ソロモン諸島(Solomon Islands)
(1)一般事情
1. 面積:2万9,785km2
2. 人口:43万人(2001年、世銀アトラス)
3. 首都:ホニアラ(5万人、98年大蔵省推計)
4. 人種:
メラネシア系(約94%)が主で、その他ポリネシア系、ミクロネシア系、ヨーロッパ系、中国系
5. 言語:英語(公用語)、ビジン英語(共通語)
6. 宗教:人口の95%以上がキリスト教
7. 略史:
1568年:スペイン人メンダナ、サンタ・イザベル島に来航
1893年:英国、南ソロモン諸島領有を宣言
1900年:英国、独より北ソロモン諸島を取得
1942年:日本軍、ソロモン諸島を占有
1978年7月7日独立
8. 政治体制・内政
1)政体:立憲君主制
2)元首:エリザベス二世女王(英国女王)、ジョン・ラプリ総督(99年7月就任)
3)議会:一院制、50議席、任期4年
4)政府:首相アラン・ケマケザ(Hon. Sir Allan Kemakeza)(2001年12月就任)
5)内政:1997年8月の総選挙の結果、ウルファアル自由党党首を首相とする連合内閣が結成されたが、1998年末より首都ホニアラがあるガダルカナル島において先住民ガダルカナル人と移民マライタ人との間で部族対立が激しくなり、2000年6月、マライタ人武装勢力による同首相拘束事件が発生し、同首相は辞任に追い込まれた。7月にはソガワレ政権が発足し、10月には和平協定が結ばれた。同政権にとって国内平和の回復、破綻した経済・財政の再建が最大の課題であったが解決策が見いだせないまま事態は悪化した。2001年12月、国際選挙監視団が監視する中行われた総選挙は、公正かつ民主的に実施され、ケマケザ政権が発足。同政権は法秩序の回復と財政再建を公約に掲げている。
9. 外交基本方針
PIF等地域協力機構に積極的に参加。英、豪等英連邦及び近隣諸国との友好関係推進。台湾と外交関係あり。
10. 経済
1)主要産業:第一次産業(コプラ、木材、魚)中心の経済
2)GDP: 264.5百万米ドル(2001年、世銀アトラス)
3)一人当たりGDP: 615米ドル(2001年、世銀アトラス)
4)経済成長率:1.3%(1999年、ソロモン中央銀行)
5)物価上昇率:7.8%(1999年、ソロモン中央銀行)
6)総貿易額:
輸出:162.7百万米ドル(1997年推定、IMF)
輸入:187.6百万米ドル(1997年推定、IMF)
7)主要貿易品目:
輸出:木材(58%)、魚類(22%)、パーム油(13%)
輸入:機械・輸送機器(37%)、工業製品(30%)、食糧(14%)
(1997年、ソロモン統計局)
8)貿易相手国:
輸出:日本(40%)、英国(30%)、韓国(13%)
輸入:豪州(47%)、日本(15%)、シンガポール(9%)
(1997年、ソロモン統計局)
9)通貨:ソロモン・ドル(S1$)
10)為替レート:1ソロモン・ドル=約0.2米ドル(2000年12月)
11)経済概況
ソロモン経済は、魚、木材、コプラ、パーム油等の輸出に強く依存しているため、一次産品の国際価格下落の影響を受けており、国際収支の赤字が続いていた。1996年には輸出増で貿易収支が改善したが、その後アジア経済の不調の影響もあり、輸出は伸び悩んでいる。また、2000年の部族対立の影響により財政は大幅な赤字となっている。
11. 日本との経済関係
対日貿易(1999年、通関統計)
1)貿易額 輸出:6,519百万円 輸入:1,977百万円
2)主要貿易品目:
(1)輸出:魚類(52%)、木材(31%)
(2)輸入:自動車(29%)、機械類(27%)
3)我が国からの直接投資:19件74億円(96年度までの累計)
12. 我が国の政府開発援助
1)1978年に英国より独立した英女王を元首とする立憲君主国家である。1997年8月の総選挙の結果、ママロニ首相に代わって、ウルファアル議員が新首相に就任した。1998年末よりガダルカナル島において原住民ガダルカナル人とマライタ人による部族対立において緊張が高まり、2000年6月、ウルファウル首相が反政府武装勢力によって拘束されるという事件が発生した。その後、ウルファウル首相は辞任し、7月1日には、野党党首ソガワレが新首相に就任した。
2)外交面では、歴史的に英国、豪州等英連邦諸国と緊密な関係を有しているが、かつて最大の援助国であった旧宗主国たる英国の援助が近年減少しているため、援助供与国の多角化を進めている。また国連、ESCAP、世界銀行、IMF、ADB等にも加盟し援助拡充を図っているほか、周辺国との連携を強め、協力関係を推進している。近年は南太平洋フォーラム(SPF)の枠組みを重視し、また、経済的つながりの強化のためアジア指向を強めている。
3)経済面では、木材、魚、コプラ(乾燥したやしの実)等の一次産品輸出に大きく依存しているため、常に一次産品の国際価格下落の影響を受けている。1999年は、アジア経済危機などの影響が続き、GDF成長率は-0.5%となった。また、依然として地方農村部においては自給自足経済が営まれており、都市部と地方との生活水準には大きな格差があるほか、急激な人口増加への対応が重要な課題となっている。
4)我が国との関係は、古くは第二次大戦時の占領に始まるが、極めて親日的であることに加え、漁業分野における関係も深い。1995年11月にはフィリップ副首相兼外相、1997年10月にはウルファアル首相(日本・SPF首脳会議に出席)、1999年10月及び2000年4月(太平洋・島サミット)にはオティ外相が訪日する等、近年両国関係は緊密化しつつある。
ツバル(Tuvalu)
(1)一般事情
1. 面積:25.9km2
2. 人口:1万400人(2000年、ADB)
3. 首都:フナフティ(4千300人)
4. 人種:ポリネシア系人種が殆んど。その他若干のミクロネシア系人種がいる
5. 言語:英語及びツバル語(ポリネシア系言語でサモア語に近い)
6. 宗教:主としてキリスト教(プロテスタント)、殆んどの国民がツバル教会に属する
7. 略史:
1568年:スペイン人メンダナ、エリス諸島のヌイ島発見
1892年:ギリバート・エリス諸島として英国の保護領となる
1915年:ギリバート・エリス諸島として英国の植民地となる
1975年:ギリバート諸島と分離、ツバルと改名
1978年10月1日:独立
1981年:独立後初の総選挙によりプアプア政権成立
1989年:総選挙によりパエニウ政権成立
1993年:総選挙によりラタシ政権成立
1999年:イオナタナが首相に就任
2000年9月:国連加盟
2000年12月:イオナタナ首相が逝去
2001年2月:ルカが首相に就任
2001年12月:タラケが首相に就任
2002年8月:ソポアンガが首相に就任
8. 政治体制・内政
1)政体:立憲君主制
2)元首:エリザベス二世女王(英国女王。但し、通常は総督が王権を代行)
総督:トマシ・プアプア(Dr.Tomasi Puapua)
3)議会:一院制、12議席、任期4年(解散あり)
4)政府:首相兼外務・労働相 サウファトゥ・ソポアンガ(Hon.Mr. Saufatu Sopoanga)
5)内政:ツバルには政党は存在せず、誰を首相として推すかにより派閥が形成される。1993年の総選挙でラタシ政権が誕生したが、議会における首相派(ラタシ首相派)対反首相派(パエニウ前首相派)の勢力は7対5と伯仲していた。その後1996年12月にパエニウ前首相は自派及び首相派の一部の議員を結集しラタシ首相に対する不信任案を議会に提出、可決させ、自らが首相に就任した。パエニウ首相は1998年3月の総選挙の後、首相に再任されたが、1999年4月、内閣不信任案可決により辞任。同月、イオナタナ議員が首相に就任。2000年12月、イオナタナ首相が逝去。2001年2月、ルカが首相に就任したが、2001年12月、内閣不信任案可決により辞任。同月、タラケが首相に就任した。2002年7月、総選挙が行われ、8月、ソポアンガ前大蔵経済企画兼観光・貿易・商業相が首相に選出された。
9. 外交基本方針
西側との友好関係維持・強化。共産圏諸国とは一線を画すとの方針。なお、近年は近隣の大洋州島嶼国との関係強化も図っている。
10. 経済
1)主要産業:農業及び漁業が主要な産業であるが、自給自足的な部分が大きい。
その他、若干の建設業、サービス業等
2)GDP: 23百万豪ドル(2000年、ADB)
3)一人当たりGDP: 2,236豪ドル(2000年、ADB)
4)経済成長率:3%(99年)
5)物価上昇率:7%(99年)
6)総貿易額(98年):
輸出:6.7万豪ドル
輸入:1.141万豪ドル
7)通貨:豪州ドル
8)為替レート:1豪ドル=65.46円(2002.7現在)
9)経済概況
資源に乏しく、国家財政の収入源は、入漁料と外国漁船への出稼ぎ船員等による海外送金、ツバル旅券の販売、ツバル信託基金(ツバル、英、豪、NZの拠出により、1987年に設立)の運用益からの補填となっているが、これまで健全な運営をしていたツバル信託基金が、2001年度は、米経済の減速、米株式市場の低迷、米ドルに対する豪ドルの低下、豪経済の低迷等の悪影響を受け実質マイナス運用となった。当面は、米国のインターネット関連会社に貸与したドメインコード「tv」の使用権の契約料(1999年から12年間で、5000万米ドル)により、財政は均衡しているが、今後これらの限られた収入を如何に運用していくかが課題。
11. 日本との経済関係
対日貿易(2002年財務省)
1)貿易額:輸入 1,192百万円
2)主要品目:輸入 自動車
12. 我が国の政府開発援助
1)1978年に英国より独立し、英女王を元首とする立憲君主国家となった。1989年12月の総選挙でパエニウが新首相に就任したが、1993年の総選挙ではラタシ政権が誕生、その後、1996年12月に内閣不信任決議案が通過してパエニウが首相に返り咲いた。1998年3月の総選挙の後、パエニウ首相は再任されたが、1999年4月、内閣不信任案可決により辞任し、イオナタナが首相に就任した。
2)外交面では、西側諸国との友好関係維持・強化を基調としている。地域国際機関には独立以来加盟している。当面の課題は、隣国ナウルの燐鉱石の枯渇に倖い失業し帰国する多くのツバル人の再就職問題であり、政府は豪州等に対し移民受入れを訴えているが解決の目途は立っていない。
海抜の低いツバルにとって最大の関心事である地球温暖化による海面上昇問題については、1998年12月の気候変動枠組条約第四回締約国会議(COP4)にも代表を参加させ、各国に問題の重要性を訴えるなど、小島嶼国の代表格として積極的な働きかけを行った。なお、2000年9月、国連加盟が実現した。
3)経済面では、コプラ(乾燥したやしの実)以外には見るべき産業はなく、国家収入源はコプラ輸出、海外出稼ぎ者の本国送金、政府による切手輸出販売である。1995年8月には政府支出抑制、輸出事業の開拓、インフラ整備、教育の充実等を重点項目とする国家開発戦略(1995〜1998年)を公表したが、国家規模は小さく、注目に値する資源もないため、経済的自立実現は非常に困難な状況にある。
ツバルは英国の財政援助が削減されること等を理由に、1987年、英国、豪州、ニュー・ジーランドよりの拠出金を主体として、我が国及び韓国の拠出金も加えた「ツバル信託基金」を設立し、基金の利子を政府経常予算に充てる方策を講じた。この基金は順調な発展を続け、その運月益は1998年で国家財政(約8百万ドル)の約18%(約1.4百万ドル)を賄っており、経済発展及び国家運営に大きな貢献をしている。
4)我が国との関係は従来稀薄であったが、近年徐々に交流が進展しつつある。1997年10月にパエニウ首相が日本・SPF首脳会議出席のため来日し、また、1997年12月のCOP3の直前に、パエニウ首相が再度訪日し、地球温暖化による海面上昇問題についての小島嶼国の立場を訴えた。更に、1998年8月、我が国は長谷川前駐豪大使を団長とする政策対話ミッションをツバルに派遣し、両国開の対話の促進に努めた。2000年4月、太平洋・島サミット出席のため、イオナタナ首相が訪日した。
|