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―談話室―
光陰“虫”の如し
 先年の晩秋のいつものスポーツクラブ。着替え室のロッカーの前で、風呂から上がり、さあ我が寓居へご帰還と、いつもの手順で、着替えに着手しようとした時のこと。
 先週末は本宅(?)に帰らなかったため、久し振りに自分でお洗濯、その洗濯仕立てのパンツ(品がなくて、恐縮)を穿こうと振った矢先、こげ茶色した小さな固まりがポトンと落下。「糸くずの固まりかな、ハギレかな」と、何気なしに覗き込んだ。何と、その固まりは「強烈なニオイ」を発する我が寓居にいる同居人が、ウズくまっているのではありませんか。紛れもなく、自分のパンツの中からのもの。動揺が走り、慌てて辺りをキョロキョロ。幸い、誰もいなかった。それは、我が寓居の同居人の一人(匹)のカメムシくん。チョット刺激すると、強烈なニオイを発する。人間様のように「音」は立てない。いわゆるスカシ。
 防虫剤のメーカーのホームページには、「害虫界の鼻つまみモノ」とか、「ニオイの爆弾」とかの文字が飛ぶ。他のホームページに拠れば、晩秋に発生する「不快害虫」と、レッテル。ティッシュペーパーか雑巾がないかと、探した。我がリュックの中を捜しているうちに、更に大きなリュックをもった若者が登場し、それこそ無造作に「ドサッ」とカメムシくんのいる辺りに投げ置いた。「そこに、カメムシがいます」と言うべきと考えはしたが、結局、言いそびれた。くれぐれも「ニオイ起こすな」と祈念しながら、現状をムシし、その場を何食わぬ顔で、退散。「クラブの利用者の皆さんやクラブの方々に、申し訳ない」と持ち込んだ後ろめたさと「あの同居人は、何処に」との感傷に浸りながら、我が家に向かった。
 さて、そんな同居人のいる我が家は、谷あいの樹々に囲まれた自然の豊かな処に、所在。ウグイスやメジロの声で春の訪れを感じ、そのうちいろいろな虫たちが闖入。同居人も季節の移り変わりに応じ、いろいろと入れ替わる。虫などを極端に忌み嫌う方がおられるので詳細は避けるが、秋の声を聞き、周りの樹々が色づき始め、少し涼しくなって来ると、カメムシとテントウムシが暖を求めて飛来して闖入して来る。勿論、ベランダで敢え無く凍死(?)しているものもいる。テントウムシは、二〜三匹なら可愛いもんだが・・・。カメムシとなると、スカシには閉口。「屁のカッパ」とも、言っていられない。今年は、「来ないかな」と思っていたが、やっぱり到来。こうして、このシーズンが終わると、本格的な冬の到来、師走そして新年を迎える。
 この地での年末・年始は、三度目。本当に早い。カメムシに始めてお会いしたのは、昨日のように覚える。「一年も、歳毎に早く感ずる」との会話は、中高年の間で、よく登場。若かりし頃は全然理解できなかったが、歳を重ねる毎に実感。「先が見えて来たからか」と、少々寂しい。
 「そうだ。そんな感傷に耽っている余裕はない筈。今年(注:この拙稿を書いているのは、平成十五年十一月下旬)の正月明けに死亡した母親の“喪中ハガキ”を、早く出さなくては・・・」と、我に帰る。出すに当たり、住所録の整理が必要。この作業も、例年より一ケ月も早く、「前倒し」。その整理も終わり、宛名書きに着手。「味気ない」とのソシリを覚悟しながら、パソコンによる印刷で失礼した。お陰で、投函までのかなり時間も、かなり短縮させて貰った。そんな作業中にも、年末・年始の行事や忘年会の日取りが、次々とセットされる。お陰と、一年の早さへの実感も、益々加速。
 先年は、自分の周りの仕事や私事に、国の内外に、「ほんとに、いろいろなことが、ありましたあ!」。故郷の母親の死は「歳と言えば、止むを得ない」が、まさかの出来事だった。未だに、気持ちの整理が完全ではない。車での接触事故も、二回も経験。二つの事故で、加害者やら被害者を演じた。また、国の内外に転ずれば、イラク問題、北朝鮮を巡る問題、パレスチナ問題、新型肺炎、各地のテロ事件、衆院選、道路公団の話し、中・高校生殺人事件や尊属殺人等の残虐な事件等々、大きな出来事がメジロ押し。新聞・テレビなどからは、暗い話しばかり。「コンナこの世に誰がしたあ♪」と慨嘆。次々と起こる出来事は、前に起きた出来事の記憶を駆逐。怖ろしきことは、9・11事件以来、少々のことでは驚かなくなっている。そんな中、ゴジラ松井の大リーグでの活躍には、スカッとした。
 「てな調子」で、先年の一年を、カメムシで驚いて見ました。今年は、中高年の皆様を、過激に刺激しないようにお願いしたいと思います。併せて、皆様方にとりまして、今年は良い年で有りますように、お祈りしております。
(S・O)19
 
 
 
「ないから自分たちでつくる」これがNPOの魅力
 
 
子育て環境研究所代表 杉山千佳
子育てをしながら知る「地域」の存在
 私事ですが、妊娠を機に仕事を辞め、子育てと家事に専念するようになった時、「○×会社勤務 杉山」といった肩書きがなくなり、「世間」、こいう大海原にポツンとひとり、手ぶらで放り出されたような、なんともいえない心細い気持ちを持ったことを今でもよく覚えています。学校卒業後、会社という組織に属してある程度仕事のおもしろさ、大変さも知った女性たちが出産を機に専業主婦になるとき、多かれ少なかれこうした経験をするのではないでしょうか。
 そして、仕事をしていたときとはまったく違う生活リズムで過ごすことを余儀なくされ、「こんなはずでは・・・」といった戸惑いとともに、「社会にはこんな一面もあったのか!」と、目からうろこが落ちる瞬間がたくさんあるのです。例えば、「駅に向かう道に、こんなに大きな赤ちゃんとのお散歩にはもってこいのこんな大きな公園があったなんて気がつかなかった。季節ごとに花が欠かさず咲いているけど、手入れをしているのは誰だろう?」とか、「今までは歩道の狭さや段差の多さ、階段の多さを気にしたことはなかったけれど、これでは赤ちゃん連れで買い物にも出られない!高齢者や障害を持った方たちのご苦労が初めてわかった」とか、「ところで、子連れの人は日中どこに出かけているんだろう?」とか。こんな経験や発見を重ねていくなかで、自分たちが住んでいる「地域」というものを改めて、実感を持って考え直すようになるのだと思います。
 私の場合は、「せっかく自分たちの住む地域で子育てを楽しみたいと思っているのに、そもそも子連れのための情報が不足している!」と痛感し、子育てママの仲間とグループをつくり、子連れにお勧めの公園や施設、お店、レストラン、託児付きの施設などの情報を取材・執筆して出版社を通じてガイド本を発行するという作業を行いました。
 この頃、全国各地のお母さんたちが同じように自分たちの地域の子育て情報の足りなさにもどかしい思いをし、「ないなら自分たちでつくる。自分たちが足で稼いで、『ここならおすすめ』という施設やお店を紹介する情報誌を出し、次の子育て中の人たちにも役立ててもらう」と思い、自費出版だったり地元の出版社と提携したり、かたちは様々ですが、いわゆる子育て中の親たちが必要とする情報を集めた「子連れマップ」を発行していました。
 
 NPOというかたちで地域に関わる
 
 そうした情報誌を核に、親子連れのイベントや託児付きの講座など読者のニーズを探りながら新しい企画を次々と事業化して展開していくNPO法人があります。代表的な団体は、神奈川県川崎市で活動中のNPO法人 ままとんきっず(※)や、香川県のNPO法人わははネット(※)など。彼女たちが発行する情報誌は当事者の母親ならではの視点で編集されており、ただ「子連れで行ける場です」と紹介するのではなく、どこがいいか、なぜいいかといった点がきちんと押さえられています。おかげで情報にうるさい今どきのお母さんたちからも、「こういうのがほしかったんです!」といった熱い支持を受けているとか。
 また、情報誌以外の企画も、専用電話を開設しての定期的な子育ての電話相談や子育てサロンなど、母親たちが気軽に利用できるものが多いようです(ままとんきっず)。公共の会場を借りたりして行う家族向けイベントなども、「パパとキッズの料理教室」や「転勤家族のウェルカムパーティー」など、親も子も楽しめる内容になっています(わははネット)。
 
保育園や行政の行う子育て支援とどこが違うのか?
 こうしたNPOが行う子育て支援と、保育園や子育て支援センターや児童館など行政機関が行う子育て支援はいったいどこが違うのでしょうか。様々な母体の様々な活動を取材してきた経験からすると、「内容的な違い」と、「事業運営の違い」の両面から言えることがあるように思います。
 「内容的な違い」というのは、「目線の違い」と言い換えることもできるかもしれません。NPOで行う子育て支援は「母親と同じ目線」を重要視します。「支援する側」「される側」をできるだけ作らないで、初めて参加した親子であっても、できるだけ積極的に「参画」していってほしいといった願いを持っています。一方、保育園など専門家が行う子育て支援は、「育児に困っているお母さんを支援する」目的で始められていますから、「支援者(専門家)の目線」での対応になり、「支援する側」、「される側」を作ってしまう傾向があります。
 NPOの掲げる「みんなでつくる活動」は、金銭でサービスを買うことに慣れている今どきの親には最初はなかなか理解してもらいづらいようです。主体者となって積極的に参加していくと、決まったプログラムを受身でこなすときとはまた別のおもしろさを実感するようになるのですが、そこにたどり着くまでが長く、自分たちの活動目的や考え方を知ってもらうことに心を砕くNPOが多いのも事実です。
 一方、保育園や行政で行う場合は、施設も人材もそろっていますから、親子も参加しやすいのですが、「やってくれて当たり前」といった意識で来られる方も中にはいて、「どこまで支援していいのか」と対応に悩むスタッフのお話を聞くことがあります。
 どちらがよいかというよりも、親子によって状況は違いますから、対象の親子や支援の考え方を明確にして、広く情報公開し、参加してくれる親子とともに考えていくことが大事なのではないかと思います。
 
事業のあり方もずいぶん違う
 次に事業の進め方についてみてみましょう。介護保険制度のある高齢者福祉分野と違って、子どもの分野のNPOの場合、その事業規模はまだまだ小さく、活動内容も小ぶりという印象は否めません。それゆえに、今は、必要性を感じたら、「これやってみたいね」「やろうか!」と、お金がなくても意欲でなんとかできてしまう。この起動力は魅力ですが、参加者の熱意や意欲に頼る部分が多くなると、計画性がない、持続しづらいといった弊害も生まれてしまいます。
 私個人としては、子育て支援という今まであまり手をつけられてこなかった分野に乗り出し、市民の発想でパワフルに活動を展開しているNPOには大きな期待を持ってはいるものの、一定の質を確保しての継続性を考えると、やはり今までどおりのやり方で続けていくのは難しいのではないか、ある程度経営感覚や戦略を練っていくことも必要ではないか・・・と思います。一方、NPOに比べると、資金も人材も設備もあるのに、子育て支援に関してはNPOよりもやや出遅れた感のある保育園等の既存の子育て関連施設には、「NPOでここまでできるのだから、もうちょっとがんばってほしい」と、思うこともあります。
 まずは、NPOも保育園も自分たちの殻に閉じこもらず、お互いが同じ地域のなかで何を目的に何をやっているのかを理解しあい、交流していくことが大事ではないでしょうか。地域の親子から「昨日はNPOのサロンに参加したんです」と話が出たとき、「何それ。知らないわ」といった反応ではなく、「あそこの代表の○○さんとはよく話をするのよ。今度、合同で親子コンサートの企画もあるからぜひ来て」といった話が出ると、“まさしく地域ぐるみ”で子育ての応援をしていることがダイレクトに伝わっていくと思います。
 NPOも行政も保育園もお互いのよさ、違いを認めつつ、補い合って、地域の子育て環境をよくしていく。これがこれからの子育て支援の進め方ではないでしょうか。
(※)NPO法人 ままとんきっず
(※)NPO法人 わははネット
 
 
 
次世代へ受け継がれていく子育て支援を(育ち行く子らへ)
 平塚らいてうと共に、「新しい女」で有名になった富本一枝の育児記録の中にこのような語りがあります。
 『私たちは心を一つにして、いつも少しの隙もなく陽ちゃん(富本一枝の長女)を見守ってゆかねばなりません。よく世間で、「生まれたときからの性質」だと言って、子どもの非をかばう人がありますが、子どもは最初にあっては全て美しく、まろやかで、尊い透明なものであります。育てが第一です。親が絶対の責任者で有らなければなりません。』
 子どもとは、このように愛しいものです。何も持たない無垢な子を愛しみ大切に育て行くことが、父であり母であり、保育士である私たちなのです。子育ての第一は両親でありますが、現在それを担う役目は保育園にあるのではないでしょうか。
 
保護者の現状と支援対策の現状
 「園長先生、Mちゃんが三十九度、発熱しています。すぐに保護者に連絡します。」息せき切って保育士が事務室に駆け込んできました。保護者に連絡すると、「今、忙しいんです。もうすぐ終業時間なんで、それから迎えに行きます。」という返事。終業時間?時計を見るとあと一時間以上もあるのに・・・。と思いつつ、Mちゃんを保健室で横にさせ、看護士が処置をして、ずっと様子を見守っていました。約束の時間より三十分遅れ、「すみません、どうですか。」と母親がやっとのお迎え。子どもの状態を説明し、Mちゃんを渡しました。帰り際に母親は「仕事が休めないんです。明日病院へ行って熱が下がったら連れてきます。」と言って帰宅しました。
 次世代育成支援対策によって、企業も子育て支援の環境作りをするようになりつつあります。育児休業制度の問題も大切ですが、子どもが病気になったとき、帰宅して看護するなど女性にとって働きやすい職場を作ることも必要ではないでしょうか。入所を希望する保護者によると、求職で面接の折に、「病気のときは誰が見るのですか?」「保育所が決まらないと雇用できません。」と言われてしまうことがあるようです。働きたいけど働けない現状があります。
 本来は子どもが集団生活を必要になるまで、家庭で子育てをすることが望ましいと思いますが、現在はそれも大変なようです。保護者の集まりの中で、「子どもはゆとりをもって育てたいけど、仕事をもちながらでは毎日がたいへん。」「仕事をしないと生活ができない。」「家のローン、教育費のことを考えると深刻になる。」「保育料が高い。」など、様々な本音が出てきます。こうしたことから、私たち保育者は、保育園で預かっているときは精一杯頑張っています。しかし、家庭の中までの支援については少し考えさせられてしまいます。家に帰ればお母さんが「お帰り」と言い、家族全員で食卓を囲むことは夢なのでしょうか。
 
次世代へ続く保育所
 以前、保育園の会合で、少年犯罪についての責任は我々保育士にもあるのではないだろうか、と言う意見がありました。確かに一番大切な乳幼児期に、預かり育てる我々は責任が重大です。しかし、犯罪イコール保育所ということは飛躍しすぎの感があります。
 私の保育園では、子育て支援の一環として毎年二回、地元の中学生・高校生と触れ合い会を実施しています。毎年やってくる子どもの中には卒園児もいます。今年やってきた卒園児が「先生、年長さんの時、鼓隊の太鼓が上手に叩けんで泣いたなあ。でも上手にできたとき先生が、ほめてくれたのがすごく嬉しかったよ。辛いとき、そのことを思い出したら元気が出るんだよね。」そんなことを言ってくれました。私より背丈が高い子どもたちが、今は小さな園児に一生懸命話しかけたり、楽しそうに園庭で遊んでいます。一方では赤ちゃんのオムツを替えているなど、生き生きとしている中高生がいます。多分こうした機会がなければ、乳幼児と接することなく親になってしまう人もいるでしょう。保育園として、もっと門を広げ触れ合いの場を積極的に提供することも大切だと思います。
 大学一年生のU君、高校一年生のとき少し親御さんを心配させた時期がありました。ある日ふっと保育園にやってきて、「ちょっと、保育室で遊んできていい。」と言って、二歳児の部屋に入っていきました。一時間ほどして、「楽しかったから、明日も来ていい。」それから毎日、試験の日以外は高校が終わればやってきて、保育の手伝いをしてくれました。そして、ある日突然、「僕、保育士になろうと思う。」と言い出しました。その頃U君は、親子の関係、会話も多くなってきたようでした。私もつい嬉しくなって「がんばれ!応援するよ。」という言葉が出てしまいました。彼は現在、県外の大学で保育を学んでいます。休みのたびに保育園に帰ってきます。私は彼をいつも「お帰り、U君」と言う気持ちで迎えています。
 保育園を卒園したときは遠い昔。しかし、ふと保育園時代を振り返るときがあるのではないでしょうか。小さかった子どもに返りたいときがあるのではないでしょうか。そんな時、保育園は喜んで手を広げ、受け止めていきたいものです。
 
育ち行く子らへと親育ち
 子どもにとっては「苦難の時代」と言うことを聞いたことがあります。確かに我々が育った時代に比べ、今日のことが明日になれば二・三年前のように感じられる時の流れがあります。ついこの前まではテレビゲームは小学生と思っていたら、今は保育園の年少組みの子どもが夢中になっています。外に出たがらない、季節を感じない子どもも増えています。
 私たちは子どもが丈夫に育つことの祈り、そして感謝などから、ひなまつり、五月の節句、七五三など日本古来から伝統のようにしてきています。私たち生活する大地を築き上げてくれた祖先への感謝、秋の収穫の感謝などの春秋には地域行事もあります。保育園においても七夕、落ち葉ひろい・やきいも、もちつき会など季節の行事を通じ、保護者も一緒に参加して自然をもっと知らせる必要があります。現在は家庭の状況や子どもの状態も複雑ですが、理解してきめ細かく、保育士自身もゆとりを持って心の保育、真心の保育を大切に持ち続けたいと思っています。
 そして保護者に対しても、細やかな心配りが必要です。いろいろな事情を抱えている保護者が年々増えています。自分の親族には相談できないことを保育園に相談に来ることもあります。相談相手はフリーである主任が対応としていましたが、クラスの担任を希望する保護者もいます。私の保育園では、そうしたことから職員全員が相談相手になれるよう、職員間のコミュニケーションを大切にして相互の向上ができるように心がけています。親支援もこれから重要な課題ではないでしょうか。
 保育園が地域に門を開くようになり、保護者の問題も地域へと広がりつつあります。開放保育の中で、参加する親子で必ずと言っていいほど、親が友達や相談相手を求めています。保育士との話題は、子育てから家庭の深刻な問題も有ります。これからの保育園は、子どもを見守りながら親育ちの手伝いも役割として必要になってきます。核家族が当たり前になっている現在、我々保育者が祖父母の役目や近所のおじさん・おばさん、又は友人役をしなければならない時もあることでしょう。
 
 全国の大人の全てが子どもたちの育ちに関心を持ち、関わることができれば豊かな社会、未来を築くことになると思います。これが子育ての社会化ということです。その一歩として、子どもたちの一番身近な存在である全ての母は、我が子の生まれた日の喜びを思い出し、全ての父は、始めて我が子を抱いた日を思い出してほしいものです。
(人材部会 三木)
 
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