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講演内容
オープニング
草野 満代氏(ニュースキャスター)
草野 皆さん、おはようございます。何だか私一人場違いな所に来てしまったなという感じで、今ここに立っております。ふたつきほど前に笹川スポーツ財団の方がTBSにいらして、ここでオープニングのメッセージを小一時間話していただけないかということで、軽くお引き受けをしたのです。今こうして会場を外から眺めていましたら、あまりの皆さんの切なる思いといいますか、熱気のようなものが非常に感じられて、私も今ここに来て緊張をしております。
 ただ、私はNPOに関しては実は私自身もMIP、モラル・インテリジェンス・フィジカルという2001年に認証されたNPO法人がありまして、そこの理事を引き受けております。一通りNPOの成り立ち、運営などについては知っているつもりですけれども、具体的に日々運営にかかわっていないというのが実態ですので、詳しいことについてはそれこそ午後の個別のセッションで議論を深めていただきたいと思うのです。
 私はこの時間をいただいた中では、NPOに対する期待と注文と、大きく分けて二つについてお話をさせていただきたいと思っています。といいましても、本当に気楽に、私はあまり専門的な話はできませんので、大きく言うと本当に期待感を持っています。ですから、ぜひ頑張っていただきたいというエールを送りたいと思って、今日はここにやってきました。
 
スポーツ放送との係わり
 私自身はNHKに8年ほど勤めておりまして、その中で3年間スポーツキャスターとしてスポーツにかかわってきました。ちょうど94年、95年、96年という3年間です。オリンピックで言いますとリレハンメルオリンピックとアトランタオリンピックの二つのオリンピック放送に携わったわけです。そこで感じたことなどからお話をさせていただきたいと思います。
 私自身はスポーツにはそれまで全く縁がなくて、それでもいきなりスポーツキャスターみたいなところにならされるというのが放送業界の不思議なところで、野球のルールも、それこそライトもレフトも分からなかったのに、いきなりスポーツ実況をやりなさいと言われることもあるような、それが実態です。それでも女性がスポーツに携わるということがもてはやされた時代で、今で言うと当たり前に過ぎてしまっているのですが、素人が出ていってキャーキャー言いながら選手に話を聞いてなんていうことが、今考えると顔から火が出るぐらい恥ずかしいのですけれども、そういう感覚で最初はスポーツにかかわっておりました。
 NHKの放送で、やはり一大イベントとして最も大きくて最も大切なものはオリンピックです。オリンピックの放送をいかに大きく、そして成功させるかというのは大きなテーマで、私は「サンデースポーツ」と言う番組をやっていたのですけれども、日々それをやりながらJOCをはじめとする組織といかにうまく付き合いながら、そして協力を得ながら放送を成功させるかというところが大きなテーマだったわけです。
 そこで感じていたことは、何でもそうですけれども、組織というのは時間が経てばそれは歴史が積み重なって伝統になりますが、組織そのものとしてはどんどん固まってしまって、なかなか身動きが取れなくなってくるということを強く感じていました。感じていたからといってそれがどう打開できるということでもなく、そういうものは凝り固まってしまったものとして受け入れざるを得なかったのでそういうものだと、そことうまく付き合っていくしかないと感じながらやっていたのです。それが一つです。
 日本のスポーツは、皆さんは多分そこから脱却したいと思ってNPO法人とかNPOの活動にかかわっていらっしゃると思うのですけれども、学校スポーツか企業スポーツか大概その二つです。私たちの放送という仕事も大概学校スポーツか企業スポーツか、その二つにかかわるというかかわり方しかなくて、そこにもプロとアマチュアの間には大きな格差があってなかなか交流もままならない。そんなところから、そもそもスポーツとはとても楽しいことであって、自分自身ももっと積極的に参加したいのに、どんどん傍観者になっていく。スポーツを楽しみたい、かかわりたいと思うとどんどん見るほうか、プロになって自分がスポーツを見せるほうになれる人は本当に数が少なくて、そうでない人たちはスポーツを見て楽しむという方法しかどんどんなくなっていくのだなということを感じていました。
 言ってみればスポーツをする人というのはもっと幅広く年齢もそうですし、企業や学校にとらわれず増えていいはずなのに、スポーツをしたいと思う人が、この国ではあまり大切にされていないということをそんな時にずっと感じていました。
 私自身は本当に単純にスポーツを楽しみたいと思っていた人間ですけれども、組織で言いますと、あまりに大きな組織故に、名誉とかそういう権威とかそういうものが先に行ってしまって、本来スポーツを楽しみたいと純粋に思っている人たちがちょっと横に置かれてしまう。ないがしろにされているとまでは言いませんけれども、そういう実態をスポーツ放送に携わりながらずっと漠然とした疑問として感じていたことがありました。
 
不況から生まれた新しいかたち
 私がちょうどスポーツキャスターを務めていました94年から97年というのは、企業スポーツというのも大きな節目の数年間だったように思います。不況の波に押されて毎週のように入ってくるニュースというのは、企業が不況のためにスポーツのクラブを廃止するとか、どんどんそういう選手の涙というのか、そういうものが今思い出されると非常に印象的に残っています。不況の波に押されて企業そのものがゆとりをなくして、次から次にスポーツクラブを廃止していった時期でもありました。
 そういう中で一番翻弄されていたのは、当事者であるスポーツ選手であったと思います。そして私たち単純に純粋にスポーツを楽しみたいと思っている者も、その有り様を見てある種の失望感みたいなものを感じていました。何がそこから起きたかというと、現実が変革を後押しするようにスポーツ事業といいますか、スポーツクラブ、そういうものの在り方そのものの変革を本当に推し進めていったのではないかと思います。学校スポーツ、企業スポーツから新しいかたちのスポーツの有り様を模索し始めたのが、ちょうどその時期だったのかと思います。
 今ニュースをやりながら永田町でなかなか進まない構造改革の実態を見ていますと、ある種皮肉ですけれども不況の波というものが変革を後押ししたという、結果的にはそういうかたちになったと思います。ですから、今皆さんがこうして本当に大変な熱意を持ってここに集まっていらっしゃるというのは、そういう不幸中の幸いみたいなところで、こういう力になっている一つの原因というのもその辺にあるのではないかと思っています。
 それと相まってNPO法人のNPO法も成立して、ちょっと調べてみたら9月の時点で13,250の法人が認証を受けているというのです。そのうち4,027法人がアートとかスポーツにかかわる法人で、これは全体の30パーセント。もちろん玉石混交の実態というのはあるようですけれども、ものすごい数で今NPO法人が増えている。それだけ今、事は動いている。そういう中に皆さんがいらっしゃるということは、ぜひ自信を持って推し進めていただきたいと思っています。
 
スポーツは楽しめるか
 今スポーツをする人の話をしてきたのですけれども、学校スポーツから企業スポーツに幸いにも行ける人は別にして、それ以外の人たちというのはなかなか行き場を失ってしまっているといいますか、どこでどういうふうにスポーツを楽しんでいいのだろうかということを、いざ探そうとしてもその辺で友達と2、3人で、私自身もそうですけれども、たまに思い付いたときに都営のテニスコートを借りて、午前中ちょっとテニスを楽しむとか。あるいはゴルフは高いゴルフプレー代を払って、しかも2時間ぐらいかけてどこかに出掛けていってやるということもありますけれども、そういう楽しみ方しかなかなか思い付かない。
 
 
 アマチュアで楽しんでいる人と、プロにそこから行って楽しむ人との間の大きな乖離、ただ、ここの一番幅広い層のところが何かスポーツに関して言うと日本では行き場を失ってしまっているというのが実感としてあります。
 言ってみればそういう私のような人は、ある時学校スポーツか企業スポーツを見て楽しむしか方法がなくなってしまったのです。それとオリンピックに象徴されるような巨大化する中で、ちょっと利権とかいろいろなものが絡んで、スポーツそのものにダークなイメージが一方で膨らんでいっている。楽しむことも行き場もないし、しかもそういうものには巨大な利権とかそういうもののイメージが付きまとってしまって、本来さわやかでさっそうと自分の体を動かすというのはこのうえない楽しみのはずなのに、何だか取り残された感じといいますか行き場を失っている、そんな気持ちでずっといました。
 やはりプロ野球もそうですけれども、お金を持っているチームは豊かな資源で有能な選手をどんどん囲い込んで、一方で、例えばプロ野球で言うと広島のように市民球団を標榜するようなチームはなかなか財源がないので、自前で選手を育てるしかなくてそれでもなかなか追い付かなくてというのが実態としてあります。そういう普通一般会社組織の中でも見られるような構図が、スポーツの世界でも同じように見られるというふうになってしまうと、楽しむほうとしてみたらものすごい失望感にさいなまれるといいますか、そういうものがいつも付きまとっているのが実態です。
 でもスポーツの醍醐味というのは何でも、野球でもそうですし相撲でもそうですけれども、小さい者が大きな者を投げ飛ばすというか負かすというところにその醍醐味があるのであって、日常の中にある大が小をのみ込んでしまう、いつも大きなものが勝って小さなものが隅に追いやられるという構図をひっくり返したり、そうではないというところを見せ付けられるところに、スポーツの素晴らしさがあると思うのです。戦後といいますかこの長い歴史の中で、何かそういう姿が見られなくなって、どんどんスポーツそのものがつまらなくなってしまっていく、そういう気持ちがずっと心の中に芽生えていました。
 
最近の報道から
 私は97年からTBSでやっています「NEWS23」と言う番組を担当していまして、そんな行き場を失った中で今何が起きているかということを、そのニュースとの関連の中で考えてみたいと思います。
 皆さんもご存じの通り、少年犯罪というのがここのところ本当に急増しています。急増しているだけでなくて、万引きとかそういう軽犯罪とは言えないですけれども、そうではない凶悪な犯罪が恐ろしいスピードで増えています。もちろんそれは性的な犯罪も含めてです。昔は犯罪を起こす動機のほとんどが貧しさから、それを何とかしたい。それから長年の恨みつらみ、怨恨というものです。その二つが大抵の凶悪犯罪、少年犯罪の動機として容疑者の口から出てくることでした。
 ところが最近の少年犯罪、凶悪犯罪を見ていると、ほとんどの容疑者、皆さん、ニュース原稿の中でコメントを聞いていただければ分かると思うのですけれども、「むしゃくしゃしたのでやった」というのが大概、最近の少年の口から出てくる動機です。私も驚くほど、むしゃくしゃしてやったということがあまりに頻繁に出てきて、これはもしかしたら男性のほうがその気持ちが分かるのかもしれませんけれども、むしゃくしゃしてやるという感じが女性のほうは分かりづらいのです。それがどういうもやもやなのか、むしゃくしゃしてだれか人を傷つけたり何か引き起こしてしまうというその気持ちが、なかなか正直言うと理解できないところではあるのです。
 この前、この少年犯罪があまりに多いということをテーマに番組で特集を行いました。その時にジャーナリストの鳥越俊太郎さんがゲストでいらしていて言っていたのですけれども、私は非常に印象的だったのですが、みんなだれでも昔から今まで変わらずに少年のその時期というのはそういうむしゃくしゃする時期というのがある。男性はだれにでもある。でも昔は、例えば周りにいるお父さんだったりあるいは地域の中にいるお兄さん的な存在である人たちがたくさんいて、そういう人たちが少年の中に芽生えたもやもやだったりそういうものを、自分も同じ道を経験してきたのだからということで理解してくれて、話を聞いてくれて一緒に乗り越えてきたというプロセスが、地域のコミュニティーの中であったり学校であったり家庭であったり、至る所に受け皿みたいなものがあった。
 ところが今はそういうものが全くと言っていいほど消え失せてしまった。それが多分少年犯罪、むしゃくしゃしてやったという、気持ちを抑えられないで犯罪に走ってしまう一つの要因になっているのではないかということを話されたことがありました。私はそれが非常に印象的です。女性ですけれども、その気持ちというのは何か分かるような気持ちがしました。だれでもそうですけれども、どこかでストレスを発散しなければなかなか自分の中ではそれを押し殺していても、どこかで発散する場所を作りたいと思うことがあります。
 私は今深夜に番組をやっているのですけれども、やはり新橋で一杯ちょっと引っ掛けて飲みたくなるおじさんの気持ちというのは何か分かりますものね。よく「異論反論!オブジェクション」というNEWS23で企画が毎週1回ぐらいあるのですが、大抵どこに行くかというと北区の十条商店街と言う所に行って、主婦の方とか商店のおばさんに話を聞くというのが通例です。夕方になるとどこへ行くかというと、新橋の駅前のあの飲み屋街に行ってちょっとほろ酔い加減の、ときにはちょっと飲み過ぎたおじさんたちに話を聞くと本音が出てくるという、新橋というのはそういう場所です。
 やはりみんな昼間抱えていたストレスをどこかで発散して、また翌日の朝気持ち良く起きたいという気持ちはあります。私もなかなか毎日とはいかないのですけれども、やはり番組が終わったあとというのは本当にいろいろなものがたまっているという感じがします。特にここのところはそういう本当に悲惨な事件とか事故が多くて、しかもそれを大抵ニュースというのは1分とか1分20秒ぐらいが一つの項目なのですが、それを次から次にそれこそ感情もないままにというか、一つのニュースにもちろん例えば幼児虐待とかそういうニュースがあると、それこそ沈うつな気持ちになってしまうのですけれども、それを抱え込んでいくと次のニュースに移れないので、それを断ち切るようにして次のニュース項目を読まざるを得ないということが続くと、ものすごくたまるのです。
 そういうときはスタッフのみんなで夜中12時からスタートして飲みに行ったりあるいは歌を歌いに行ったり、そういう場でやはり日々発散していないとなかなか翌日が迎えられないということがあります。多分皆さんもそうだと思うのですけれども、みんなやはりそうだと思うのです。そういう爆発しそうな気持ちをどこかで置いてきたい、どこかで自分の気持ちをすっと平穏に戻して日常に戻りたい。それは子供から老年になろうが、年齢関係なく、しかも性差も関係なくそういうものだと思うのです。
 だからスポーツに限って言うと、少年たちがかつては持っていたそういう場所とか受け皿みたいなものが、どんどんそぎ取られているということだろうと思うのです。言ってみればやり場がない気持ち、それから行き場のないわが身とか居場所のなさとか、多分そういうものをみんながいろいろなかたちで感じているのが今のこの日本の社会ではないかと思います。少年犯罪が増えているというのが一つです。







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