中空の棒を三本用いて、投げ上げながら舞い、太鼓を打ち、めでたい文句を歌い唱える。棒のかわりにナイフを用い、投げ上げながら柄で太鼓を打つ雑技まがいのものもある。
(9) 単鼓・羊皮鼓とも。北京、東北地方、陜西、寧夏自治区などでみられる。地方によって舞踏形式が異なる。一般に舞手は左手に太鼓(太鼓は芭蕉扇の形で、鉄枠に皮をかぶせ、柄に鉄の輪を重ねる)、右手に鼓鞭を握り、打ちながら舞い歌う。
(10) 朝鮮族の長鼓舞は、多くは女性が演じる。舞手は長鼓を体の前に結びつけ、左手で鼓面を打ち、右手には細い竹の鼓鞭をもって鼓面を打ち、打ちながら舞う。優美な動作が特徴。
(11) 吉林省の朝鮮族居住区でみられる。演奏形式は比較的自由で、舞手の人数も限りがない。男の舞手に「象帽」をかぶるものもいる。この帽子の頂に細長い紙でつくった「象尾」が結ばれ、舞うときに頭部を勢いよく振り回して、「象尾」を体の周りに旋回させる。勇壮、活発な舞踏で、リズムはゆっくりから次第に速くなりピークに達する。伴奏楽器は小鑼・大鑼・長鼓・小鼓・手鼓・ラッパ・胡笛などで、歌いながら舞う。毎年の田植や除草の前に豊作を祈って行われる。
(12) 瑶族の長鼓舞は、湖南、広東、広西の瑶族居住地区でみられる。太鼓には大小二種類ある。舞手は一般に左手で小さな長鼓の中央を横に握り、上下に舞い動かし、右手で鼓面を素早く打つ。男の舞手が大きな長鼓を体の前に結びつけ、両手で太鼓を打ちながら舞うものもある。一般に打ち方に「文長鼓」と「武長鼓」の二通りがあり、前者は動作が柔和で、後者は動作が荒々しい。瑶族の長鼓の歴史は古く、宋の范成大の『桂海虞衡志』に「鐃と鼓の瑶の人の楽、状は腰鼓の如く、腔の長さはこれに倍し、上は鋭く(ちいさく)下が侈い(おおきい)、また皮(かわぐつ)を以て地に植て(たて)これを拊つ(うつ)」とある。
(13) 歌堂は瑶族のことばの音訳で、意味は豊作祝い。広東省の瑶族居住区でみられ、三〜五年に一度、一般に秋の収穫後の陰暦十月十六日前後に、三〜五日間行われる行事。このとき頭にキジの羽を挿した若者によって長鼓舞が行われ、五色の衣を着けた娘たちがその後について舞う。
(14) 湖南・湖北の土家族居住地区でみられる。舞手は輪になって踊る。主な特徴は、両手を肩先を超えない位置で振り動かし、これに合せて膝を屈伸する。「擺手」は手を振るの意。単擺・双擺・回旋擺などの動作があり、舞い姿は素朴で、リズムは鮮明である。銅鑼・太鼓の伴奏がつく。動作の多くは農作業や生活習慣を表現したものが多い。
 一般に春節や陰暦二〜三月に、村外れの空地に小さな土の祭廟を建て、これを「擺手堂」としてその周りで行われる。
(15) 手鼓はウイグル語で「ダープ」ともいう。木製の円形の枠の片側に羊の皮をかぶせ、枠内に小さな銅の輪を環状にとりつけたもの。演奏の際には、これを手にもって、鼓面を打ちかつ鼓身をふるわせて、小さな銅の輪を鳴らす。多くは女性の一人舞で、舞手が手にもち、打つ音の変化につれて、さまざまな舞い姿を演じる。
(訳註は『辞海』「芸術分冊」と『中国風俗辞典』上海辞書出版社刊に拠り、訳者がまとめた)







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION