日本財団 図書館


パラオ共和国(Republic of Palau)
(1)一般事情
1. 面積:488km2(屋久島とほぼ同じ)
2. 人口:19,129人(2000年国勢調査)
3. 首都:コロール
4. 人種:ミクロネシア系
5. 言語:パラオ語、英語
6. 宗教:キリスト教
7. 略史:
 1500年代 スペイン人がミクロネシアの島々を発見。
 1899年 スペインはミクロネシアの島々を独に売却。
 1914年 第1次大戦始まる。日本は独よりパラオを含むミクロネシアの島々を占領。
 1920年 国際連盟より日本のパラオを含むミクロネシア委任統治が認められる。
 1947年 国連の太平洋信託統治領として米国の統治始まる。
 1965年 ミクロネシア議会発足、パラオも代表を派遣。
 1978年 パラオはミクロネシア連邦より脱退。
 1981年 憲法発布。自治政府発足。
 1982年 米国との間で自由連合盟約案合意。
 以後、1983年2月、1984年9月、1986年2月、1986年12月、1987年6月及び8月(無効)、90年2月の7回住民投票が実施されたが、75%以上の賛成を得ることが出来ず否認。
 1992年 住民投票にて憲法修正案が承認された(憲法の非核条項を自由連合盟約に適用しないことにより盟約承認を容易にするもの)。
 1993年 第8回目の住民投票により自由連合盟約承認(11月9日)。
 1994年10月 自由連合盟約が発効、独立。
 1994年12月 国連に加盟。
8. 政治体制・内政
1)政体:大統領制
2)元首:トミー・レメンゲサウ(Tommy Remenesau Jr.)
 大統領(2001年1月就任、任期4年)
3)議会:二院制下院16名、上院9名。任期4年
4)政府:
(1)大統領:トミー・レメンゲサウ(Tommy Remengesau Jr.)
(2)副大統領:サンドラ・ピエラントッチ(Sandra Pierantozzi)
5)内政:2001年1月に就任したレメンゲサウ大統領は、アメリカからの財政援助が終了する2009年までに財政自立を達成することを目標に、行財政改革による政府の軽量化・効率化、海外投資促進による経済活性化を目指している。ナカムラ前大統領の路線継承を掲げていたレメンゲサウ大統領だったが、財政面では前大統領とは異なる緊縮政策を採用、議会と協力・協調して諸施策を進めようとした。しかし必要な法整備を求める大統領に対して議会の動きは鈍く、大統領にとり議会での支持基盤の確保は最優先課題。レメンゲサウ政権自体は安定しており、大統領は目下、9.11テロ事件後落ち込んだ観光客の誘致と、将来を見据えた援助ソースの多角化に取り組んでいる。
9. 外交:1994年に国連加盟を果たし、国際機関(WHO、IMF、UNESCO、FAO、IWCなど)や地域機関(PIF、PC、FFAなど)に加盟している。
 外交関係を樹立しているのは日米など29ヵ国で、1999年には台湾と国交を結んだ。米国、日本との関係を重視。
10. 経済
1)主要産業:観光業、漁業
2)GDP: 129.3百万ドル(1998年)
3)経済成長率:N/A
4)物価上昇率:N/A
5)貿易額(1996年):
輸出:3.0百万ドル(魚類)
輸入:82.3百万ドル(一般消費財)
6)通貨:米ドル
7)経済概況
 アメリカからの援助金と観光関連収入が国家経済を支えている。パラオの主な生産物は農業・漁業活動によるものだが、これらは主として自家消費用及び小規模な国内市場向けである。製造業は中国人労働者を使った縫製工場のほかは見るべきものがなく、主な消費物資は食料品も含めてそのほとんどを輸入に頼っている。産業面では1990年代に観光業が順調に伸び、観光客数は1990年の23,398人からピーク時の1997年には63,601人まで伸びたが、ここ数年は伸び悩んでいる(2002年は前年比8%増の58,560人)。パラオ経済を実質的に支えているのはアメリカによる財政援助と、日米などが行っている大規模な開発援助である。このため2009年にアメリカの財政援助が終了するまでに、いかにして経済自立を図るかが国家的課題になっている。一人あたりGDPは太平洋諸国では突出して高いが(2000年で6,128ドル)、パラオ政府は海外援助の占める割合が大きく、国民生活実態とはかけ離れていると主張している。また近年民間部門では、現業労働者から専門職まで、賃金の安いアジア系外国人(特にフィリピン人)への依存が高まっている。
11. 我が国との経済関係
我が国の対パラオ貿易(2000年、通関統計)
1)貿易額:
(1)輸出:904百万円
(2)輸入:1,938百万円
2)主要品目:
(1)輸出:自動車、機械、食品等
(2)輸入:魚類(マグロ、カツオ)
12. 我が国の政府開発援助
1)パラオは、1947年以来、マーシャル、ミクロネシア、北マリアナとともに、米国を施政権者とする国連の太平洋諸島信託統治地域の一部を構成していた。1994年の米国との自由連合盟約の発効に伴い、独立し、同年に国連に加盟した。1996年11月の大統領選挙で、ナカムラ大統領が圧勝し再選を果たした。
2)経済面では、パラオの財政は米国からの援助にかなり依存しており、産業面でも製造業に見るべきものがなく、ほとんどを輸入に頼っている。このような経済構造からの転換を図るため、自給率を高める生産部門の確立が必要とされている。また、近年同国の自然環境を求めて、観光客数が増加しているため、関連施設やインフラの整備が最優先課題となっている。マグロ等鮮魚の日本向け転載事業が一時期大きく伸びたが、近年は低迷している。経済は、観光産業が近隣諸国と比べ徐々にではあるが確実に進展していること等から、全体として緩やかではあるが成長過程にある。
 雇用面では、政府機関の占める割合が大きく、民間労働力は外国人(フィリピン人)への依存が高くなっており、地元民雇用の拡大策が検討されている。1995年には経済自立、人材育成、天然資源開発、持続的地域開発を国家目標とする経済開発計画(〜1999年)が策定された。
3)我が国との関係では、古くは1914年以来1945年まで我が国が南洋諸島の一部として統治していた経緯があり、この歴史的関係に加え、漁業関係でのつながりも深く、国造り、経済開発における我が国の経済協力への期待は大きい、1994年の独立以降、ナカムラ大統領は頻繁に訪日している。1996年6月及び1998年8月には、長谷川前駐豪大使を代表とする政策ミッションをパラオに派遣し、1999年10月には、SPF域外国対話に出席するため、東総括政務次官がパラオを訪問した。また、1999年12月にはSPF議長としてナカムラ大統領が訪日、2000年4月の太平洋・島サミットに同大統領がSPF議長として再び訪日した。
 
フィジー諸島共和国(Republic of the Fiji Islands)
(1)一般事情
1. 面積:1万8,333km2(四国とほぼ同じ大きさ)
2. 人口:85.4万人(2000年フィジー政府統計局)
3. 首都:スバ(16.5万人、1996年調査)
4. 人種:フィジー系(51.0%)、インド系(44%)、その他(5.0%)(1998年調査)
5. 言語:英語(公用語)の他フィジー語、ヒンディー語を使用。
6. 宗教:フィジー系はほぼ100%キリスト教、インド系はヒンズー教、回教。
 全人口に占める割合はキリスト教52.9%、ヒンズー教38.2%、回教7.8% (1986年調査)
7.略史:
 1643年 タスマン、フィジー諸島の北部発見
 1874年 英国の植民地となる
 1970年10月10日 英国より独立(立憲君主制)
 1987年10月 共和制へ移行。国名:フィジー共和国
 1998年7月27日 修正憲法発効。国名:フィジー諸島共和国
 1999年5月 労働党党首のチョードリーが初のインド系首相に就任
 2000年5月 武装グループによる国会占拠事件が発生
 2000年7月 ガラセを首班とする暫定文民政府が発足
 2001年9月 総選挙を経てガラセが首相に就任
8. 政治体制・内政
1)政体:共和国
2)元首:ラトゥ・ジョセファ・イロイロ(Ratu Josefa Iloilo)大統領
3)議会:2院制:
上院:32議席、任期5年、解散あり。また、下院解散時には上院も解散。
下院:71議席、任期5年、解散あり。
4)政府:首相ライセニア・ガラセ(Laisenia Qarase)
5)内政:1999年5月の総選挙でチョードリーが初のインド系首相に就任。2000年5月、フィジー系フィジー人の政治的優位の強化を主張するスペイト率いる武装勢力が議会を占拠し、チョードリー首相ら閣僚30名を拘束する事件が発生。7月、イロイロ、セニロリ暫定正副大統領が就任。同月、ガラセを首相とする暫定文民政権が発足。11月、ラウトカ高裁が暫定政権を違法とする判決を下し、2001年3月、控訴裁も右判決を支持する判決を下した。同月、イロイロ、セニロリ暫定正副大統領がGCC(伝統的社会指導者大会議)の任命を受けて就任。ガラセを首相とする選挙管理内閣が発足。2001年8月25日−9月1日に総選挙が実施され、9月10日、ガラセが首相に就任し、政権は一応安定した。しかし、同政権には、「下院において10%以上の議席を占める政党は全て内閣に招請される」旨の憲法の規定にも関わらず労働党議員が1名も含まれていないため、労働党はガラセ政権の合憲性に疑義ありとして提訴した。2002年2月、控訴裁は労働党の実質勝訴となる内容の決定を下しつつ本件を高裁へ差し戻した。4月、高裁は、ガラセ首相は労働党議員を閣僚に推薦する義務がある旨の判決を下したが、同首相は、判決は極めて遺憾、非現実的であるとして最高裁に上告しており、2003年6月に判決が出される予定。
9. 外交基本方針:
 豪州、ニュージーランド及び南太平洋諸国との協力関係重視。ガラセ政権は「ルック・ノース政策」を打ち出し、日本を含む東アジア諸国との関係強化。1987年のクーデター後、英連邦を脱退したが、1997年9月末、英連邦再加盟。なお、2000年5月の国会占拠事件後、フィジーは英連邦の会議出席資格を停止されていたが、2001年12月に復活した。1987年のクーデターはフィジー系、インド系両国民の確執が主な要因であったことから、その後インドとの国交が断絶されたが、1999年6月、両国関係は正常化した。フィジーの首都スヴァには、PIF(太平洋諸島フォーラム)事務局、USP(南太平洋大学)、SOPAC(南太平洋応用地球科学委員会)本部など多くの地域協力機関があり、フィジーはこれらの機関で中心的役割を果たしている。フィジーは2002年8月より1年間、PIFの議長国を務めている。
10. 経済
1)主要産業:観光、砂糖、衣料が三大産業
2)GDP: 1,979.8百万米ドル(2002年フィジー準備銀行)(予想値)
3)一人当たりGDP: 2,072.5米ドル(2002年フィジー準備銀行)
4)GDP実質成長率:4.4%(2002年フィジー準備銀行)(予想値)
5)物価上昇率:1.6%(2002年フィジー準備銀行)(予想値)
6)失業率:14.2%(2001年フィジー統計局)
7)貿易総額:
輸出:530百万米ドル(2001年フィジー準備銀行)
輸入:783百万米ドル(2001年フィジー準備銀行)
8)主要貿易品目(2001年暫定値):
輸出:衣類、砂糖、金、魚類、木材チップ
輸入:機械・輸送機器、工業製品、食料品、雑貨品、鉱物燃料、化学品
9)貿易相手国(2002年):
輸出:1. 豪州、2. ニュージーランド、3. 英国、4. 日本、5. 米国
輸入:1. 豪州、2. ニュージーランド、3. シンガポール、4. 日本、5. 米国
10)通貨:フィジー・ドル(F$)
11)為替レート:フィジー・ドル=0.4331米ドル(2001年平均)
12)経済概況
 2000年5月のクーデター事件がフィジー経済に与えた影響は甚大で、特に観光産業、衣料産業は直接深刻な被害を被り、1999年のGDP成長率は8%以上を記録したのに対し、2000年は-2.8%(当初は-8.2%と予想)と大きく落ち込んだ。しかしながら、2001年の総選挙後、政情が安定化するに従い徐々に国際社会よりの信頼が回復し、経済活動も落ち着きを取り戻しはじめ、同年の経済成長率は4.3%、2002年は4.4%の成長を記録した。特に、観光産業の回復は著しく(2000年29万人が2002年は約40万人)、2003年は、南太平洋スポーツ大会の開催もあり、さらなる観光客が見込まれ、観光産業がフィジーの経済発展の牽引となると見られている。また、政情の安定化に伴い、ホテル等の多くの大型建築プロジェクトも着工しており、建築業界も好調である。なお、長年にわたりフィジー経済を支えてきた砂糖産業は、工場の放漫経営、輸送手段及び機械の老齢化等の問題に加え、フィジー系土地所有者とインド系農民との間の農地リース問題が政治問題化するなど、解決すべき問題が山積みとなっており、多額の累積赤字を抱え、出口の見えない深刻な状況に陥っており、ガラセ首相自らが政治生命を賭け砂糖産業再生に乗り出しており、今後の成り行きが注目されている。
11. 我が国との経済関係
対日貿易(2002年財務省)
1)貿易額:
(1)輸出:4,015百万円
(2)輸入:5,756百万円
2)主要品目:
(1)輸出:木材(62%)、魚介類(24%)、粗糖(12%)
(2)輸入:自動車(58%)、機械類(14%)
12. 我が国の政府開発援助
概説
1)1970年に英国から独立した。1994年の総選挙でランフカが首相に再任され、その後、人種差別的と批判のある1990年憲法の見直しが検討され、1997年7月に憲法修正案が可決、承認された。この憲法修正は、1998年7月に発効し、国名は「フィジー共和国」から「フィジー諸島共和国」に変更された。1999年5月の総選挙では、労働党を中心とする野党連合「国民の連合」が大勝し、労働党のチョードリー党首が初のインド系の首相に就任したが、2000年5月、フィジー系実業家・スペイトが率いる武装グループによる議会占拠事件が発生し、首相を含む閣僚約30名が人質として拘束された。5月29日、バイニマラマ軍司令官が法と秩序の回復と人質解放を目指すとして全権を掌握の上、戒厳令を布告。マラ大統領は辞任し、現行憲法は廃止された。その後軍側とスペイト側の交渉が行われ、7月13日に人質全員が解放された。同日、伝統的首長者会議(GCC)がイロイロ前副大統領を大統領に任命、28日にガラセワィジー商業銀行総裁を首相とする暫定文民政権が発表された。
2)外交面では、(1)英連邦諸国(フィジーは1987年のクーデター後、英連邦から脱退したが、1997年9月に再加盟、2000年5月の議会占拠事件を受け、現在、英連邦評議会の資格を停止されている)、特に豪州、ニュージーランドとの関係強化、(2)他の太平洋諸島との協力関係重視、(3)アジアをはじめ各国との友好関係拡大化を基調としてきたが、共和制移行後は特に我が国、韓国、ASEAN諸国等アジア諸国との関係拡大に力を入れている。また、国連をはじめとする国際機関においても活発な活動を展開し、国連の平和維持活動にも協力している。(4)首都スヴァには、SPF事務局の他、南太平洋大学や南太平洋応用地球科学委員会の本部が置かれており、地域協力に積極的に参加している。
3)経済面では、アジアの経済不振、金の国際価格低迷に加え、長期に及んだ未曾有の干ばつで大打撃を受けた。砂糖きび生産は半減し、1998年の成長率は対前年比マイナス3.9%と見込まれる。
 1995年の大韓航空直行便の就航以来、韓国からの観光客が増加しているほか、北米大陸との航空便増加や観光客誘致に努めてきたが、1997年末に至り、アジア経済の不振から観光客の対前年増加率は減少し始めている。フィジーは競争力ある低コスト経済を目指しており、財政赤字・財政支出の縮減、公営企業の民営化を推進している。
 近年我が国各都市との直行便の就航等により、我が国からの観光客誘致や投資に期待をかけている。また、1994年、1997年のランブカ首相訪日(1997年は日本・SPF首脳会議に出席)など政府要人の頻繁な交流をはじめ、様々なレベルでの交流が盛んであり、対日感情も良好である。更に、1998年7月、我が国は両国間の対話を促進するため、堀元駐フィジー大使を団長とする政策対話ミッションをフィジーに派遣した。また、2000年4月、太平洋・島サミットに出席するため、チョードリー首相が訪日した。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION