日本財団 図書館


4 地域活動・放課後児童の保育についての実践例
老人との交流
 ショートステイは保育園ができた後、間もなく開所しました。最初、年長児が午後の時間に遊びに行きました。子どもたちのおじいちゃん、おばあちゃんはまだまだ元気でお仕事をしている方も多く子育てにも参加してくれている方が多いのです。ところが、ショートステイにいるお年寄りは車椅子に乗っていたり、中にはベッドのままで鼻にチューブを入れている方もいます。その様子を見てはじめはびっくりしたようでした。お話もなかなか通じないようでした。そして、歌を歌ったりお遊戯を見せたりした後に保育園で作ったいろいろな作品をプレゼントしました。そのときに、一人一人のおじいちゃんおばあちゃんに直接渡しにいきます。握手をしたり、頭をなでられたりしているうちに、子どもたちの顔が和んできました。それからは遊びに行くのが楽しみになりました。
 ケアプラザは保育園より1年遅れて開所しました。そちらでは折り紙などを用意していっしょに折ったり、お手玉をしたりして触れ合います。七夕やクリスマスなどには招待していただき、衣装を着けて劇を見ていただいたりすることもあります。おばあちゃんが、手をたたきながら涙を流し始めました。いっしょに歌を歌っているのですが、うまく口が動かないようです。そして、子どもが近づいていくと満面の笑みを浮かべました。子どもたちともとてもうれしそうにいろいろなおじいちゃんおばあちゃんと話をしています。
 1ヶ月に1度、カレンダーを作り届けに行きます。午前中はいろいろなプログラムがあるようなので、行くのはお昼寝をしない年長児が中心になります。時々行く4歳児は「いいな。たいよう組(年長児)さんはいつも行けて」と言って、年長になるのを心待ちにしています。
 また、今年は敬老の日の近くに地域の敬老会の集いからも招待されました。保育園での敬老会で披露した鍵盤ハーモニカと歌を行いました。その後、紙芝居のおじいさんがいて、昔の紙芝居屋さんのように駄菓子を配ってくれて紙芝居を見せていただきました。いつも聞いている保育士の読み方とは違い、迫力のある読み方でびっくりしている様子が伺えました。
 
子育て支援サークル「きららっこクラブ」
 地域の親子の子育てサークルとして「きららっこクラブ」という名前をつけて活動を始めました。まず、出席カードにシールを貼り、名札をつけてホールに入室します。そして、用意されている玩具を使いそれぞれの場所で遊び始めます。お母さんはいっしょに遊んでいる人もいるし、見守っている人もいます。また、親しくなったお母さん同士でお話をしている人もいます。保育士は3名担当し、子どもといっしょに遊びます。ものの取り合いなどのトラブルがあるとそっと入っていきます。子どもへのことばがけや対応を目の前で見ていただきたいとの気持ちからです。ホールの隣には1歳児の部屋があります。そこには窓があるので、そこでの様子を見ることもできます。食事の様子などはおうちでの様子とはずいぶん違うようで驚かれます。しばらく遊んだ後、ランチルームでおやつを食べます。おやつを食べる前に、子どもといっしょに手を洗って準備をすることを見せて、いっしょに行ってもらいます。お母さんもいっしょにおやつです。お片づけもいっしょにやってもらいます。
 その後、もう一度室内遊びをしますが、その時お母さんたちには集まってもらってテーマに沿ったお話をします。内容は具体的にすぐにできること、着脱などの保育園でのやり方を披露したりします。また、毎週最後に書いていただいているアンケートでの質問やご相談に答えることもあります。その時子どもたちは保育士や友達と遊んでいることもありますし、中にはお母さんのひざの上にいる子どももいます。その後は玩具を片付けて少し体を動かします。手遊びや簡単な体操をし、お話を聞きます。紙芝居、パネルシアター、エプロンシアターなどその日によって保育士が用意します。その間におかあさんはアンケートを記入してもらいます。そして、最後は園庭に出て遊びます。そのときに保護者の方個別にお話しする機会になります。いろいろな悩み事などをお聞きするのもそんなときです。きららっこクラブでは幼稚園へ入園のことについての相談もあるようです。希望者が増え、現在はキャンセル待ちをしてもらっています。でも、4月の切り替え時期まで待ってもらうことになってしまいます。今年は、昨年からずっとキャンセル待ちをしていて参加できることになったときはお子さんが幼稚園に入園したという方がいて、現在はお母さまひとりで参加されています。
 
放課後児童の保育「学童みどり組」
 放課後小学生を預かり始めると、1年目に子どもたちは自分たちのクラス名がほしいと言ってきました。そして、みんなで考えて決めたのが「みどり組」でした。その後、学校の校歌を参考にしたのか、みどり組の歌まで作って聞かせてくれました。
 みどり組は、はまっ子ふれあいスクールを16時に帰ってきてから始まります。帰ってくると、ランチルームでおやつを食べます。おやつは園児のものと同じものを用意しておきます。調理室の前で調理員の人と話をしながら食べています。園にいたときのように食器を片付けてごちそうさまをします。
 その後、園文庫から本を選んで読み、感想を自分なりに書いて先生に見てもらいます。そして、その日の課題の内容又は学校の宿題を行います。3人とはいえやはり内容は子どもによって違ってきます。時間があれば園庭や室内で園児といっしょに遊びます。在園したときから続きになっているお仕事をしていることもあります。
 字が読めるようになってからは、6時からお迎えを待っている園児たちに紙芝居を順番に読んでくれるようになりました。また、遅くなるときは、延長保育の時間内であれば園児といっしょにおやつや軽食を食べながら預かることも可能でした。
 夏休みは、はまっ子ふれあいスクールは9:00〜12:00、13:00〜18:00のように午前、午後の時間あるのですが、お昼の食事は家に帰って食べなければなりませんでした。そこで、朝はいったんお弁当を持って保育園に登園し、8時45分ぐらいに保育園を出て学校に行きます。そして12時には帰ってきて、保育園で預かっていたお弁当を食べ、そのまま保護者の方が迎えに来るまで保育園ですごすというように行いました。後半、主任が保育との両立が難しくなり専門の職員を雇いました。
 次の年は男児1名の希望がありました。4人なら、以前のペースのまま行えるのではと思いそのままの状態で継続しました。しかし、体が大きくなり、男児2名になったので、遊びが園児とは異なってきました。ランチルームや室内で過ごしているときに園児とぶつかってしまったり、安全の面での心配が出てきました。
 さらに平成14年度は希望者が10名を超え、最初に預かった子どもも3年生になりました。3年生では学童保育が必要な年齢ではありますが、近くに祖父母がいたり、兄弟がいるということで、最初にお願いした2年生までとの約束どおり卒業してもらいました。それでも、2年生になる男児1名と新1年生10人程度の希望者がいました。引き続き保育園内で学童をするということを検討していましたが、園内に場所がないということでなかなか難しいことでした。
 幸い近くにYMCAマナ保育園があります。平成13年に横浜保育室から認可された保育園です。認可される前はその園内で学童保育や育児支援を行うということを考えていたようですが、待機児童解消のために認可されたときに、スペースの全てを保育園として使用することになったため不可能になったのです。保護者の中にはその学童保育に期待を寄せている人もいたと思います。そろそろ卒園児も増えていて学童の要望も出てきたようでした。また、他の地域で学童立ち上げに立ち会ったことのある園長先生でしたので、協力をお願いし、話し合いに出席していただきました。
 YMCAは横浜市内で学童を行っている実績もあります。きらら保育園とは徒歩5分圏内にあります。協力を求めるにはうってつけでしたが、その場では具体的な対策までは話し合えませんでした。
 学童保育は制度的に父母会が中心になり行うものだということでその後、保護者の方も独自で話し合いを設けたりしていました。
 年が明け、いよいよどのように行っていくかを具体化しなければならない時期になりましたが、園内では専用のスペースが取れないため拠点がなく不安定であること。また、他の園児との接触においての安全性を考えると、園外の施設を考えるしかなくなりました。都市公団の賃貸マンションで空いている部屋があるということで聞いてもらいましたが、やはり学童目的では貸すことができないとの事でした。
 小学校は住宅地の中にあります。その中の1軒広めの家を借りることが可能になりました。1階部分を使って10数名の子どもが過ごすことができる広さでした。住宅地の中なので、住宅協定もあり学童保育という目的だけで使用することは難しかったのですが、お聞きすると、住宅として使用しながら一部を子どもたちが使用することは何とか大丈夫なようでした。学校からはとても近く、はまっ子ふれあいスクールの後に子どもだけで来ることが可能でしたので、平成15年度はそこで行うことにしました。
 保護者の方がみんなでお掃除をして、必要な家具をお父さんたちが組み立ててくれたりして部屋を整えました。また、モンテッソーリのお仕事ができるように環境を整え、保育園でやりきれなかった事の続きを行えるようにしました。兄弟が保育園に通っている方も多かったので、6時30分には保育園に移動することにしてお迎えの時間を短縮できるようにしました。6時ごろまでは直接迎えに来る方もいらっしゃいます。保育園でやっていたカワイのピアノ教室も週に1回、小学生は引き続きみどり組で行うことにしました。
 最初のお子さんは2年生までとのお約束だったので、3年生になり通わなくなったのですが、はまっ子スクールからみどり組までの移動が心配だったのか、4月当初は毎日、みどり組の子どもたちを集めて送ってくれました。子ども同士でそんなことまでできるようになったのかと感激しました。
 場所が変わりましたので、内容も少し変わりました。みどり組の家に来ると、まずおやつの用意をして食べます。その後はお当番の人が食器を洗って食器棚にしまうところまで行います。週3日は、以前と同じように本を読んだり宿題をしたり、その日の課題に取り組みます。週1日はピアノ教室が並行して行われているので、おやつの後はそれぞれのお仕事をしています。ピアノ教室に通っている子、学区が違うため他の学童に通っている子、お母さんが家にいるので普段は来ない子が、何人かその日だけ参加しています。保育園ではできなかったことが少人数でできるので、とても楽しく行っているようです。また、あとの1日は保育園の運動の先生が来てくれ、いろいろな遊びを提供してくれます。時には近くの公園に行くこともあります。
 何とか、新しい環境の中で落ち着いて過ごせるようになった頃、次の年長児が来年度のことについて相談に来ました。調べてみると希望者は10数名います。合計20名以上を預かることが可能かどうか検討しました。住宅協定のある住宅地の中での事業としては、なかなか難しいということを感じました。特に近隣からの苦情はなかったのですが、小学校では騒音苦情の為、朝礼を控えている地域だとの事でした。また、学童保育としての機能を行うには保育園の片手間の対応では無理になってきます。責任を持ってくれる人に委託して行う必要性を感じました。やはり人数も増えてきてニーズが確定してきたので、制度としてある「横浜市放課後児童健全育成事業」の「放課後児童クラブ」として運営委員会を設け、委託料を申請して行うことが必要だと思いました。保護者の方には保育園として今の状態で可能なこと、不可能なことをお話しし、保護者の方が学童として望む8時までの保育を含めた全てのニーズに応えていくことが難しいことをお話しました。最終的に学童立ち上げができない場合は、保育園と行き来しながら1年間乗り切っていくことになるかもしれないと考えながら保護者に委ねました。
 7月に、保護者の方は活発な行動をし始めました。有志が集まり、能見台地区で学童を含めた子育てを考える「ビーコンヒル能見台子育て支援を考える会」を立ち上げました。
 横浜市役所、金沢区役所の方もお呼びして、地区の市会議員も加わり意見交換が行われました。現状や横浜市の学童の歴史などをお聞きしました。
 その中で、横浜市の学童が昭和38年に10区で10校の学校で始まったというお話に思い当たることがありました。それは私自身が小学校に通っている頃で、教室の一部屋が学童になったのです。私の母はその頃には珍しく仕事をしていましたので、そこにお世話になることになりました。小学校2年ぐらいのことだったのでしょうか。その頃、母親が働いていて家庭にいないというのはごく少数でした。それまでは学童がなかったので近所の方々に世話になりながら過ごしていました。泣いていると隣の人がお菓子を持ってきてくれたり、垣根越しに呼んでくれて踊りを教えてもらったり、お友達の家でまるでそこの子どものようにいっしょに過ごしたりしていました。ですから、親しい友達がいない学童の方はむしろ私にとって楽しいところではありませんでした。束縛される場所だとしか感じなかったのです。そんなことの思いが、今まで学童を前向きに考えられなくしていたかもしれません。これからの学童保育室は、子どもにとって過ごしやすく行きたくなるような魅力ある場所であってほしいと再度思いました。現在、学校内で行っている学童保育は横浜市内にはありません。今回のケースのように保護者の方が困って場所を確保し、人を雇い子どもを見てもらうというように自然発生的にできたものに委託料が出されるようになったようです。
 はまっ子ふれあいスクールは、趣旨が学童とは違うということで今までは学童ではないということを強調していました。しかし、実態は、働いている保護者が子どもを見ることができないときに対応していることがあるので、再考したいというようなことも市の職員は話していました。
 7月には、能見台地区学童設立案が作成されました。民間の賃貸の事務所や店舗を探しながら、ビーコンヒルに新しくできるマンションの集会所を使わせてもらえないかと交渉をしていきました。本来は、毎日同じ団体に貸すというのは目的とは違うようですが、ビーコンヒルには集会所が多く、稼働率が少ない現状があるということで特別認めていただけたようです。集会所はビーコンヒル内で、駅からも学校からもそして2つの保育園からも近いという理想的な立地条件でした。
 運営に関しては保育園へ委託したい旨、相談がありました。現在は、組織も大きいYMCAが中心になり運営を請負い、きらら保育園は協力という形で関わるという話が進んでいます。横浜市の放課後児童健全育成事業委託制度の委託料を受けるように手続きを進めています。それにより、少なくとも指導員の人件費は確保することができます。
 その中で、きらら保育園でのみどり組はどうなるのか、という質問がありました。このままの状態で通い続けたいという方が何人かいます。緊急避難的な事業だったので、学童ができれば必要はなくなります。ただ、新しい形で卒園児のフォローして関わっていけないかと思案中です。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION