III 法令をリードした劇場計画
III-i 耐火構造
既に耐火構造の事例があったが、劇場では初めての鉄骨煉瓦造による耐火建築物が帝国劇場だった。それ以前にも、再建された市村座(一八九二年)が煉瓦造だったように、耐火建築への意識は法令よりも当事者の方が勝っていた。横河による三井本館は、我が国初の本格的鉄骨煉瓦造だったが、当時のそれは煉瓦の中に鉄骨を埋め込んだもので、耐火性は高かったが鉄骨本来の骨組み構造とは異なっていた。それを帝国劇場でも応用することに躊躇はなかった。佐野利器が東京帝大工科大学で鉄筋コンクリート構造の講座を始めたのが一九〇六年である。二〇世紀初頭は、鉄筋コンクリート構造がようやく実用の段階に入った時期であったが、十分に理解されていたとは思えない。
「耐火構造」が法として初めて整理されたのは、「市街地建築物法施行規則」(一九二〇年)で、その第一条に壁・床・屋根・柱・階段などの耐火構造が具体的に示されている。その認識は今日とは隔たりを感じるものだが、大きな前進を示すものだった。一方、劇場の構造に関する規定は、一九二一年の「興行場及興行取締規則」で初めて、観客定員一五〇〇人以上の興行場にあっては「主要構造部を耐火構造または鐵造と為すこと」という規定が設けられたが、鉄骨の耐火被覆に関しては規定がなかった。しかも、観客定員七〇〇人以上にあっては、「外壁及階段の周囲を耐火構造と為すこと」としながら「定員一〇〇〇人未満のものなるときは準耐火構造」という大幅な緩和を認めている。それは、実現可能な範囲での規定とせざるを得なかった当時の事情を反映している。もちろん、それ以前の「演劇取締規則」では「耐火構造」という言葉そのものがなく、「建物は石、煉瓦その他適当なる不燃質物を以て構造」としながら、但し「内部の構造に在りては斟酌することあるべし」といった具合だったのである。
III-ii 避難区画と遮音討画
配置図で見ると、敷地を大きく二つのブロックに分割し、劇場本体とは別に舞台裏関係諸室を設けている。しかも、劇場本体から離して、大道具製作所棟、附属技芸学校/会社事務所棟、蓄電池棟、背景画室/音楽教室棟といった四つの棟を分散配置している。中庭空間を介しながら各機能を分けることは、使い勝手上不便に違いない。雨の日は傘なしでは移動できないし、季節や天候の影響を直接受ける。しかし、万が一火災になったとしても、容易に発見できるし外からの対応もしやすいという利点があり、初期段階で消火活動を展開できる可能性が高い。また、各棟内に製作場・稽古場など騒音の発生源となる機能を有していることを考えると、遮音といった観点から、これが有効な方法であることが分かる。音の出る機能を互いに遠ざけ、邪魔にならない機能を一つの棟にまとめることで、むしろ集約的に計画されるリスクを減じている。
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コメディ・フランセーズ劇場に取り付けられた電動式の防火戸(1892年)
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劇場本体の計画では、舞台・客席・楽屋・ホワイエなど各ゾーンが独立して区画できるように計画され、火災時には防火上主要な出入り口及び窓を自動的に閉じる鉄扉装備を持っていた。特に注目すべきは、欧米の劇場に倣い、鉄製の防火戸によって舞台と客席を区画する方法で、この方法は十分なすのこ高さを有するフライタワーがあることで初めて可能となった。いずれも外国製の設備で、こうした防災設備を持つ劇場は、無論帝国劇場をおいて他になかった。当時の「演劇取締規則」には、二方向避難に関する規定はあったが、建物内部を区画するといった概念がなく、精々建物外周に空地を設け、不燃の塀を巡らせるといった程度のものであった。
階段の配置に着目すると、まず建物の四隅に階段室を配置し、客席の側面と後部にも階段を設け、合計四対八ヵ所の階段を計画している。それぞれを一階まで直通させ、そのまま外部へと導いている。対称的に配置された階段は、楽屋・客席各ゾーンにおける二方向避難と同時に、効率的な動線を提供している。また、舞台領域においても、外に面した開口部を設けることで、非常時の素早い経路を確保している。現代の法規からすれば、階段室としての独立性・区画の問題を指摘できるが、階段の幅や階段から外部へ直通避難できる経路の確保、位置などの点において、それ以前とは格段の向上が見られる。こうした理に叶った避難計画は、観客にも出演者・スタッフにも安心感を抱かせたことだろう。
III-iii 全席椅子・客席通路
客席で一般的に椅子を使用するようになったのは、有楽座(一九〇八年)が初めであったが、一階の両桟敷は従来通りだったし、椅子も六人掛けの長椅子だった。全席椅子席で、主要階において一人一脚となったのは帝国劇場が初めてである。それは、規定以上の人数が客席内に入れないことを意味し、床に固定されることで非常時の混乱を減ずるという二重の安全をもたらす結果になった。
(15)帝国劇場一階平面図
(16)二階平面図
(17)三階平面図
(18)四階平面図
(19)明治四一年(1908年)に新築開場した有楽座
そもそも椅子席に関する法令は、「興行場及興行取締規則」が初めてだった。帝国劇場の椅子一人分の幅は四八五ミリ・前後間隔七八八ミリで、これは同規定の最低寸法(幅は一尺三寸/394mm、前後間隔二尺五寸/758mm)を上回るもので、これ以降標準的な寸法となった。床に固定することも帝国劇場の経験を認めることができる。
ところで、横連結された座席は、最大でも九席で一階席後方の一段高くなった端部ブロックを例外として、それ以外は皆、両端に通路が通っている。一階平土間部分の客席は、最前列と後方側面の二対四カ所の出入口を持っている。後方側面から客席に入ると、他の前後列よりもやや問隔が開いている部分があり、それが横通路的に利用されていたと思われる。このため、客席周囲に円弧状に確保された通路に加えて縦通路が二本、横通路が一本といういわば井桁状に組まれたアメリカンスタイルの座席配列形式となっており、全ての通路が客席出入口に接続されている。花道を作る場合でも、平土間席への出入口を確保したままボックス席をつぶして仮設する方法を採っており、防災への意識が高いことを伺わせる。
こうした客席内の縦横通路の取り方と出入口も、「演劇取締規則」では「二枡毎に竪(若しくは横)に幅一尺以上の通路を設け容易に廊下に通せしむべし」とあるだけで、これが「興行場及興行取締規則」で初めて「横列八席以下毎に通路を設けその幅員は之を使用する客席両側に在るときは二尺五寸以上、片側のみに在るときは二尺以上と為すこと」と規定された。帝国劇場では、横に連結された席数が一席多いが、客席通路幅は七八八ミリで、規定を上回って安全を確保している。
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