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―子どもの健康を考える(11)―
冬の環境(健康)と保育
全国保育園保健師看護師連絡会 高橋 洋子
 
はじめに
 乳幼児は月齢が小さいほど免疫・抵抗力に弱く体温調節機能が未熟で、環境条件の影響を受けやすく、疾病をまねく恐れがあります。子どもの生理発達の特徴を正しく把握し、適切な対応がとても大切です。そのためには、冬の感染症の予防と病気の早期発見・早期発見早期治療に努め、日々健康増進を図り清潔で心地よい環境とすることが必要です。また、保育者自身が感染源とならないよう衛生観念を身につけ、個人の健康管理にも留意することが非常に大切です。
 
1 清潔な環境
 集団保育で一番問題になるのが、風邪の感染予防ということです。ウイルスや細菌等は室内に浮遊している細かい塵やほこりに付着して運ばれ、それが子どもや保育者の手から口へ、鼻へ、喉へと付着することで感染が起こります。ですから、ほこりや病原体を除去して、清潔な環境を維持していくには、換気や掃除が大切です。
 保育室の空気は、自然に少しずつ入れかわっていますが、建物の機密性が高くなっていますので、暖房中の換気は、一時間に一回三〜四分位窓を開放して新鮮な空気を取り入れる配慮が必要ですが、空気清浄機などの換気装置の設置もいいでしょう。また、冬季の至適温度・湿度(17〜22℃・50〜60%)とし、10℃以上であることが望ましく、湿度は30%以下、80%以上にならないようにしましょう。最近はレジオネラ症も話題になっております。空調設備や加湿器を使う場合は、構造についても知っておくことが求められます。加湿器については、一日使い終わったら器内をきれいに掃除して乾燥させます。そして、水は毎日交換することが大切です。
 
2 健康習慣の充実
 身体の清潔を図り、子どもの健康維持・増進に向けた健康習慣の樹立が必要となります。新陳代謝の旺盛な乳幼児は、大人と異なって基礎代謝量が高いため体熱の放散を妨げず、皮膚・神経を刺激し体温調節能力をのばすためにも厚着はしないようにしましょう。もちろん環境温度の変化や遊びなどの活動状況に対応して、衣服の調整することが大切です。またこの時期、寒さで戸外遊びが少なくならないよう、体を十分に動かして遊ぶ機会を多く持ち、基礎的な運動機能の発達を促す競技やリズムダンスを発達段階にあったものを選び、喜んで参加できるよう留意しましょう。戸外遊びの後は必ず、うがい・手洗いを促し習慣となるように指導していく必要があります。
 手は生活の中であらゆるものに触れるので、最も汚れるところです。多くの病気が手によって、人から人へ感染することは知られています。風邪も風邪ウイルスの手で目、鼻、口に触れることで感染します。うがい・手洗いは日常保育の中での習慣にしたいものです。手洗いには、液体石鹸が使いやすく、うがいには、番茶を使用すると「カテキン」が入っているので効果もあるようです。
 
3 健康状態の把握
 乳幼児の健康観察は、保育中に持続して行うことはいうまでもありません。観察の要点をふまえ保育が始まる前に行うことが望ましいといわれています。
(児童福祉施設最低基準参照)
 
【児童福祉施設最低基準より】
 
健康観察の必要性
◎保育所における保育の内容は、健康状態の観察、個別検査、自由遊び及び午睡の他、第13条に規定する健康診断を含むものとする。
◎健康状況の観察は、顔ぼう、体温、皮膚の異常の有無、及び清潔状態につき、毎日登所するときにこれを行う。
◎健康状態の観察及び、個別検査をおこなったときは、必要に応じ、適切な措置をとらなければならない。
 
 特に感染症疾患の流行期には、早期発見が必要となります。子どもは自分の体調を認識したり、それを言葉で表現するのが困難です。ちょっとした体調の変化でも、見逃さないようにしなくてはいけません。日々の健康観察、健康調査などを利用し、感染症発見の手がかりにします。又、子どもたちひとりひとりに触れてみることで、時として発熱等の早期発見につながります。又、感染症についての既往歴や予防接種についても事前に調査し、一覧表にしてすぐ対応できるよう準備しておきましょう。
(1)観察の要点
 一般状態及び外観については、次のような事項について観察することが望ましい
(1)元気があるかどうか
(2)顔色に異常がないかどうか(青いか、充血しているか)
(3)姿勢が悪いかどうか
(4)疲れていないか、疲れやすくないかどうか
(5)発熱はしていないかどうか
(6)咳き・鼻水はでていないかどうか
 
インフルエンザ SARS
症状
・38〜40℃の熱が3〜4日続く
・強い筋肉痛、関節痛がある
・強い頭痛がある
・かなり重い全身の痛みがある
症状
・38℃以上の発熱がある
・痰を伴わない咳きがある
・息切れがする
・呼吸困難がある
※SARSの流行している地域に10日以内に旅行した人です
 
4 職員の衛生管理
 乳幼児の健康と保育を考えるとき、まず保育者の健康管理が大切です。保育者自身の体調がよくなければ、よい保育はできないので自分自身で定期的に健康診断を受け、自己の健康管理をすると共に、インフルエンザワクチンの予防接種は、流行前に接種しておくといいでしょう(SARSとインフルエンザとは初期症状が類意しているので、感染症の判断のためにも乳幼児の保育に携わっている職員は、インフルエンザワクチンの予防接種の必要性があると考えます)。
 少し喉が痛いとか、咳が出るときなどは、飛末感染防止のため、必要に応じてマスクを使用し、うがいの励行に努めます。
 下痢をしている子どもの汚物処理時には、手袋の着用が必要で職員が感染源にならないように注意しましょう。
 
5 感染症の症状チェック
 毎年流行するインフルエンザと今年その成り行きが注目されるSARSの症状はこんなものがあります。
 感染症は自分だけでなく、他人にもうつしてしまう恐れがある病気です。
 上記の症状のある人は無理せず病院に行きましょう。
 
子育てアドバイザー養成講座
《初級》第10期受講生募集
 母親の悩みや不安を受け止められる「子育てアドバイザー」を養成する講座。母親の悩みの傾向や相談の聞き方、対処方法を妊娠期や子どもの成長過程に合わせて小児科、臨床心理士らの専門家が実技を含めながら演習、講義するカリキュラム。
初級・中級・上級修了者はテスト合格後、認定IDカードが交付される。
内容 第1回アドバイザーの使命と役割
第2回母体・胎児・乳幼児期
第3回思春期の問題行動と対応
第4回話しを聴くということ
第5回学童期の心身症など
第6回現代の母親の苦悩
日程 平成16年1/24、31 2/14、28 3/6、13 土曜日(全6回)
欠席分は補講可能(有料)
会場 日本薬学会 長井記念館
(渋谷駅より徒歩8分)
受講料金 22、000円(税込)
申込・問合せ先
NPO日本子育てアドバイザー協会
〒160-0002 渋谷区渋谷1・19・18・1103
Tel 03-3486-9351
Fax 03-3486-8527
Eメール info@kosodate.gr.jp
 
 
 
心の教育を考える
 文部科学省を中心に「心の教育」が叫ばれている。小中学校においては、今年、心の教育のために、道徳の教科書が新しく無料で全員に配布されている。そんな中で私たち乳幼児教育機関においても心の教育はどのようになされるべきか、改めて考えてみる必要があると思う。
 「三つ子の魂百までも」と言われるように、心の教育は乳幼児からすでに始まっているのである。もちろん、政治や経済のことも大切であるが、次世代を担っていく子どもたちの心がすさんでしまい、現在の子どもたちの非行や自殺といった問題、更には十年・二十年前まで子どもだった大人や大人になりかかっている世代が、今の子どもを標的に平気で事件を起こしている現状がある。子どもたちがいかに危うい状況に置かれているかは、誰の目にもある種の「おそろしさ」を持って受け止められているであろう。
 子どもたちを預かったり教育に携わっている私たち保育関係者、学校教育関係者、そして、家庭教育を担当している保護者は、当事者として切実な問題である。「自分の町ではないだろう」「田舎の町では起こるはずがない」と、軽く見過ごしたり、楽観視することはできない。今こそいったい何をしなければならないのか、真剣に考える必要がある。
 
情操の欠如
 ではいったいなぜ、忌まわしい少年犯罪・事件などが頻発しているのであろうか。様々な要因が絡み合っていると思われるが、その根本に「情操の欠如」があるように思われる。極端な例かもしれないが、「自分は透明な存在」、「自分がわからなくなった」という最近の事件当事者の言葉を考えると、心の育ちが明らかに異常をきたしているようである。少年期の子どもたちの心が、潤いをなくし、湿り気をすっかり失い、かさかさに乾ききって、ばらばらになってしまっている状況である。
 なぜそのような心に追い込んでしまったのだろうか。大人の中に根付いてしまった「エゴイズム」がその精神を砂漠化させ、人間関係を孤立化させてしまい、その冷たさがいつの間にか子どもの心に浸透してしまったのではないだろうか。それに加え、学校教育や家庭教育が知的偏重教育に陥って、人間教育、情操教育を軽視するといった方向に問題があったように思う。保育関係者においてはすでに何十年も前から子どもたちの心の育ちを問題にしてきた。今になって、文部科学省までが「豊かな心を育む教育」を声高に叫び始めている。現代の受験制度の中で、情操教育の難しさは年齢が進むほど生じる。今こそ、乳幼児期の心の育ちを大切にする、情報を育てることを改めて意識的に取り組むことが必要になってくる。更に、こうしたことを乳幼児教育に携わっている者が、保護者や社会にどのように伝えていくか、すぐにでも取り組む課題である。
 
情操とは
 ここで改めて「情操」とは何かと考えてみたい。広辞苑によると「感情のうち道徳的・芸術的・宗教的など社会的価値を持った複雑で高次なもの。ある一定の事物に対する持続的な感情傾向」とある。社会的価値を持った心」とは、自分というものを離れて他のことを考える大きな心と考えられる。その働きから生ずる複雑な感情とは、「やさしい心」「あたたかい心」「おもいやりの心」と言えないだろうか。それはそのまま「宗教的情操」と言うこともできる。
 「宗教」という言葉を聞くと、関係者は教育基本法の「特定の宗教をやってはいけない」という条文を思い出されるが、基本法はその後に「宗教に関する寛容の態度を尊重しなければならない」という文言が続くのである。宗教ということで否定するのでなく、「宗教的情操教育」の精神や方法を取り込むことも必要と思われる。但し、一つの宗教や宗派に偏ってしまうことは抵抗に感じてしまう人が多いと思われる。心の支えとして宗教を信心している中に、「心の育ち」のヒントが隠されているように思われる。
 
宗教的情操教育
 食事をするときなど日常的に、合掌して「いただきます」「ご馳走さま」と何気なく行っている。それを我が子が見て習慣として身に付いていく。「後ろ姿の教育」の典型的な例であろう。もちろん子どもには意味など知る由もない。しかし、それぞれの宗教における作法・方法が違ってもその行為に意味がある。共通して言えることは、そこにあるのは命の尊さを中心に据えていることである。仏教では「いただきます」とはいったい何をいただいているのか。食卓に乗っている米粒一つ、菜っ葉一枚、魚一匹にもすべて命がある。つまり「あなたの命をいただいていて私の命を繋げさせていただきます」ということである。「ご馳走さま」の「馳」は天をかける、「走」は地を走る。私の命を繋げてくれるために、命や多くの働きが天をかけ、地を走って目前に集まってくれたことに対して感謝の気持を意味している。宗教を信心している人も、無関心を装っている人も日常的に取り入れてしまっているのである。心を育てる情操教育をもっと意識的に行うことも必要である。
 宗教的情操教育がどのような形で、保育現場で活かされているのだろうか。理念の上では、私たちの命は生き生きと生きるすべての命によって支えられている、粗末にして良いという命はひとつもないということに気づく。こうした日常的な行動のほか、保育現場の中で仏教では、花祭りや成道会、キリスト教では、教会で行われるクリスマスや復活祭などの行事が挙げられる。一般家庭で行っているクリスマスは、商業主義に煽られたプレゼントの媒介となっている傾向があり、本来の意義と違っているようである。
 
情操教育の方法
 情操教育の方法は、子どもの個性に応じて千差万別である。先ず、「音楽教育」というものがある。音楽は心の表現であり、メロディーとハーモニー、リズムとアンサンブルの織りなす、美の世界である。一人でも可能であるし、大勢で合わせることも可能である。又、歌声と楽器など様々な広がりが望めて、重要な手立てだろうと思う。
 「造形教育」も重要なものの一つである。絵画などは、子どもの心の窓とも言われ、心の表現でもある。子どもにとって言葉にできない感情、心の状況を表現する手段である。楽しいとき・嬉しいときの絵、悲しいとき・嫌なときの絵の違いは、誰の眼に見てもわかる。
 そして、「文学教育」も忘れてはいけない。絵本をたくさん読んであげることで、子どもは絵本が大好きになる。絵本の読み聞かせによって、言葉・文字の広がり、想像の広がりなどにも繋がる。又、親や保育士の膝の上で読んであげることは、特に感情を育てることに効果的である。
 知識は「知性」により受け取り「記憶」していくものである。絵本は「感性」によって受け取り、子どもの心に「感動」を与えるものである。「感動」したものは子どもの心の奥底に浸透し、生涯を通じて消え去らず、人間形成の上で大きな役割を果たすものになる。テレビ・ビデオなどが乳幼児にとって百害あって一利なしという指摘もある。こうしたことから、そのメディアに変わる絵本の重要性をもっと働きかけるべきである。
 このような情操教育の中に、子どもたちが表現し、感動していくことで、「あたたかい心」「やさしい心」「おもいやりの心」を育むことになる。乳幼児期における小さな出来事の積み重ねが心を育て、人と人との繋がりが、子どもの心の育ちを根底から支えるものになる。
 現在は時間・生活に追われ、合理性から今までの慣習をやめてしまい忘れ去られようとしている。社会の中では個人の結果評価を優先して判断されるケースが多い。個人の集まりである社会には、モラルが必要で、個人個人を結ぶ接着剤となっている。生活習慣の基本は人・物・天(自然)に対する感謝・尊さから生まれている。こうした視点から「心の教育」を考えたらどうだろうか。
(保育内容部会 土山)
 
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働かざるもの食うべからず
 新聞をみていたら、こんな記事があった。人工的にアリのコロニー(群れ)を作って観察したところ、一定の割合で「働かない」アリがいるというのである。イソップ寓話の「アリとキリギリス」に象徴される、働き者のアリというイメージとはかけ離れたアリの話である。
 よく働くアリを取り除けば、働かないアリも働きだすかもしれないと、実験してみると・・・。働かないアリは、やっぱり働かないそうである。逆に、働かないアリを取り除いてみると、今度は今まで働いていたアリの働きぶりが悪くなる。つまり、コロニーのなかには「働かない」という役割を持ったグループが必要とされているらしい、というのだ。
 「ストレス社会」といわれる今の時代に生きている人間の一人として、興味をひいた。企業戦士とおだてられて身も心もすり減らして働き続け、気がついたときには「何をやってきたんだろう?」と我が身を振り返ったり、最悪の場合はリストラされたり、戻れる場所(家族、社会など)を見失ったりすることが、珍しいことではなくなった現代社会。働くことの意味を考え直さなければならない時期なのかもしれない。
 今の人間社会では、働かないアリはたぶん受け入れてもらえないだろう。働かないアリというのは、「ゆとり」や「あそび」を象徴しているような気がしてならない。だからこそ、この記事に興味をもったのである。
 人間は、個人としても、集団としても、連続した緊張のなかでは、生きていけないのではないだろうか。仕事をしなければ、お金を稼がなければ、勉強しなければ、父(母)であり夫(妻)であり職業人で有らねば――○○○であらねば、×××であらねば、と常に緊張(ストレス)のなかで生き続けなければならない社会では、息が詰まってしまう。
 それは、さまざまな出来事から容易に想像することができる。戦場という究極の緊張の場におけるさまざまな出来事(虐殺など他者へ向けられた行為、自死など自分へ向けられた行為など)が、教えてくれている。その人が暮らしていた社会では、考えられないことが行われている。緊張が、人間を人間でなくしてしまう。
 そういえば、数々のすさんだ事件(殺人、虐待など)が昨今頻発するのは、犯罪を犯した人だけの問題ではなく、そのような犯罪を犯さなければならないところに追い込んだ社会の責任というのもあるのではなかろうか。グローバル化とかいって、競争に打ち勝つことを至上命題とする世の中では、自分自身の身を削ってでも生きていかなければならない=ストレスなのである。
 組織もまた同じ。合理化、人員削減などを進めた末に、いつの間にか組織自身が病んでくる。今年に入って、いわゆる一流企業で大規模な事故が多発している。愛知の製鉄所、栃木のタイヤ工場、北海道の石油基地、交通機関のミスによる運行停止など。組織も、人間と同じように「健康」を損ない始めている。
 さらに驚くべきことに、災害のあった工場から供給を受けている工場にすぐ影響がでてしまう。原材料の在庫を最小限に押さえているからだという。二、三日供給が滞るだけで、生産ラインを止めなければならなくなるという。なんという綱渡り。地震雷火事親父――いつ起こるか分からない自然災害のことは、どう考えているのだろう。考えたくないからと、知らん顔しているのかもしれない。
 組織も個人も、常に緊張を強いられて生きる世の中。ぐうたらで、いい加減な人間には住みづらい。身も心もすり減らしたくないので、どこかで手を抜く方法を考えなければ・・・。働かざるもの食うべからず、なんていわないで、アリのコロニーのように、働かないものの存在が、必然性を持つ意味を考えてみる必要があるのではないだろうか。きっと、本来の人間社会がみえてくるに違いない。
(えびす)







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